ルイス・ジョンソン(Louis Johnson/1955年4月13日~2015年5月21日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、ベーシスト。ザ・ブラザーズ・ジョンソンのメンバー。

 

 

 

1955年4月13日、ルイス・ジョンソンが生まれる。アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。

 

 

ルイス・ジョンソンは、ロサンゼルスの学校に通っていた時に、1953年生まれの兄ジョージとともに、上の兄トミーと従兄弟のアレックス・ウィアーとバンド「ジョンソン・スリー・プラス・ワン」(Johnson Three Plus One)を結成した。兄ジョージはギタリスト兼ヴォーカリスト、ルイスはベーシスト兼ヴォーカリストとして、どちらもリード・ヴォーカルを担当した。


彼らがプロになった時、バンドはボビー・ウーマックやシュープリームスなど、R&Bアクトのツアーをサポートした。

その後、ジョージとルイス・ジョンソンはビリー・プレストンのバンドに参加し、彼のアルバム『ミュージック・イズ・マイ・ライフ』と『ザ・キッズ&ミー』の選曲を書いた。

 

1973年、二人はビリー・プレストンのバンドを脱退。

 

1975年、ルイスは兄ジョージとともに「ザ・ブラザーズ・ジョンソン」(The Brothers Johnson)を結成。ルイスは驚異のテクニックから「Thunder Thumbs/サンダー・サム(雷の親指)」、サングラスをかけた左利きの兄ジョージは「Lightnin' Licks/ライトニング・リックス(稲妻の殺しフレーズ)」とあだ名された。スラップ・ベーシストはあだ名が付けられることが多いが、ジョンソンはその先駆けである。ルイス・ジョンソンの奏法はラリー・グラハムにより主流となり、この二人がスラップベースの始祖と言われ、次世代であるマーカス・ミラーなどによって更に進化洗練される。

兄弟は、ボビー・ウーマックやビリー・プレストンを含む様々なアーティストとツアーを行った。

同年、クインシー・ジョーンズのアルバム『メロー・マッドネス』(Mellow Madness)のレコーディングに参加、"Is It Love That We're Missing?" や "Just a Taste of Me"など4曲で演奏した。

 

 

1976年、ブラザーズは音楽ドキュメンタリー『All This and World War II』のためにビートルズの曲“Hey Jude”をカヴァーした。

 

3月、デビュー・アルバム『Look Out for #1』をリリース、プロデュースはクインシー・ジョーンズが務め、米音楽誌『ビルボード』(Billboard Magazine)の総合アルバムチャート「Billboard 200」(以下「全米」)9位、同誌「ソウル・アルバム・チャート」(以下「R&B」)1位を記録した。本アルバムからのシングルは、Syreeta Wright をフィーチャーした"I'll Be Good to You"が同誌「Billboard Hot 100」(以下「全米」)3位・「Best Selling Soul Singles」(以下「R&B」)1位を獲得した他、クインシー・ジョーンズと共作した"ゲット・ザ・ファンク・アウト・マ・フェイス"(Get the Funk Out Ma Face)が全米30位・R&B4位に達した。また、アルバム2曲目の"Thunder Thumbs And Lightnin' Licks"は、二人のニックネームからタイトルが付けられた。

 

 

 

 

同年、米コメディ映画『Mother, Jugs & Speed』にブラザーズの楽曲が使用された。

同年、フェンダー・エレクトリック・インストゥルメント製造会社(現:フェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ株式会社)の創業者レオ・フェンダーがルイスのために作り出したエレクトリック・ベースギター「ミュージックマン・スティングレイ」が発売。スラップ奏法をはじめ超絶技巧のフィンガー・ピッキングといったテクニックと相まって、ルイス・ジョンソンのベース・サウンドの確立に貢献する。また、ミュージックマン・スティングレイはスラップ奏法を得意とする多くのベーシストたちに愛用されることとなる。

 

 

1977年5月、2ndアルバム『Right on Time』をリリース、全米13位・R&B2位に到達。アルバムからの最大のヒット・シングルは"Strawberry Letter 23"で、全米5位・R&B1位・全英35位をマークした。他にも、"Runnin' for Your Lovin'"が全米107位・R&B20位、英国限定リリースの"Right on Time"が全英52位となった。

 

 

 

 


1978年8月、3rdアルバム『ブラム!! 』(Blam!)をリリース、全米7位・R&B1位・全英48位をマークした。ここからは、"Ride-O-Rocket"が104位・R&B45位・全英50位、"エイント・ウィー・ファンキン・ナウ"(Ain't We Funkin' Now)が全英102位・R&B45位・全英43位になった。

 

 

 

 

1979年8月10日にリリースされたマイケル・ジャクソン(Michael Jackson ONM/1958年8月29日-2009年6月25日)の出世作となったアルバム『オフ・ザ・ウォール』(Off The Wall)に参加、クインシー・ジョーンズのプロデュースで全米3位・全英5位になった本作は、商業的成功を極めた次作『スリラー』よりも演奏家やR&Bファン層にとって評価が高く、 ルイスは“Rock with You”を除く全9曲でベースを演奏した。ここからは“今夜はドント・ストップ”の邦題でも知られる“Don't Stop 'Til You Get Enough”が全米1位、タイトル曲“オフ・ザ・ウォール”(Off The Wall)が全米10位になるなど、ヒットが連発。また、ルイスのベース演奏を堪能できる曲として“ゲット・オン・ザ・フロアー”(Get On The Floor)が挙げられる。

 

 

 


1980年4月4日、4thアルバム『Light Up the Night』をリリース、全米5位・R&B1位・全英22位をマークし、『ローリング・ストーン』誌の「1980年のトップ100 LP」で46位に選ばれた。ここからは、“ストンプ!”(Stomp!)が全米7位・R&B1位・米ダンスチャート1位・全英6位をマークした他、タイトルトラック"Light Up the Night"がR&B16位・全英47位、 "Treasure"がR&B73位・全英36位になった。

 

 

 

 

同年、ジョージ・ベンソン(George Benson)のアルバム『ギヴ・ミー・ザ・ナイト』(Give Me the Night)に参加。

 

 

1981年3月26日、ルイスはクインシー・ジョーンズのアルバム『デュード(愛のコリーダ)』(The Dude)に参加、タイトルトラック“愛のコリーダ”(The Dude)などでベースを演奏している。

 

7月、兄弟はセルフ・プロデュースの5thアルバム『Winners』を発表したものの、全米48位・R&B10位・全英42位に留まった。ここからは、"The Real Thing"が全米67位・R&B11位・全英50位、"Dancin' Free"がR&B51位に入った。

 

 

 

同年、ルイスは、当時の妻ヴァレリー・ジョンソンと元ブラザーズ・ジョンソンのパーカッショニスト/歌手であるリチャード・ヒースを含む彼自身のグループで、ゴスペル音楽のアルバム『パッセージ』(Passage)をレコーディング、A&Mから発表した。 

 

 

1982年、デュオは分裂し、ジョージとルイスはそれぞれ別のプロジェクトで活動する。

11月29日、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』(Thriller)がリリース。「史上最も売れたアルバム」と言われる本作においてルイスは、全米1位・全英1位になった“ビリー・ジーン”(Billie Jean) など5曲でベースを演奏している。

 

 

1984年、デュオは再び一緒に活動をともにする。

同年、ルイスはスタンリー・クラーク(Stanley Clarke)のアルバム『タイム・エクスポージャー』(Time Exposure)に参加。

 

 

1985年、ルイスはCapitol Recordsでシングル“Kinky”を録音。同年にヨーロッパで独占的リリースされた彼のソロアルバム『エボリューション』(Evolution)に収録された。

 

 

同年、ジョージ・デューク(George Duke)のアルバム『シーフ・イン・ザ・ナイト』(Thief in the Night)に参加。

同年、ルイスはビデオ配信会社のスターリックスのために教育用ビデオテープ『Star Licks Master Sessions』を作成し販売、ベース演奏のスキルを伝授した。好評のためシリーズ化され、3本製作された本教育用ビデオは、後にDVD化もされた。

同年、クインシー・ジョンーズがアフリカの飢餓を救おうとアメリカ合衆国のポップス歌手たちを一堂に集めてプロデュースした”We Are The World”にベーシストとしてクレジットされた。

 

 

その後、彼は落ち着いて妻と息子との家庭生活を楽しんでいた。

 

 

1988年までに当時のマネージャーであったダイアン・タレンがレコーディングスタジオに戻るよう説得した。

 

 

1990年代、ルイスはベース・アカデミーを開始し、自身の Web サイトを通じてワークショップ・クリニックを開催した。

 

 

1991年、マイケル・ジャクソンに呼ばれ、全米1位・全英1位になった大ヒット・アルバム『デンジャラス』(Dangerous)のレコーディングに参加、"Who Is It"でベースを演奏した。

 

 

1997年、クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)監督による映画『ジャッキー・ブラウン』(Jackie Brown)のサウンド・トラックに、ブラザーズ・ジョンソンの"Strawberry Letter 23"が起用された。

 

 

2013年に行われた公演が生涯で最後のステージとなった。

 


2015年5月21日、ルイス・ジョンソンは食道の出血により、ネバダ州ラスベガスで逝去した。60歳だった。

 

 

 

ルイスの死去により、ブラザーズ・ジョンソンの活動も幕を下ろした。

 

 

先述分も含め、ルイス・ジョンソンがレコーディングやコンサートに参加した主なアーティストは、以下の通り。

アンドレ・クラウチ、アンジェラ・ボフィル、アニタ・ベイカー、アレサ・フランクリン、ビリー・プレストン、ビル・ウィザース、ビョーク、ザ・カーペンターズ、ザ・コントローラーズ、ザ・クルセイダーズ、デイヴ・グルーシン、デヴィッド・ディッグス、デニース・ウィリアムス、ドナ・サマー、ドン・トーマス、アール・クルー、ガボール・ザボ、ジョージ・ベンソン、ジーン・バン・バーレン、ジョージ・デューク、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、ハンナ・フライデンバーグ、ハーヴィー・メイソン、ハーブ・アルパート、ハービー・ハンコック、ヒロシマ、アイリーン・キャラ、ザ・ジャクソンズ、ジェームス・イングラム、ジェフリー・オズボーン、ジョン・メレンキャンプ、ケント・ジョーダン、リー・リトナー、レオン・ヘイウッド、レスリー・ゴア、泉谷まこと、マイケル・ジャクソン、マイケル・マクドナルド、ナタリー・コール、パティ・オースティン、ポール・マッカートニー、ピーボ・ブライソン、ペギー・リー、ポインター・シスターズ、クインシー・ジョーンズ、ランディー・バダズ、ルネ&アンジェラ、ザ・リッツ、ルーファス、セルジオ・メンデス、サイド・エフェクト、シスター・スレッジ、スタンリー・クラーク、スティーヴィー・ニックス、スティーヴィー・ワンダー、スウィート・コンフォート・バンド、テンプテーションズ、角松敏生、ヴァニティ6、松任谷由実など。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ルイス・ジョンソン(ベーシスト)」「Louis Johnson (bassist)」「The Brothers Johnson」

 

 

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