スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg/別名:Snoop Doggy Dogg/出生名:Calvin Cordozar Broadus, Jr./1971年10月20日~)は、アメリカ合衆国のヒップホップMC、俳優。

 

 

 

1971年10月20日、カルバン・ブローダスことカルビン・コルドザー・ブローダス・ジュニアは、アメリカが州国カリフォルニア州ロングビーチで、ヴァーネル・ヴァルナドとビバリー・テイトの間に生まれた。ベトナム戦争退役軍人で歌手、郵便配達員でもあった父バーネルは、息子が生後わずか3か月の時に家族から離れたため、継父のカルビン・コルドザール・ブローダス・シニア(1948-1984年)に因んで命名された。彼は実の父親とはほぼ無縁の人生を送った。

 

少年の頃、母親は漫画のキャラクターに似ていたため、息子に「スヌーピー」(Snoopy)というあだ名をつけた。彼は母親の3人の息子のうちの2番目であった。

 

1975年、母親と継父が離婚した。

 

幼い頃、ゴルゴタ・トリニティ・バプテスト教会で歌い、ピアノを弾き始めた。

6年生でラップを始める。

子どもの頃、ブローダスは家族のやりくりを助けるために、キャンディーを売ったり、新聞配達をしたり、食料品の袋詰めをしたりしていた。

彼は献身的な学生で熱心に教会に通い、合唱団やフットボールでも活躍したという。

だが、母親の予防努力にもかかわらず、10代の頃から違法行為に手を出し始める。

 

1989年、ロングビーチ工科高校を卒業した直後、彼はコカイン所持で逮捕され、有罪判決を受けている。その後3年間、ウェイサイド刑務所を含む監獄に度々投獄された。

 

1990年、二人のいとこ、ネイト・ドッグとリル・ハーフ・デッド、そして地元仲間であるウォーレン・G(Warren G)とともに、彼は自家製のテープを録音した。4人は当時の故郷ロングビーチの市外局番に因んでグループを「213」と呼んだ。

 

アン・ヴォーグの「ホールド・オン」に基づくスヌープの初期のソロ・フリースタイルの1つは、偶然にもドクター・ドレーと共演することになったミックステープに収録されていた。この影響力のあるプロデューサーはサンプルに非常に感銘を受け、1991年にスヌープに電話して自身のレーベル、デス・ロウ・レコード(当時はフューチャー・ショックとして知られていた)のオーディションを依頼した。元N.W.A.所属でThe D.O.C.として知られるアメリカ人ラッパー、トレイシー・リン・カリーは、歌詞を構成し、テーマをヴァース、フック、コーラスに分ける方法を彼に教えた。



1992年4月9日、ドクター・ドレーのプロデュースで、ソロ・デビュー・シングル“Deep Cover”をソーラー・レコードからリリース。

その後、デス・ロウ・レコードと契約。

同年末にリリースされたドクター・ドレーの1stアルバム『The Chronic』にも参加。


1993年、ブローダスは、ギャングに参加し始めた。

同年、拳銃を用いた殺人容疑で逮捕された。

同年、Dr. Dreのシングル"Nuthin' but a 'G' Thang"にフィーチャーされ、全米2位。

 

10月30日、1stシングル“What's My Name?”をDeath Row Recordsからリリースしてデビュー、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)8位・全英20位をマーク、RIAAゴールド・ディスク認定を受けた。

 

11月23日、 Snoop Doggy Doggは1stソロ・アルバム『Doggystyle』をリリース、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)1位を記録。

 

その後は事件の裁判に時間を費やし、ドクター・ドレーは2枚目のアルバムの制作から離れることとなった。なお、3年後の1996年にさまざまな証拠から正当防衛であったとして無罪判決を受けた。

 

 

1994年1月15日、2ndシングル“Gin and Juice”をリリース、全米8位・全英39位、RIAAゴールド認定。

 


1996年11月12日、2ndアルバム『Tha Doggfather』をリリース。全米1位、RIAA2×プラチナを獲得。ここから、Charlie Wilsonをフィーチャーした"Snoop's Upside Ya Head"が全英12位、Teena MarieとCharlie Wilsonをフィーチャーした"Vapors"が全英18位をマークした。

 

 

 

この後、デス・ロウ・レコードとの契約を解消。

 

 

1997年、Jermaine Dupriをフィーチャーしたシングル"We Just Wanna Party with You"をリリース、全英21位。

 

 

1998年、マスター・P主宰のノー・リミット・レコード(No Limit Records)と契約。

8月4日、3rdアルバム『Da Game Is to Be Sold, Not to Be Told』をリリース、全米1位、RIAA3×プラチナを獲得。ここから、"Still a G Thang"が全米19位になった。

 

 

 

1999年5月11日、4thアルバム『No Limit Top Dogg』をリリース、全米2位、RIAAプラチナ認定。

 

 

2000年12月19日、5thアルバム『Tha Last Meal』をリリース、全米4位、RIAA2×プラチナ認定。ここから、"Snoop Dogg (What's My Name Pt. 2)"が全米77位・全英13位を記録。さらにMaster P, Nate Dogg, Butch Cassidy and Tha Eastsidazをフィーチャーした"Lay Low"が全米50位・R&B8位に達し、RIAAゴールドを獲得。

 

 

 

 

2002年10月15日、Pharrellをフィーチャーした“From tha Chuuuch to da Palace"を先行リリース、全米77位・全英27位をマークした。

 

11月28日、6thアルバム『Paid tha Cost to Be da Boss』をリリース、全米12位、RIAAプラチナ認定。

 

 

2003年1月27日、PharrellとCharlie Wilsonをフィーチャーした“Beautiful"をリリース、全米6位・全英23位をマーク、シングルとしてはRIAAプラチナを初獲得した。

 

6月24日、50 CentにLloyd Banks、Young Buckとともにフィーチャーされた"P.I.M.P."がリリース、全米3位をはじめ、ほとんどの国でトップ5以内に入る世界的一途になった。

 

8月25日、ChingyにLudacrisとともにフィーチャーされたシングル"Holidae In"がリリースされ、全米3位をはじめ各国でヒットした。

 


2004年9月27日、シングル“Drop It Like It's Hot”を自分のレーベル「Doggy Style Records」から先行リリースすると、自身初の全米1位を記録。

 

11月16日、7thアルバム『R&G (Rhythm & Gangsta): The Masterpiece』をリリース、全米6位、RIAAプラチナ認定。

 

12月13日、Pharrellをフィーチャーしたシングル"Let's Get Blown"をリリース、全米54位・全英13位、RIAAプラチナ認定。

 

 

2005年4月25日、Justin Timberlake と Charlie Wilsonをフィーチャーしたシングル"Signs" をリカット、全米46位・全英2位の他、豪州1位をはじめ各国でトップ10入りした。RIAAゴールド。

 


2006年4月11日、The Pussycat Dollsのシングル"Buttons"にフィーチャリングされ、全米3位・全英3位をはじめ、多くの国でナンバー1を含むトップ3に入る大ヒットになった。

 

4月、南アフリカ共和国のヨハネスブルグやケープタウンで公演を行うため、スヌープ・ドッグらはロサンゼルスから出発。

4月28日に経由地のヒースローでエコノミークラスのチケットしか持っていなかったメンバーがファーストクラスのラウンジへの入場を拒否されたため、空港役員に対して暴力を働き、スヌープ・ドッグを含む6人が逮捕された。

10月27日には、ボブ・ホープ空港(カリフォルニア州バーバンク市)の乗客の積み下ろし区域に違法駐車していたスヌープ・ドッグの車を取り締まるため、警察官が近づいたところ車内から大麻と銃器を発見し、逮捕され警察に拘束された。その後3万5000ドルの保釈金を払い保釈。

10月5日、Akonのシングル"I Wanna Love You"にフィーチャーされ、全米1位・全英3位をはじめ各国でチャート上位を獲得した。

 

10月10日、R. Kellyをフィーチャーした"That's That Shit"を先行リリース、全米20位をマークした。

 

11月21日、8thアルバム『Tha Blue Carpet Treatment』をリリース、全米5位、RIAAプラチナ認定。


2007年3月12日、公演のために訪れていたスウェーデンで、薬物使用の疑いにより同伴の女性とともに逮捕され、尿検査を経て釈放された。

11月20日、シングル"Sensual Seduction"を先行リリース、全米7位・全英22位、RIAAプラチナ・BPIゴールドを獲得。

 

 

2008年3月11日、9thアルバム『Ego Trippin'』をリリース、全米3位、RIAAゴールド認定。

 

 

2009年10月6日、The-Dreamをフィーチャーした"Gangsta Luv"を先行リリース、全米35位。

 

12月8日、10thアルバム『Malice n Wonderland』をリリース、全米23位、RIAAゴールド認定。

 

 

2010年3月23日、アルバム『More Malice』をリリース、全米29位。

12月17日、シングル"Wet"を先行リリース、豪州・ベルギー・フランスでチャート1位を獲得した他、ドイツ・スイス2位、イギリス4位、ニュージーランド5位、オランダ6位など各国でトップ10上位に入った。

 

 

2011年3月29日、11thアルバム『Doggumentary』をリリース、全米8位。

10月11日、映画『Mac & Devin Go to High School,』のサウンド・トラック用に、Wiz Khalifaと共演し、Bruno Marsをフィーチャーした"Young, Wild & Free"をリリース、全米7位。

 


2012年7月31日、正式に芸名を「Snoop Lion」へと変更。メディアに対して名付け親はジャマイカのラスタファリであると答えた。しかしスヌープ・ドッグの名前を捨てたわけではなく、その名前での活動を続けている。

 

 

2013年4月23日、12thアルバム『Reincarnated』をリリース、全米16位。

 

 

女子プロレスラーであるメルセデス・モネ(Mercedes Justine Kaestner-Varnado/ 1992年1月26日-)はスヌープの従妹にあたり、WWEに「サーシャ・バンクス」(Sasha Banks)のリングネームで在籍時のビッグマッチでは従来の入場曲をスヌープがリミックスした物を使用していた。レッスルマニア32ではスヌープがライヴ・パフォーマンスする中でバンクスが入場する演出がされた。

 

 

2015年5月12日、13thアルバム『Bush』をリリース、全米14位。ここから、Charlie Wilsonをフィーチャーした"Peaches N Cream"が全英58位した他、ベルギー3位、オランダ13位をマークした。

 


2016年3月2日、Fat Joe、Remy Ma、The Game、E-40 と共演し、French MontanaとInfaredをフィーチャーした“All the Way Up”をリリース、全米27位、RIAAプラチナ認定を獲得した。

 

3月28日、WWE殿堂に表彰されることが発表される。

4月2日に行われた表彰式に参加した。

7月1日、14thアルバム『Coolaid』をリリース、全米40位。

 

 

2017年5月19日、15thアルバム『Neva Left』をリリース、全米54位。

 

 

2018年3月16日、16thアルバム『Bible of Love』をRCA、All the Time Entertainmentからリリース、全米148位。
 

 

2019年8月16日、17thアルバム『I Wanna Thank Me』をリリース、全米76位。
 

 

2021年4月20日、18thアルバム『From tha Streets 2 tha Suites』をリリース。
 

 

2022年2月11日、19thアルバム『BODR』をDeath Rowからリリース、全米104位。

同年、エミネムをフィーチャーした"From the D 2 the LBC"が全米64位・全英51位、Benny Blanco 及び BTSと共演した"Bad Decisions"が全米10位・全英53位をマークした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「スヌープ・ドッグ」「Snoop Dogg」

 

 

(関連記事)