ミッキー吉野(ミッキー よしの/本名:吉野 光義[よしの みつよし]/1951年12月13日~)は、日本の音楽家。ロックバンド『ゴダイゴ』のピアノ、オルガン、キーボードプレイヤー。

 

 

 

1951年12月13日、吉野光義が 神奈川県横浜市に生まれる。

 

 

4歳からクラシック・ピアノを習う。

横浜市立浜中学校卒業。

 

1966年、バンド「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」(後の「ベベス」)に参加。ナイト・クラブ、ダンス・パーティー、米軍キャンプや横浜本牧界隈で活動。エディ藩、ジョー山中、カシアス内藤らと交友関係を持つ。


1968年、ケネス伊東がビザの関係で帰国。エディ藩に誘われ、“長い髪の少女”をオリコン14位とヒットさせた人気GS「ザ・ゴールデン・カップス」に参加。

9月1日、吉野がエレクトリックピアノを演奏したシングル“愛する君に”(作詞:なかにし礼/作曲:鈴木邦彦/編曲:村井邦彦)を発売するとオリコン13位のヒット。

 

12月5日、シングル“過ぎ去りし恋”(作詞:ケネス伊東/作曲:エディ藩/編曲:村井邦彦)を発売。オリコン89位。

 

 

1969年2月1日、シングル“本牧ブルース”(作詞:なかにし礼/作・編曲:村井邦彦)を発売。オリコン49位。

 

5月1日、シングル“ルシール”(作詞・作曲:アルバート・コリンズ&リトル・リチャード)を発売。

 

ゴールデン・カップスは、ライヴではR&Bやブルーズ・ロックを好んで演奏した本格派のバンドだった。吉野はその後、1970年まで在籍する。



1970年、冨田勲の招きで大阪万博にて読売交響楽団とハモンドオルガンを演奏。

12月、大麻取締法違反にて逮捕された。


1971年、バンド「サンライズ」(Sunrise)をスティーブ・フォックスと結成。

9月、バークリー音楽院に留学。進級試験を受けて2年生に編入。

その後、バンド「ダッチ・ベイカー」や「フレッシュ&ブラッド」などに参加。ギタリスト、ジョン・スコフィールドなどと交流。

この時期、ドラマーのトミー・スナイダーと知り合う。


1974年、バークリー音楽院卒業後に帰国。吉野はスティーブとバンド「ミッキー吉野グループ」を結成。


1975年、沢田研二のLIVE TOUR に、ミッキー吉野グループとして参加。沢田のバックバンドである井上堯之バンドとの共演で、ギター3人、ベース2人、キーボード2人という特別体制でツアーをまわった。当時、井上バンドにドラマーが不在であったので原田裕臣が1人で担当。
同年、ジョニー野村の紹介で、ミッキー吉野グループがタケカワのアルバムのレコーディングに参加。これをきっかけに、他のバンドで活動していた浅野孝已(G)と原田裕臣(Ds)を誘い、「ゴダイゴ」(GODIEGO)を結成。アルバムは当初タケカワのソロ作品として制作が進んでいたが、ゴダイゴ結成に伴い、バンドの1stアルバムに変更された。同アルバムのレコーディング中にドラマーの原田が脱退。なお、バンド名の由来の一つに後醍醐天皇がある。リーダーの吉野は自分の姓「吉野」から吉野朝廷 → 後醍醐天皇と連想でき、子どもの頃から好きだったからと述懐。また、英語では「GODIEGO」と表記するが、「DAI」ではなく「DIE」との表記を思い付いたのはフォックスである。「生きて、死んで、また生きる」つまり不死鳥、復権した後醍醐天皇、七転び八起き、あるいは輪廻転生がイメージできることから吉野も同意したという。因みに「GOD」「I」「EGO」と分けると「神」「自分」「エゴ」という意味にもなる。

 

 

1976年4月1日、カネボウ化粧品のCMに提供した“僕のサラダガール”(作詞:奈良橋陽子/作曲:タケカワユキヒデ/編曲:ミッキー吉野)をシングル発売してデビュー。この時はグループ名の下に「タケカワユキヒデ with ミッキー吉野グループ」と記載されていた。オリコン37位を記録。

7月25日、1stアルバム『GODIEGO (組曲:新創世紀)』を発売。本アルバムは、日本において日本のレーベルから発売されたアルバムとしては初の全曲英文歌詞の作品となる。フラワー・トラベリン・バンドの『SATORI』等、日本人が英語の歌詞を歌い発売したアルバムはあるが、それらは海外発売であり日本向けではない。

 

10月1日、2ndシングル“いろはの"い"”を発売、表題曲(作・編曲:ミッキー吉野)とB面“警察のテーマ(都会の叫び)”(作曲:トニー・ハッチ/編曲:ミッキー吉野)はともにテレビドラマ『いろはの"い"』の劇伴のインストゥルメンタル曲であり、同サントラ盤からの先行シングル。

 

 

11月25日、コロムビアレコードから『「いろはの"い"」オリジナル・サウンドトラック』を発売。ゴダイゴにとって1枚目のサウンドトラックである。

12月、原田の後任として、浅野孝已の実弟、浅野良治(Ds)が加入。

同年、NHKのテレビドラマ『男たちの旅路』の音楽を担当。

 

 

1977年初頭、浅野良治が脱退。

2月12日、NHKのテレビドラマ『男たちの旅路』第二部第二話「冬の樹」が放送。熱狂的なファンがいるロックバンド「ゴダイゴ」として出演・演奏。

3月14日、浅野良治の後任としてトミー・スナイダーが来日し、ゴダイゴに加入。

11月25日、アルバム『DEAD END』を発表。

 

この頃、日本のTVドラマ『水滸伝』(主演:中村敦夫)がイギリスBBCをはじめ海外数カ国で放映、ゴダイゴが演奏した英語版のテーマソング“WATER MARGIN”(作詞: 奈良橋陽子/作曲:タケカワユキヒデ/編曲:ミッキー吉野)が1977年に英国で発表されヒット、日本のグループとしては初めて全英チャート37位にランクされる。また、西ドイツ(現:ドイツ)でも同年にリリース、スペインでは翌1978年に発売された。なお、同曲のヴォーカルはタケカワではなく、トミー・スナイダーが担当した。

 

12月11日開催の「ミラージュボウル」のテーマ曲に“ミラージュのテーマ”を提供。

 

 

1978年1月25日、ゴダイゴが携わったCMソングを集めたアルバム『CMソング・グラフィティ・ゴダイゴ・スーパー・ヒッツ』をリリース。

 

7月10日、映画『キタキツネ物語』のサウンドトラック・アルバム『キタキツネ物語』を発表。オリコン34位。ゴダイゴは、キタキツネの子どもたちのテーマソングやヴォイスキャストの他、主題歌“赤い狩人”(歌:町田義人)など担当曲以外の曲も手掛けている(作曲および演奏)。

 

 

10月1日、テレビ番組『西遊記』(出演:堺正章・夏目雅子・西田敏行 他)が放送開始、翌1979年4月1日まで放映された。ゴダイゴはエンディングテーマ“ガンダーラ”およびオープニングテーマ“モンキー・マジック”を提供。“モンキー・マジック”も前作“ガンダーラ”同様2位止まりであった。しかし翌1979年にはこの2曲がランキング上位を占めるなど、結果的にヒットとなった。

 

 

10月25日、テレビ番組のサントラ盤であると同時にゴダイゴのオリジナル・アルバムでもある『MAGIC MONKEY(西遊記)』をリリース。バンドにとって最も売れたアルバムとなった。

 

同年、吉野はテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』の音楽を担当。

 

 

1979年1月17日に発売された、布施明の42枚目のシングル“君は薔薇より美しい”(作詞:門谷憲二)を作編曲。ゴダイゴの浅野孝巳(B面曲の編曲も担当)、スティーブ・フォックス、トミー・スナイダーも参加している。1979年度春のカネボウ化粧品のCMソングに起用され、オリコン8位を記録。布施の代表曲となった。

 

同年、前年発売の“ガンダーラ”と“モンキー・マジック”が2/12付~19付で同時にTOP3チャートインの記録を打ち立てる。“ガンダーラ”は1979年の年間第6位となり、彼らのシングル作品としては最多の160万枚(オリコンは85万枚)以上を売り上げた。

3月からは全国43ヵ所を回る「セレブレーション・ツアー」を開始。

4月1日、ユニセフ国際児童年協賛曲である“ビューティフル・ネーム”を発表した。

 

6月1日、10thシングル“はるかな旅へ”(作詞:奈良橋陽子/作曲:タケカワユキヒデ/編曲:ミッキー吉野)を発売。表題曲は米映画『アバランチエクスプレス』のイメージソングで、別名“『アバランチ・エクスプレス』愛のテーマ”。オリコン15位。

 

8月4日、アニメ映画『銀河鉄道999』が公開。同名主題歌“銀河鉄道999”は11thシングルとして7月1日に発売,

オリコン2位を記録。

 

11月11日、『西遊記II』放送開始(1980年5月4日まで)。エンディングテーマ“ホーリー&ブライト”を提供した。オリコン17位。

 

同年、サントリービールのCMにタケカワのソロ名義“ハピネス”を、タケダ・ベンザエースのCM曲“マジック・カプセル”を提供した。

 

 

同年、“ビューティフル・ネーム”、タケカワのソロ名義“ハピネス”を含め、“はるかな旅へ”、“銀河鉄道999”の4曲が同時にトップ20にランクインするなど、ヒットを連発。

 

 

1980年1月、イギリスにてSATRILより、ゴダイゴにとってキャリア初となるベスト・アルバム『LONDON CELEBRATION』が発売。後に日本に逆輸入された。

同年、朝日放送のTVスペシャル『アフリカの黒い太陽』への出演とテーマソング“リターントゥ・アフリカ”の提供が決定。オリコン17位。

 

2月7日、カトマンズのネパール王立競技場で6万人の観客の前でコンサートを開く。

同年、ネパールの首都カトマンズ・王立競技場で観客数6万人のゴダイゴ・コンサートを開催。中国・天津で初のロックコンサートを2日間行う。
3月30日、ベーシストのスティーヴ・フォックスが宣教師になるために脱退。

5月1日、翌1981年に開催予定であった神戸の国際博覧会「ポートピア'81」のために14thシングル“ポートピア”(作詞:百田直裕:奈良橋陽子:伊藤アキラ/作曲:タケカワユキヒデ/編曲:ミッキー吉野/ホーンアレンジ:岸本博)をリリース。ポートピアのPRキャンペーンを展開。オリコン23位。

 

7月29日、吉澤洋治(G,B)が加入。

9月1日、15thシングル“カトマンズ”を発売、オリコン29位。

 

10月にはロサンジェルスにて市制200周年を記念したシビックシアターでのイベント「ストリート・シーン」に出演。

10月22・23日には中国天津市、天津第一工人文化宮で開催された「第一回中日友好音楽祭」に出演し新曲“プロミス・イン・テンシン”を発表。中国での初のロックコンサートになる。このライヴの模様はライヴアルバム『中国后醍醐』に収められている。

12月31日、第31回NHK紅白歌合戦に出場、“ポートピア”を歌唱した。

 

 

1981年1月1日、17thシングル“ナマステ”を発売、オリコン86位。

 

2月、ローマ法王歓迎コンサートに出演。

9月、アルバム『M.O.R』を発表。

10月1日、18thシングル“愛の3イヤーズ”を発売、オリコン99位。

 

 

1982年2月1日、20thシングル“ 魔法のあかり”を発売、オリコン74位。

6月、アルバム『CMソンググラフィティーVol.2』を発表。

この頃からメンバーのソロ活動が目立ちはじめる。

 

 

1984年1月21日、アルバム『フラワー』を発表。

9月21日、ライヴ・アルバム『平和組曲』を発表。

11月21日、アルバム『ONE DIMENSION MAN』を発表。

同年、オーストラリアにて『ロイヤル・メルボルン・ショー』(現: Melbourne Royal Show)に招かれ、ゴダイゴとしてのライヴを行う。

 

 

1985年、ファイナル・ツアーを敢行。

4月21日、東京厚生年金会館を最後にゴダイゴの活動に終止符を打つ。当時、公式には「インターミッション(活動休止)」と呼称しており、後に吉野は「当時[解散]が流行っていたので使いたくなかった」と語っている。

 

 

解散後、ミッキー吉野はゴダイゴの精神を引き継いだアルバムを2枚発表した。これらのアルバムには浅野孝已やスティーヴ・フォックスも参加している。

 


1988年、タイガース・メモリアル・クラブ・バンドに2年間在籍。萩原健一とも交流する。

 

 

1990年、『ドラゴンクエスト アベル伝説』(フジテレビ)の音楽を担当。

その後は音楽専門学校の顧問・アーティストのプロデュースなどをする。


1992年、吉野が覚醒剤使用容疑で逮捕される。


1999年、ゴダイゴを期間限定で再結成し、翌2000年まで活動。

11月5日、ゴダイゴとして十数年ぶりとなる22ndシングル“JAVA WA JAVA”を発売、オリコン89位。

 


2004年、バンド「ザ・ゴールデン・カップス」の限定再結成に参加。

同年、矢口史靖監督映画『スウィングガールズ』の音楽を担当し、岸本ひろしとともに「第28回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞。



2006年、ゴダイゴを再結成。


2007年、女性画家と結婚。式の牧師はゴダイゴのメンバーでもあるスティーヴ・フォックス。

同年、『市原悦子ドラマライブ あらしのよるに』におばさん山羊役で出演し、舞台音楽も担当。なお、2004年の初演にも出演している。

同年、東京・池袋、東京芸術劇場よりロックコンサートの音楽監督に招かれ、「2007 TOKYO 新創世紀」と題し、ゴダイゴを中心に和楽器と大勢のゴスペルクワイヤーを迎えたコンサートをする。


2008年、矢口史靖監督映画『ハッピーフライト』の音楽を担当。



2012年、矢口史靖監督映画『ロボジー』の音楽を担当。


2015年、片島章三監督映画『ハッピーウエディング』の音楽を担当。


2025年、バンド「堺正章 to MAGNETS」を結成。主なメンバーは他に、堺正章(Vo)、シシド・カフカ(Ds)。ライヴツアーを行う。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ミッキー吉野」「ザ・ゴールデン・カップス」「ゴダイゴ」

 

 

(関連記事)