ジミー・ジョーンズ(Jimmy Jones/出生名:James Jones/1930年6月2日~2012年8月2日) は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。
1930年6月2日、ジェームズ・ジョーンズはアメリカ合衆国アラバマ州バーミンガムで生まれた。
ジョーンズのエンターテイメント業界での最初の仕事はタップ・ダンサーだった。
1954年、ドゥーワップ・グループ「ザ・ベルリナーズ」(the Berliners)に参加。後にグループ名を「スパークス・オブ・リズム」(Sparks of Rhythm)に変更。
1955年、ジョーンズは“ハンディ・マン”(Handy Man)をオーティス・ブラックウェル(Otis Blackwell)と共作。
1956年、“ハンディ・マン”がスパークス・オブ・リズムによって録音されたが、それはジョーンズがグループを脱退した後だった。
他のグループとレコーディングした後、ジョーンズはソロ活動を開始する。
1959年、ジョーンズは共作者のオーティス・ブラックウェルと組んで“ハンディ・マン”をリメイクし、MGM傘下の「カブ・レコード」(Cub Records)でレコーディングした。予定していたフルート奏者がセッションに現れなかったため、ブラックウェルが口笛を吹いて補いレコーディングしたことは有名である。
12月、シングルとして“ハンディ・マン”をリリースすると、翌1960年に米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)で2位になり、英国のシングル・チャート(以下「全英」)では3位、オーストラリア(豪州)でも4位まで上昇。この曲は英国の聴衆にロックにおけるファルセット歌唱スタイルを紹介し、後にデル・シャノンやジェームス・テイラーのヒット曲を生む背景となった。
1960年4月、“ハンディ・マン”の快挙から数か月後、ジョーンズはブラックウェルのプロデュースで“グッド・タイミング”(Good Timin')をシングルとしてリリース、全英1位・全米3位・豪州7位まで上り詰めた。
日本において本曲は、日本語詞でカヴァーされている。元々はダニー飯田とパラダイス・キングのシングル“ビキニスタイルのお嬢さん” のB面を埋める曲として“ステキなタイミング”の邦題で、坂本九(さかもと きゅう/1941年12月10日-1985年8月12日)をメイン・ヴォーカルにレコード化して発売、坂本のレパートリーとなった。制作の時間が足りなかったため、当時「新興楽譜出版社」専務取締役で後に日本における版権ビジネスの草分け的存在となる草野 昌一(くさの しょういち)が急遽「漣健児」のペンネームで日本語の訳詞を手がけることとなった。それまで本名で訳詞を手掛けていた草野が漣健児のペンネームを使用したのはこれが最初である。
本家ジョーンズは“ハンディ・マン”と“グッド・タイミング”がどちらもミリオンセラーとなり、2枚のゴールドディスクを獲得した。ジョーンズのミリオンセラーはこの2曲だけだったが、その後の12か月間で全英チャートにさらに3曲ランクインした。
同年、アルバム『Good Timin'』からリカットした"I Just Go for You"が全英35位、"Ready for Love" b/w "For You"が全英46位に入った。
この年、他のシングルとして、"That's When I Cried"が全米83位・豪州67位、"EE-I EE-I Oh! (Sue MacDonald)"が豪州82位、"Itchin'"が豪州82位になった。
1961年、シングル"I Told You So" b/w "You Got It"をリリース、全米85位・全英33位を記録した。同年には他にもシングルをリリースしたが、これが最後のチャート入りとなった。“ハンディ・マン”と“グッド・タイミング”の2曲以外は目立ったヒット曲がないジョーンズだったが、それでもソングライターとレコーディングアーティストの両方として音楽業界で活動を続け、必要に応じて個人的な出演も行った。
1961年の大ヒット曲“悲しき街角”(Runaway)で知られるデル・シャノンは、ジョーンズとビル・ケニーが自身のファルセットスタイルに影響を与えたと述べている。後にファルセットを使った歌手には、フォーシーズンズのフランキー・ヴァリ、ルー・クリスティ、ロバート・ジョン、ジミー・サマーヴィル、バリー・ギブなどがいる。ギブは、シャノンがビージーズでのディスコ・ヴォーカルに影響を与えたと述べている。
1962年、シングル"You're Much Too Young" b/w "The Nights Of Mexico"を発売。
ジョーンズは1962年までカブに在籍し、その後10年間、ベル、パークウェイ、ルーレット、ヴィージェイなど様々なレーベルでレコーディングを行った。
1963年、シングル"Mr. Fix It" b/w "No Insurance (For A Broken Heart)"を発売。
1965年、シングル"Walkin'" b/w "Pardon Me"をリリース。
1966年、シングル"Don't You Just Know It" b/w "Dynamite"をリリース。
1967年、は2枚のシングル、"39-21-40 Shape" b/w "Personal Property"と"True Love Ways" b/w "Snap My Fingers"をリリースしている。
1974年、シングル"The Man from Candyland" b/w "Big Leg Woman"を発売。
※"The Man from Candyland"で検索したがYouTubeは“Candyland”しか検出せず。
1976年、アルバム『Handyman's Back In Town (Part II)』をリリース、ここから"Handyman Is Back in Town"(Part 1 b/w Part 2)をリカット。
1987年、シングル"Send Her Back to Me" b/w "Shag"をリリース。
1990年代にジョーンズはCDでアルバム『Grandma's Rock & Roll Party』をリリースしたが、これはおそらく、イギリスのノーザンソウル界での人気が一因だったと思われる。このアルバムには、“ハンディ・マン”と“グッド・タイミング”の新バージョンが収録されている。
2002年、英国のレーベル「キャッスル/サンクチュアリ」は、『Good Timin': The Anthology』というタイトルのダブルアルバムをリリースした。収録曲は確認できなかったが、タイトルその他から推察して、1959年頃のアルバム『Good Timin'』をベースにしてると思われる。
2012年8月2日、ジミー・ジョーンズのステージ・ネームで知られたジェームズ・ジョーンズは、アメリカ合衆国ノースカロライナ州アバディーンにて死去。享年82。
『オールミュージック』のジャーナリストであるスティーブ・ヒューイによると、「1960 年の R&B の大ヒット曲“Handy Man”で最もよく知られているジョーンズは、クライド・マクファッターやサム・クックなどをモデルにした滑らかでありながらソウルフルなファルセットで歌った」という。
ジョーンズのベスト・アルバムは現在、以下の2枚が容易に入手できる。コンピレーション・アルバム『Good Times With the Handy Man』はCD2枚組で全44曲を収録。『Good Timin』の方は、「15ボーナス・トラック」を打ち出し全27曲を収録したCD1枚。後者は1959年当時のオリジナル・アルバムにボーナス・トラックを追加したものと思われるが、確証までは得られていない。なお、ここに掲示した2枚のCDはいずれも大ヒット曲ハンディ・マン”と “グッド・タイミング”を両曲とも収録している。
(参照)
Wikipedia「Jimmy Jones (singer)」
なお、Wikipedia日本版で「ジミー・ジョーンズ」を検索すると「曖昧さ回避」のページに飛び、音楽関係では「ジミー・ジョーンズ (歌手) - アメリカ合衆国のソウル・シンガー。スタックス・レコードに所属したことがある。 」、「ジミー・ジョーンズ (ポップ歌手)(英語版) - アメリカ合衆国の黒人ポップス歌手。ステキなタイミングをヒットさせた。Cubレコードに所属。」、「ジミー・ジョーンズ (ピアニスト) - アメリカ合衆国のジャズピアニスト。」の3項目が表示されるが、いずれも日本語版ページはない。本稿の人物は「ジミー・ジョーンズ (ポップ歌手)」で、英語版「Jimmy Jones (singer)」をgoogle翻訳して参照した。
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