クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones/1933年3月14日~)の名を知ったのは、

1981年発売のアルバム『愛のコリーダ』(原題:The Duke)の収録曲

“愛のコリーダ”(Ai No Corrida)だった。

 

 

 

“Ai No Corrida”

 

“Ai No Corrida”収録アルバム『愛のコリーダ』(原題:The Duke)

 

 

この曲のサビの部分について、発売当時、

まさか元が日本語とは知らず、

「Ai No Corrida」を「I know Corrida」と思い込んでいた

無知な自分が恥ずかしくも、今となっては懐かしい。

 

クインシー・ジョーンズはこのアルバム以前にも、

ジャズのトランぺッターやアレンジャー、

バンドのコンダクターとして名をあげていた。

 

しかし、クインシー・ジョーンズと言えば

一番名高いのはプロデューサーだ。

 

彼のプロデュース作品では、

日本でもなじみ深い楽曲も多い。

 

例えば・・・

 

“Soul Vossa Nova”

 

 

“Ironside(Theme from 『Ironside』)”

 

どちらもテレビのCMや番組、映画などで今でも

耳にすることがあるのではないろうか。

 

ところで、クインシーのプロデュース作品で最も売れた作品は、

史上最も売れたアルバムでもある。

 

マイケル・ジャクソンの“スリラー”(Thriller)がそれである。

 

 

“スリラー”(Thriller)表題曲

 

売り上げ枚数がギネス認定された2013年時点で6500万枚で

今もなお、その枚数は増え続けているという。

 

さらに1984年の第26回グラミー賞では、最優秀レコードと最優秀アルバムに加え、最優秀男性ポップ歌手、最優秀男性ロック歌手、最優秀男性R&B歌手、最優秀R&Bソング、最優秀児童向けレコード、最優秀プロデューサー(プロデューサーとしてクインシー・ジョーンズ個人が受賞)と異例の8部門を受賞と総なめ。

 

この他にも数えきれないほどの栄誉に輝いたアルバムの

プロデューサーを務めたのがクインシーである。

 

また、アメリカの著名なミュージシャン達が

チャリティのために一堂に会した「USA for Africa」が歌った

“We Are The World”もクインシープロデュース作品である。

 

 

“We Are The World”

 

 

クインシー・ジョーンズの業績について語ろうと

関わった作品名やアーティスト名を

数え上げれば枚挙に暇がない。

 

ただ、「USA for Africa」のように多くの有名アーティストが

彼の元に集まったことが、クインシーの偉大さを

何よりも雄弁に物語っているのではないだろうか。

 

 

最後に、話を「愛のコリーダ」に戻したい。

 

この曲は、阿部定事件に材を取った

大島渚監督作品の映画『愛のコリーダ』から

題名を借命したチャズ・ジャンケル(Chaz Jankel)の

デビューアルバムに収録されていた

“Ai No Corrida”をクインシーがカバーしたものだが、

当該曲名の邦題を「愛のコリーダ」とするならまだしも、

アルバムの日本版タイトルまで「愛のコリーダ」としてたりするので

非常にややこしい。

 

そこで、簡単に時系列に現代と邦題のタイトルを並べて整理したい。

 

1936年 安倍定事件 発生

       ↓

       ↓着想(?)

       ↓

1976年 日仏合作映画『愛のコリーダ』

      (大島渚監督 藤竜也暇、松田映子主演)

        ↓

        ↓インスパイア(?)、タイトル拝借

        ↓

1980年 “Ai No Corrida”収録アルバム
       『Chaz Jankel』(邦題;愛のコリーダ)発売    
        チャズ・ジャンケル作曲/ケニー・ヤング作詞

        ↓

        ↓カバー

        ↓

1981年 “Ai No Corrida”(邦題;愛のコリーダ)収録アルバム

      『The Duke』(邦題;愛のコリーダ)発売

 

因みにクインシー版“Ai No Corrida”でをヴォーカルとってるのは、

デューンとパティ・オースティンで、クインシーは歌っていない。

 

ああ、ややこしい。