LL・クール・J(LL Cool J/本名:James Todd Smith/1968年1月14日~)は、アメリカ合衆国のヒップホップMC、俳優。

 

 

 

1968年1月14日、ジェームズ・トッド・スミスは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ベイショア(Bay Shore, New York)で、オンドレア・グリフィス(1946年1月19日-)とジェームズ・ヌーニャとしても知られるジェームズ・ルイス・スミス・ジュニアの夫妻の一人息子として誕生。

だが、生まれた家庭は両親の間で喧嘩が絶えない環境だった。

『シカゴ・トリビューン』紙によると、「クイーンズで中産階級のカトリック教徒として育ったスミスにとって、人生は悲痛なものだった。父親は母親と祖父を撃ち、危うく二人とも殺しそうになった」という。

 

1972年、4歳の時、両親が離婚。彼は母に引き取られ、クイーンズのセントオールバンズにある祖父母の家に引っ越し、そこで彼は育てられた。 彼は母親の元恋人ロスコーから身体的、精神的虐待を受けていた。

教会の聖歌隊の一員としての活動、サッカー、ボーイスカウトなどをこなす活発な子どもであった。

10歳の時、スミスは、ヒップホップ グループ「ザ・トレイジャラス・スリー」の影響を受けて、ラップを始めた。

 

1984年、16歳の頃、祖父母の家でデモテープを作成していた。ジャズサックス奏者である祖父は、2台のターンテーブル、オーディオミキサー、アンプなどを含む2,000ドル相当の機器を彼に買ってくれた。この間、スミスは音楽キャリア始める時に指導してもらったことで「多くのことを埋め合わせてくれた」父親と和解した。
母親もスミスの音楽活動を支援し、税金の還付金を使って彼にコルグのドラムマシンを買ってくれた。スミスは親戚から音楽機材を受け取った時にはすでにラッパーになっていたと述べている。これは、ニューヨーク大学の学生リック・ルービンとプロモーター兼マネージャーのラッセル・シモンズが、当時独立していたデフ・ジャム・レーベルを設立したのと同時期であった。

スミスは祖父から譲り受けたミキサーを使用して、独自のデモを制作およびミックスし、デフ・ジャムを含むニューヨーク市中のさまざまなレコード会社に送った。

同年、"I Need a Beat"で「LLクールJ」(LL Cool J/エルエル・クール・ジェイ)としてデビュー。

 

なお、LL Cool Jの由来は、「Ladies Love Cool James」の略。日本では「LL・クール・J」とも表記される。

 

 

1985年10月25日、アメリカ映画『クラッシュ・グルーブ』(Krush Groove)が公開、LLクールJは本人役で出演し、サウンド・トラックに提供した "I Can't Live Without My Radio"は、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の「Hot R&B/Hip-Hop Songs」(以下「R&B」)で15位・全英95位をマークした。

 

11月18日、16歳で1stアルバム『レディオ』(Radio)をリリース。アルバムは、『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)46位・同誌「Top R&B/Hip-Hop Albums」(以下「R&B」)6位・全英71位を記録。ここからは、"Rock the Bells"が同誌ダンス・チャート(以下「ダンス」)35位・R&B17位・全英98位をマークした。

 

 

1987年6月2日、2ndアルバム『ビガー&デファー』(Bigger and Deffer)をリリース、全米3位・R&B1位・全英54位。ここから、"I'm Bad"が『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)84位・ダンス34位・R&B4位・全英71位、"I Need Love"が全米14位・R&B1位・全英8位を記録した。

 

 

 

 

1989年6月13日、3rdアルバム『ウォーキング ウィズ ア パンサー』(Walking With a Panther)をリリース、全米6位・R&B1位・全英43位。ここから、"I'm That Type of Guy"が全米15位・ダンス9位・R&B7位・『ビルボード』誌「Hot Rap Songs」(以下「ラップ」)1位・全英43位になった。

 

 

 

1990年9月14日、4thアルバム『ママ セッド ノック ユー アウト』(Mama Said Knock You Out)をリリース、全米16位・R&B2位・全英49位。ここからは、"The Boomin' System"が全米48位・ダンス13位・R&B6位・ラップ1位・全英83位、"Around the Way Girl"が全米9位・ダンス7位・R&B5位・ラップ1位・全英41位、"Mama Said Knock You Out"が全米17位・ダンス7位・R&B12位・ラップ1位・全英41位、"6 Minutes of Pleasure"が全米95位・R&B26位・ラップ7位をマーク。

 

 

 

 

 

1993年3月30日、5thアルバム『14 ショット トゥ ザ ドーム』(14 Shots To The Dome)をリリース、全米5位・R&B1位・全英74位。ここからは、"How I'm Comin'"が全米57位・R&B28位・ラップ1位・全英37位、"Back Seat (of My Jeep)"が全米42位・R&B24位・ラップ2位に入った。

 

 

 

 

1995年11月21日、6thアルバム『ミスター スミス』(Mr. Smith)をリリース、全米20位・R&B4位・全英90位。このアルバムからのシングルは、Boyz II Menをフィーチャーした"Hey Lover"が全米3位・R&B3位・ラップ1位・全英17位、LeShaunをフィーチャーした"Doin' It"が全米9位・R&B7位・ラップ2位・全英15位、Totalをフィーチャーした"Loungin"が全米3位・R&B3位・ラップ1位・全英7位をマーク、いずれもRIAAプラチナ認定を獲得した。

 

 

 

 

1996年、ベスト・アルバム『オール ワールド(ベスト盤)』(All World: Greatest Hits)をリリース。

同年、ベビーフェイスにフィーチャーされた"This Is for the Lover in You" (Babyface featuring LL Cool J)が全米6位・R&B2位・全英12位をマークした。

 

 

1997年10月14日、14thアルバム『フェノメノン』(Phenomenon)をリリース、全米7位・R&B4位・37位。ここからは、Method Man, Redman, Canibus, Master P and DMXをフィーチャーした"4, 3, 2, 1"が全米75位・R&B24位・ラップ10位、 "Father"が全米18位・R&B12位・ラップ1位・全英10位をマーク。

 

 

 

 

2000年9月14日、8thアルバム『グレイテスト オブ オール タイム - G.O.A.T.』(Greatest Of All Time)をリリース、全米1位・R&B1位・全英29位。ここからは、LeShaunをフィーチャーした"Imagine That"が全米98位・R&B46位・ラップ16位。

 

 

 

2002年10月15日、9thアルバム『10』をリリース、全米2位・R&B1位・全英26位。このアルバムからは、"Luv U Better"が全米4位・R&B1位・ラップ2位・全英10位、 Amerieをフィーチャーした"Paradise"が全米36位・R&B14位・ラップ10位・全英18位に入った。

 

 

 

同年、ジェニファー・ロペスにフィーチャーされた"All I Have" (Jennifer Lopez featuring LL Cool J)で全米1位・R&B4位・全英2位をマークした。

 

 

2003年公開のアメリカ合衆国のアクション映画『S.W.A.T.』(スワット/S.W.A.T.)に、S.W.A.T.隊員「“ディーク”ディーコン・ケイ」役で出演、サミュエル・L・ジャクソンと共演した。

 

 

2004年8月31日、10thアルバム『ディフィニション』(The DEFinition)をリリース、全米4位・R&B3位・66位。ここからは、"Headsprung"が全米16位・R&B7位・ラップ4位・全英25位・RIAAゴールド、7 Aureliusをフィーチャーした"Hush"が全米26位・R&B14位・ラップ11位・全英3位をマークした。

 

 

 

 

2005年に公開されたアメリカ合衆国のホラーテイストで展開していくプロファイリング・アクション・スリラー映画『マインドハンター』(Mindhunters)に「ゲイブ・ヤンセン」役で主演。

同年公開のアメリカ映画『F.R.A.T./戦慄の武装警察』(Edison)に「レイフ・ディード」役で出演、モーガン・フリーマンと共演した。

 

 

 

2006年4月11日、11thアルバム『トッド スミス』(Todd Smith)をリリース、全米6位・R&B2位・全英79位。ここからは、Jennifer Lopezをフィーチャーした"Control Myself"が全米4位・ダンス14位・R&B28位・ラップ9位・全英2位をマークした。

 

 

 

2009年9月9日、12thアルバム『イグジット13』(Exit13)をリリース、全米9位・R&B3位。ここから、The-Dreamをフィーチャーした"Baby"が全米52位・R&B22位・ラップ10位・全英56位をマーク。

 

 

12月8日、ベスト・アルバム『オール ワールド 2』(All World 2)をリリース。

これを最後に、デビュー以来、唯一の所属レーベルだったデフ・ジャムを離れる。

 

 

2010年、「Artists for Haiti」の一員として参加したシングル"We Are the World 25 for Haiti" (As part of Artists for Haiti)が全米2位・全英50位になった。

 

 

2012年2月12日の第 54 回グラミー賞から 2016年2月15日の第 58 回グラミー賞まで、5 年連続でグラミー賞ショーの司会を務めた。

 

 

2013年4月30日、13thアルバム『オーセンティック』(Authentic)を移籍した429RECORDSからの第一弾としてリリース、全米23位・R&B7位に達した。収録曲“We're the Greatest Ft. Eddie Van Halen”では、ロック・ギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen/1955年1月26日-2020年10月6日)をゲストに迎え、彼のギタープレイを存分にフィーチャーしている。

 

 

2016年3月、LLはソーシャルメディアで引退を発表したが、すぐにこれを撤回し、新しいアルバムを準備中であることを示唆した。

 

 

2017年、ヒップホップ・ミュージシャンとしては初めてケネディ・センター名誉賞を受賞した。

 

 

2018年10月、LL Cool J はロックの殿堂にノミネートされた。

 

 

2019年9月、LLが将来のアルバムリリースのためにデフ・ジャムと再契約したことが発表された。 彼の次のアルバムは Q-Tip によってプロデュースされる。


2021年12月29日、LL・クール・Jは新型コロナウイルス(COVID-19)感染症検査で陽性反応が出たため、ディック・クラークの「ニュー・イヤーズ・ロッキン・イブ・ウィズ・ライアン・シークレスト2022」での公演をキャンセルした。


2022年3月22日、「2022 iHeartRadio Music Awards」を主催した。

 

 

デビュー以来、ラップ・アーティストの先達として全世界のラッパーに影響を与え続けてきた。これまでリリースしてきたアルバム13作中、実に11作がプラチナアルバム(100万枚突破)に輝くとともに、2度のグラミーを受賞している。

 

俳優としても活躍、現在は、TVドラマ『NCIS:LA 〜極秘潜入捜査班』シリーズなどに出演中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「LL・クール・J」「LL Cool J」

 

 

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