シーナ(SHEENA/本名:鮎川 悦子(あゆかわ えつこ)/旧姓:副田/1953年11月23日~2015年2月14日)は、日本の歌手。

 

 

 

1953年11月23日、副田悦子は、福岡県若松市(現:北九州市若松区)にひとり娘として生まれる。父はアメリカ軍基地のハウスボーイを経てダンスホールマネージャーを経験、後に洋装店を継いだ。悦子は子どもの頃から父の経営するダンスホールで様々なダンスを踊っていたという。

幼い頃は虚弱児だったが、体を鍛え、小学校の卒業アルバムの寄せ書きには「私は歌手になって世界中を回りたい」と書いていた。

中学2年生の時、陸上部でNHK放送陸上の九州大会に出場、ハードル部門で予選1位通過するまでになる。

中学3年生の時、一人で福岡から東京まで家出をしたことがある。

これを皮切りに、中学・高校時代は自由と様々な音楽を求めて家出を繰り返す「夢見る家出少女」だったという。


1971年、高校3年生の夏休みに家出をして京都へ行く。その帰りに博多のダンスホール「ヤング・キラー」に立ち寄った際に、ロックバンド「サンハウス」で演奏する鮎川誠(あゆかわ まこと/1948年5月2日~)と出会う。ステージ終了後に意気投合、すぐに交際を深め、同棲生活を始めた。

 

1976年、4年ほどの同棲を経て、妊娠を機に結婚。

同年10月8日、双子の女児、長女:陽子、次女:純子を出産。

 

 

1978年、サンハウスが解散し、鮎川は音楽を続けるため単身上京。

同年、鮎川の楽曲を女性シンガーが歌うことになり、レコーディングスタジオについて行ったところ、その女性シンガーから唐突に水を向けられ、チャック・ベリーの“カム・オン”を歌うこととなった。それまでシンガーの経験はなかったが、幼い頃から「一枚でいいから自分で歌ったレコードを作りたい」という夢が再燃、「歌いたい」と鮎川に告白した。それを受けた鮎川が「シーナがヴォーカルをとるバンドを作ろう」と決意。シーナは福岡から上京、幼い双子の娘を両親に預けての決意だった。当初のラインナップは、シーナ(Vo)、鮎川誠(G)、元サンハウスの奈良敏博 (1951年11月19日-/B)と川嶋一秀 (1956年1月19日-/Ds)。

バンド活動をするにあたり、悦子は活動名を「シーナ」とする。この名は、夫:鮎川の祖母の名前が「鮎川シナ」であったことと、2人が好きなバンド・ラモーンズの楽曲“シーナはパンクロッカー”という曲に由来。
10月25日、“涙のハイウェイ”(作詞:麻生香太郎/作曲:シーナ・ロケット)でエルボンレコードからデビュー。ニュー・ウェイヴ、パンク旋風にあって、サウンドやビジュアル面で60'Sポップスから大胆なリスペクトをした内容になっている。

 

当時の名義は「鮎川誠&シーナ・ロケット」、「鮎川誠&ミラクルメン」であった。

その後、バンド名を「シーナ&ザ・ロケッツ」とする。英語での表記は「SHEENA & THE ROKKETS」とし、ロケット「rocket」とは綴りを変えている。

12月31日、内田裕也主催の「第6回ニューイヤーロックフェス」に出演。以降、年末に参加するのが恒例となる。

 


1979年、奈良が脱退し、後任に元サンハウスの浅田孟(1956年2月18日-/B)が加入。

3月25日、1stアルバム(LP)『Sheena & the Rokkets #1』を発売。サンハウスのナンバー“レモンティー”(作詞:柴山俊之/作曲:鮎川誠)のカヴァーを収録、後々までライヴで必ず演奏される代表曲となる。なお、作詞者の「柴山俊之」はサンハウスのヴォーカリスト「菊」の本名。

同年、アルファレコードへ移籍。

10月25日、細野晴臣らイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)のメンバーの協力を得て、2ndアルバム『真空パック』を発表。キンクスのカヴァー“ユー・リアリー・ガット・ミー”(YOU REALLY GOT ME/作詞・曲:RAY DAVIES)などを収録。

 

 

 

12月5日、シングル“ユー・メイ・ドリーム”(作詞:柴山俊之・Chris Mosdell/作曲:鮎川誠・細野晴臣)を『真空パック』からリカット、JAL「マイ・ハート・キャンペーン」CMに使用されたこともあり、オリコンシングルチャート最高位20位に到達、ブレイクを果たす。

 

 

 

1980年10月21日、細野晴臣と高橋幸宏プロデュース、イエロー・マジック・オーケストラのゲスト参加により3rdアルバム『Channel Good』を発売。同時発売のシングル“ベイビー・メイビー”(作曲:高橋幸宏)でシーナは作詞も手掛けた。

 

 

 

11月21日、4thシングル“浮かびのピーチガール”(作詞:糸井重里/作・編曲:イエロー・マジック・オーケストラ)を発売。

 

12月21日、5thシングル“キス・ミー・クイック”(作詞:Chiris Mosdell/作曲:鮎川誠)を発売。

 

同年、ロサンゼルスの大手、A&Mレコードから英語版を全世界に向けて発表。

 


1981年2月21日、スネークマンショーのアルバム『スネークマン・ショー』(SNAKEMAN SHOW/通称「「急いで口で吸え!」)に、“レモンティー”で参加。

 

7月21日、6thシングル“ピンナップ・ベイビー・ブルース”(作詞:糸井重里/作曲:鮎川誠)を先行発売。

 

9月5日、4thアルバム『Pin-up baby blues』を発売。

 

 

 

9月17日、アルバム『Sheena & the Rokkets in U.S.A』を発売。

同年、日本武道館にて開催された小学館主催の「写楽祭」ではYMOとシーナ&ザ・ロケッツによる共演も実現した。

 

 

1982年12月26日、細野をはじめYMOチームのバックアップによるテクノとガールズ・ポップを融合させたソロアルバム『いつだってビューティフル』を発表する。

その後、シーナは妊娠・出産のため「産休」をとり、その間、鮎川・川島・浅田の3人は「ザ・ロケッツ」として活動。

 

 

 

 

1984年、ビクター音楽産業に新しく創設された「Invitation」(インヴィテーション)レーベルに移籍。

3月21日、ザ・ロケッツのアルバム『ROKKET SIZE』を発売。

9月21日、7thシングル“スイート・インスピレーション”(作詞:柴山俊之/鮎川誠)でシーナが復帰。

 

11月21日、シナロケとしては3年ぶりとなる5thアルバム『New Hippies』を発売。

 

 

1985年5月21日、8thシングル“今夜はたっぷり”(作詞:柴山俊之/作曲:鮎川 誠/編曲:シーナ&ロケッツ)と6thアルバム『Main Songs』を同時発売。

 

 

 

1986年2月21日、7thアルバム『Gathered』を発売。

8月21日、9thシングル“ABC”(作詞:柴山俊之/作曲:鮎川 誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS with 白井良明)を発売。

 

12月16日、自身初のライヴアルバム『Captain Guitar and Baby Rock』を発売。実際のライヴのセットリストとほぼ同じ選曲・構成で、ライヴが追体験できる一枚。

 


1987年6月21日、10thシングル“どうしても逢いたい”(作詞:有川正沙子/作曲:鮎川 誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS)を発売。

 

9月21日、9thアルバム『#9』を発売。

同年、浅田が脱退。

 

 

1988年、奈良が復帰。

7月21日、11thシングル“HAPPY HOUSE”(作詞:シーナ/作曲:鮎川誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS)と10thアルバム『HAPPY HOUSE』を同時発売。

同年、シナロケはニューヨークのCBGBでライヴデビューを果たす。

 

 

 

1989年4月21日、12thシングル“ANGEL EYES”(作詞:柴山俊之/作曲:鮎川 誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS)を発売。

 

5月21日、13thシングル“PERMANENT HONEYMOON”(作詞:柴山俊之/作曲:鮎川 誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS)を発売。

 

8月21日、11thアルバム『ドリーム&リボルト』を発売。

その後、奈良が再び脱退。

 

 

1990年、学生援護会(現「パーソルキャリア)『サリダ』のテレビCMにて、“憲法第22条の歌”で「職業選択の自由・アハハン」と歌ったことでも話題になった。

 

この頃、川嶋が脱退。

 

 

1991年2月21日、2ndミニ・アルバム『Family dancing』をリリース、表題曲は岩田屋CMソングに起用された。また、“憲法第22条の歌”をタイトル変更した“じゆう”(作詞:一倉 宏・補作詞:シーナ/作・編曲:鮎川 誠)を収録。

 

 

 

1992年6月21日、14thシングル“(ハ!ハ!ハ!) ハードドラッグ”(作詞:シーナ/作曲:鮎川 誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS)を先行発売。

 

6月23日、12thアルバム『(ha! ha! ha!) Hard Drug』を発売。ジョニー吉長がドラムを演奏した。

 

 

1994年3月24日、15thシングル“ロックの好きなベイビー抱いて”(作詞:阿久悠/作曲:鮎川誠/編曲:SHEENA & THE ROKKETS)を発売。

 

4月21日、“ロックの好きなベイビー抱いて”を含む全作詞・阿久 悠による珠玉のロックナンバー10曲を収録した13thアルバム『Rock on Baby』を発売。

 


1996年2月、インターネット黎明期に日本のバンドとして初となるホームページを鮎川が立ち上げ、インターネットとの奮闘を書き下ろした『DOS/Vブルース』を幻冬舎から発売。1998年AMDアワードを受賞し、シーナ、鮎川陽子と出席して賞を受ける。

 

 

1997年8月6日、14thアルバム『@HEART』と16thシングル“インターネット・キッス”(作詞:クリス=モスデル・シーナ/作曲:鮎川誠)を同時発売。ザ・ロッカーズ、ルースターズ、THE WILLARDなどに所属した穴井仁吉(あない にきち/1959年1月26日-)がベースを担当した。アルバムにはシーナ作詞の“キッチン・パニック”(作曲:鮎川誠/編曲:細野晴臣)を収録。

 


1998年、FUJI ROCK FESTIVAL'98 in Tokyoに出演。沖縄・北海道ツアー開催。

5月、鮎川誠生誕記念オールナイトパーティ開催。

 

1999年3月、新宿ロフト最後の日にシナロケがワンマン出演。

5月、ウィルコ・ジョンソン/シーナ&ロケッツJAPANツアーを開催。


2000年8月9日、オリジナル・ドラマーの川嶋一秀が復帰して、15thオリジナルアルバム『ROCK THE ROCK』を発売。

 

同年、FUJI ROCK FESTIVAL'00に出演。

 

2001年1月24日、初期の名曲から最近の楽曲までを網羅したライヴ・ベスト『爆音ミックス』を発売。鮎川が自ら運営するオフィシャルサイトにてファン投票により選曲された。

同年、「北九州博覧祭2001」、郡山ワンステップフェスティバル復活イベント「ワンステップへの旅 in うつくしま未来博」に出演。


2002年、シナロとラモーンズのディー・ディー・ラモーンジョイントライブ開催予定がディー・ディー・ラモーンの死去により急遽、追悼ライヴとして行われる。


2003年、SHIBUYA-FM7周年を記念するライヴ「SHIBUYA-CALLING」に出演。

7月にベスト・アルバム『Dream BOX』、『The Greatest Sheena & The Rokkets』を発売。

11月に東京SHIBUYA-AXにてシーナ&ロケッツ25周年ライヴを開催。

12月には福岡CBにて『HAPPY 25th ANNIVERSARY』を2Daysで開催。


2004年、シナロケ25周年を記念してリミックス盤『ELECTROKKETS』発売。さらに25周年を記念DVD『LOVE LIVE』を発売。

同年、シーナが小学館『PRECIOUS』創刊CMに出演。

同年、シーナ&ロケッツで霧島酒造「黒霧島」CMに出演。黒霧島は大ヒットとなり、製造が追いつかない事態となる。

同年、北九州若松の野外音楽堂を使用した初のロック・フェスティバル「高塔山ロックフェス」を発案(以降シーナ&ロケッツとして14年出演)。

 

 

2008年4月23日、シーナ&ロケッツ結成30周年を迎え、17thアルバム『JAPANIK』を発売。

 

 

5月、恵比寿ガーデンホールにて『JAPANIK』発売と結成30周年を祝う『S&R HAPPY 30th ANNIVERSARY SPECIAL』を開催。内田裕也、細野晴臣、高橋幸宏、柴山俊之、永井隆、花田裕之、チバユウスケ、大貫憲章、DJ.IHARAらがゲストとして駆けつけた。

 

 

2009年、北九州市の観光大使に任命される。

同年、ロックでハッピーに生きる術を語った 『YOU MAY DREAM〜ロックで輝きつづけるシーナの流儀〜』を上梓。シーナはこの本で初めて手術のことを告白し、鮎川誠とともに爆音の中ステージで歌える喜びを綴っている。(30年以上に渡る過酷なライブ・ツアーで喉を酷使したことにより、ポリープが声帯全部に広がり、ゼリー状に腫れ上がってしまうという喉の大病を患っていたシーナ。ライヴ直後に呼吸困難となって、窒息死寸前という状態に陥り緊急手術を行った。幸運にも名医と出会ったことで奇跡的に喉の大病を克服した)。

4月、プライベートで来日中のウィルコ・ジョンソンとともにライヴを企画「TOKYO SAKURA SESSION 2009」をレッドシューズで開催。

同年、「大人のロックショウ」を開催、6地区14公演(ブルーノート名古屋、ブルーノート東京、ビルボードライブ大阪)を始めとする 各地ソールドアウト。着席でもロックンロールを体感できる事を証明した。

 

 

2010年、テレビ西日本のテレビドラマ 『ハートブレイク屋台』で女優に初挑戦。

同年、出演者全員「GIRL!」にこだわったイベント「BAD GIRL ROCK」を発起。

福島県郡山市立美術館で鮎川・シーナによるトークショー『60'sロック談義』実施。

 

 

2011年3月九州新幹線開通式典に鮎川とシーナで出演する当日、東日本大震災が起きてイベントが中止となる。

7月、シーナの故郷、北九州で東日本大震災復興支援チャリティーライヴを開催、北九州市長にライヴの全売上金を寄付する。

9月、布谷文夫と『スーパーセッション2011』を東京・北海道計4ヵ所にて開催。

同年、世界的なロック・フォトグラファー「ボブ・グルーエン」(BOB GRUEN)の歴史的なロックスターばかりを撮影した写真集『ROCK SEEN』に唯一日本人アーティストして、シーナ&ロケッツのNY・CBGBでのライヴ写真が2枚掲載されたことが話題となる。(2004年のボブ・グルーエンによるCBGB写真集にも同写真が掲載された他、CBGB救済にも名を連ねている)

 

 

2012年シーナの故郷、北九州市若松の若戸大橋50周年イベントにトークライヴで出演。

 


2013年、シナロケがウィルコ・ジョンソンのホストバンドとして、WILKO JOHNSON TOKYO SESSION 2013を開催。ライヴDVDを発売し即完売する。

4月から35TH ANNIVERSARY TOUR を全国25ヵ所にて開催する。

5月、富士スピードウェイにてハーレーダビッドソン日本上陸100周年を祝。1万人規模の来場者を魅了する。

7月、代々木公園のフリーフェス『EARTH GARDEN』に出演、投げ銭ライヴにて過去最高の動員と投げ銭額を記録する。

ウッドストック継承、長野の『フォーク&ロックフェス』に出演。FUJI ROCK FESTIVAL'13に5年ぶり、かつ5回目の出演。

12月、鋤田正義写真展にて鮎川誠&シーナのトークショーを開催。

12月、ニューイヤー・ロックフェス36年連続完全出場記録を更新。
 

 

2014年5月、鮎川誠 生誕66年祭シーナ&ロケッツ2デイズを行う。

7月23日、6年ぶりとなる18thアルバム『ROKKET RIDE』をリリース、12曲の新曲を2日間でレコーディングした。オリコン126位、アマゾン・ベストセラー1位。また、17thシングル“太陽のバカンス”(作詞:柴山俊之/作曲:シーナ)をタワーレコード限定で同時発売。

 

 

7月、シーナが体調を崩し、子宮頸癌のステージ4が発覚したが、シーナの強い希望により、家族以外に一切病状を明かすことも、休業することもなく、亡くなる2ヵ月前までライヴ活動を行った。

9月、日比谷野外音楽堂にてワンマンライヴを開催。福岡にてミュージックシティ天神、シーナの故郷・北九州若松にて高塔山ロックフェス開催。

11月、ヒステリックグラマーの30周年イベントに出演。

 

 

 

2015年2月14日、子宮頸癌のため東京都内の病院で死去。61歳没。

 

 

通夜は2月18日、告別式は2月19日に東京・下北沢の葬祭場で行われた。シーナの通夜には、アマチュア時代から親交があった海援隊(武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣)や内田裕也、石橋凌、YMOの細野晴臣、高橋幸宏、浅井健一、甲本ヒロト、映画監督の崔洋一、歌舞伎役者の中村獅童、写真家の鋤田正義ら多くの著名人をはじめ2000人が参列した。

 


今後の活動について鮎川はシーナの遺志を継いでいくことを明言し、シーナ&ロケッツを続行。鮎川が全曲のヴォーカルを取り、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とともに3ピースで活動を続け、以降も数々のイベントやロックフェスに出演。

4月7日、鮎川とシーナの末娘であるLUCYがこの日「シーナの日#1」よりゲストヴォーカルを務める。特別なライヴのみLUCYが入った4人編成でライヴを行っている。
 

 

2016年8月、最愛のパートナーであり、妻であり、日本の女性ロックボーカリストの先駆けであったシーナとの出会いから、シーナ&ロケッツ結成秘話、そしてずっと一緒に歩んできた日々を語った鮎川誠のロングインタビューをノーカットで「シーナの夢 若松、博多、東京、HAPPY HOUSE」(西日本新聞社)として書籍化。発売後2週間には増版される。またそのロングインタビューを放送したCROSS FM「HAPPY HOUSE」は、日本放送文化大賞グランプリを受賞した。
 

 

2017年、鮎川の69歳(ロック年)を記念して、シーナ&ロケッツ史上初の全国47都道府県ツアー「47(SHEENA)ROKKET RIDE TOUR」を全県踏破して40周年目に突入した。
 

 

2018年デビュー40周年を迎えて、鮎川誠の監修・選曲による41曲がリマスターされた最新ベスト盤「ゴールデン☆ベスト EARLY ROKKETS 40+1」、「ゴールデン☆ベスト VICTOR ROKKETS 40+1」をソニー・ビクターからそれぞれ2月28日、3月28日に2ヵ月連続Wリリース。

2018年の4回目の「シーナの日」はベスト盤のリリースにちなんで、一夜に42曲を演奏してファンを魅了した。またシーナの逝去から3年後、シーナ&ロケッツを題材とした、NHK福岡放送局制作の『福岡発地域ドラマ「You May Dream〜ユーメイ ドリーム」』が2018年3月2日に九州・沖縄地方で放送。さらに、2018年9月24日には、NHK総合テレビジョンで、全国放送された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「シーナ(歌手)」「シーナ&ロケッツ」

 

 

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