高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ/1952[昭和27]年6月6日~)は、

日本のシンガーソングライター、ドラマー、編曲家、音楽プロデューサー。

 

 

 

1952(昭和27)年、高橋幸宏は東京に生まれる。兄は、元ザ・フィンガーズで音楽プロデューサーの高橋信之。姉は、日本のファッション界における広報の第一人者である伊藤美恵。

 

小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていたという。

立教中学校(現:立教池袋中学校)時代、同級生の東郷昌和と「ブッダズ・ナルシィーシィー」というパーティーバンドを結成、学内外で活動していた。なお、東郷は後に高橋の兄・信之のプロデュースでフォークグループ「バズ」としてデビューする。

立教高等学校(現:立教新座高等学校)在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。

 

1969(昭和44)年、フォークバンド「ガロ」のサポートメンバーとして加わる。しかし、“学生街の喫茶店”ヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼とともに離脱。

 

1972(昭和47)年、武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科在学中に、加藤和彦の誘いを受け、脱退した角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)の後任として「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。高橋の誘いで小原礼も加入した。

 

1973(昭和48)年5月5日、1stアルバム『SADISTIC MIKA BAND』をリリース。今井裕(キーボード、サックス)がサポートで参加。ちなみに小田和正もファースト・アルバムでサポート・メンバーとしてピアノを弾いていた。

 

 

1974(昭和49)年10月5日、アルバムからの先行リリースで、3rdシングル“タイムマシンにおねがい”を発売。

11月5日、2ndアルバム『黒船』を発売。前作でサポートだった今井裕が正式に加入。

 

 

その後、小原礼が脱退し、後任ベーシストとして後藤次利が参加。

 

 

1975(昭和50)年11月5日、3rdアルバム『HOT! MENU』リリース。

 

 

同年、ロキシー・ミュージックの全英ツアーにてオープニング・アクトを務めた。

11月、加藤和彦とミカが離婚、これによりサディスティック・ミカ・バンドは解散。

 

 

1976(昭和51)年春、ミカ・バンドのメンバーだった高橋(Ds)と高中正義(G)、後藤次利(B)、今井裕(Key)によって、「サディスティックス」を結成。

 

 

1977年6月、1stアルバム『Sadistics』をビクター音産インビテーション・レーベルから発売。

 

 

1978(昭和53)年2月、細野晴臣のソロアルバムのレコーディングで、高橋と細野、坂本龍一の3人が初めて顔を合わせる。その晩、細野の呼びかけに応じる形で「Yellow Magic Orchestra 」(イエロー・マジック・オーケストラ/Y.M.O.)を結成。

6月21日、初のソロアルバム『サラヴァ!』(Saravah!)を発売、タイトルはピエール・バルーのレーベル名(サラヴァ・レーベル)が由来である。

8月、2ndアルバム『WE ARE JUST TAKING OFF』発売。メンバー各自の認知度が上がり、それぞれが目指すソング・ライティングの出発点がここに提示。サディスティックスのグループとしての洗練されたサウンドの集大成とされる。

 

 

8月29日、九段会館で行われたライヴ(ゲストにペッカー、斉藤ノブ、村上秀一を迎えた)をもってサディスティックスは活動休止。この頃、氏名の表記を「高橋ユキヒロ」とした。

11月25日、Y.M.O.は1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』をアルファレコードより発売。オリコンチャート最高位69位となった。国内では本作からのシングル発売はなかったが、英国では“Yellow Magic (Tong Poo)”(邦題「東風」/作曲:坂本龍一)、“La Femme Chinoise”(「中国女」/作詞:クリス・モスデル/作曲:高橋ユキヒロ)、米国では“Computer Game”(「コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ”」/作曲:イエロー・マジック・オーケストラ)、“Cosmic Surfin'”(「コズミック・サーフィン」/細野晴臣)が各々シングルカットされた。

 

 

 

 

 

結成当初、Y.M.O.のメンバーはヴォーカルを取らずゲスト・ミュージシャンに任せる意向を細野が持っていたが、坂本の推挽で高橋が“中国女”のヴォーカルを取ったことで、ヴォーカリストとしての才能も発揮。高橋はまた、衣装のデザインも手掛けていた。

 

 

1979(昭和54)年5月30日、デビュー・アルバムを北米マーケット向けにリミックスしたアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ(米国盤)』をA&Mレコード傘下トミーの自己レーベル、ホライゾン・レコードから発売。

 

 

9月25日、Y.M.O.の2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を発売、国内で100万枚以上のセールスを記録し、同アルバム収録の“テクノポリス”(作曲:坂本龍一)、“ライディーン”(作曲:高橋ユキヒロ)は、YMOのパブリック・イメージとなる。また“デイ・トリッパー”(作詞・曲:レノン&マッカートニー)、“ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー”(作曲:高橋ユキヒロ)の2曲は海外でも評価が高く、名声を得た。なお、この2曲のみシーナ&ザ・ロケッツのギタリスト鮎川誠がゲスト参加している。

 

 

 

 

 

 

1980(昭和55)年、「POP THE HERO '80s」(ラジオ関東)のパーソナリティを担当、準レギュラーに当時のマネージャー伊藤洋一も出演。

同年の後半、氏名の表記を「高橋幸宏」に戻す。

6月21日、ソロアルバム『音楽殺人 MURDERED BY THE MUSIC』を発売、オリコン12位。

 

 

 

1981(昭和56)年、鈴木慶一とともに「THE BEATNIKS」(ビートニクス)を結成し、活動を開始。

12月5日、ビートニクスの1stアルバム『EXITENTIALISM 出口主義』発売。同時発売でシングル“No Way Out”を発表。

 

 

1982(昭和57)年、個人事務所「オフィス・インテンツィオ」を設立。

7月21日、ソロ名義でミニアルバム『WHAT, ME WORRY?』発売。“It's Gonna Work Out”(作詞:ピーター・バラカン&高橋幸宏/作曲:高橋幸宏)収録。

 

 


1983(昭和58)年3月25日、シングル“君に、胸キュン。”(作詞:松本隆/作曲:細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏)を発売、オリコンのシングル週間ランキング2位を記録する。

 

4月、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のパーソナリティを担当。

4月28日、YMOのシングル“ポケットが虹でいっぱい (Pocketful of Rainbows)”(作詞・作曲:Fred Wise & Ben Weisman(日本語訳:湯川れい子)/編曲:YMO)発売、オリコン13位。

 

5月26日、YMOの10thアルバム『テクノドン』 (TECHNODON) が発売。

 

6月25日、ソロシングル“前兆 まえぶれ”発売。

 

7月27日、シングル“過激な淑女”(作詞:松本隆/作曲:細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏/編曲:YMO)発売、オリコン15位。

 

8月25日、5thソロアルバム『薔薇色の明日 TOMORROW'S JUST ANOTHER DAY』発売、オリコン11位。

9月28日、シングル“以心電信 (YOU'VE GOT TO HELP YOURSELF)”(作詞:細野晴臣&ピーター・バラカン/作曲:坂本龍一・高橋幸宏/編曲:YMO)を発売、オリコン23位。

 

同年12月、Y.M.O.を「散開」(解散)するとともに、『オールナイトニッポン』の担当を終了。

 

YMO散開以降、ソロ活動を本格化させ、また「ビートニクス」としてもマイペースに活動。

 

 

1984(昭和59)年11月10日、ソロアルバム『WILD&MOODY』を発売、オリコン13位。

 

 

1985(昭和60)年4月25日、ソロシングル“POISSON D'AVRIL -四月の魚- (single edit)”発売。

 

11月1日、ソロアルバム『Once A Fool, … ―遥かなる想い― 』を発売、オリコン11位。

 

 

1987(昭和62)年6月21日、ビートニクスの2ndアルバム『EXITENTIALIST A GO GO ビートで行こう』発売。

9月1日、ビートニクス2ndシングル“River In The Ocean”発売。

 

 

1989(平成元)年、ヴォーカルに桐島かれんを迎えたサディスティック・ミカ・バンドの一時再結成に参加。

3月1日、再結成後初、ミカバンド通算6枚目シングル“Boys & Girls”(作詞:森雪之丞・小原礼/作曲:加藤和彦・高橋幸宏・小原礼)を東芝EMI/イーストワールドより発売、オリコン13位に達した。マツダ『ファミリア』CMソング。

 

 

1990(平成2)年4月4日、10thソロアルバム『BROADCAST FROM HEAVEN』を発売、オリコン11位。

 

 

1992(平成4)年3月、山本耀司、高橋信之、田中信一とともに「AGENT CON-SIPIO」を設立。

同年、アニメ『まぼろしまぼちゃん』のOP曲にミカ・バンドの3rdシングル“タイムマシンにおねがい”が使われ、同じくED曲に使われた“サイクリングブギ”とともに同年6月17日にCDシングルとして再発される。 ミカ自身は再結成に際し、「呼ばれてもいない」ということで「ミカ・バンド」というグループ名を再結成バンドが掲げることに対し、遺憾の意をインタヴューで表明している。

 

 

1993(平成5)年、録音スタジオ「CONSIPIO STUDIO」とレコードレーベル「CONSIPIO RECORDS」を発足。

同年2月、YMO「再生」(再結成)を発表し、東京ドームにてコンサートを行う。

 

 

1997(平成9)年、自らも「CONSIPIO RECORDS」に移籍したが、現在は休眠状態である。 

 

 

2001(平成13)年8月4日、ビートニクス3rdアルバム『 M.R.I. Musical Resonance Imaging』発売。

 

 

2002(平成14)年、細野晴臣とともにYMO以来のユニット「スケッチ・ショウ」を結成する。

 

 

2004(平成16)年、スケッチ・ショウ+坂本龍一のユニット「ヒューマン・オーディオ・スポンジ (HAS)」として、エレクトロニカイベント「sonar」に出演。

 

 

2005(平成17)年、再び東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)と契約。

 

 

2006(平成18)年3月、7年ぶりのソロアルバム『BLUE MOON BLUE』をリリース。スケッチ・ショウで実践したエレクトロニカの手法を通過させた新機軸のポップ路線を展開した。アルバム発表後は高野寛、高田漣、権藤知彦を主要メンバーに迎え、ライヴハウスからロックフェスまで、各地でライヴを精力的にこなした。

 

10月、恵比寿ガーデンホールで開催された「SONAR」への出演を交えながら、新宿ICC、仙台メディアテーク、東京都現代美術館の3箇所で「ミュージアムツアー」と称したライヴを行い、インプロヴィゼーション中心のクオリティの高い演奏を披露、新たなる次への展開を窺わせた。 

同年、キリンラガービールの本人出演テレビCMとの連動企画で、木村カエラをヴォーカルに迎えて「Sadistic Mica Band Revisited」が二度目の再結成。CMにはカエラ・ヴァージョンの“タイムマシンにおねがい”が使用された。

※映像の最初2分20秒くらいは記者会見の模様。

 

10月25日、ミカバンド名義では17年ぶりとなるアルバム『NARKISSOS』をリリース。この際に、バンド名のアルファベット表記を、カエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band(カナ表記はそのまま)としている。

 

 

2007(平成19)年2月、キリンラガービールCMの企画でY.M.O.が二度目の再結成。本人出演のCMでは代表曲“ライディーン”のセルフカヴァー版“RYDEEN 79/07”(作曲:高橋幸宏/編曲:YMO[細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏])を披露し、同時にネット配信を開始。同曲はオリコンのデイリーチャートで1位を獲得する。

 

5月、小児がんを中心としたさまざまな病気と闘う子どもたちの支援を目的とするチャリティ団体「Smile Together Project」主催のコンサートに、SKETCH SHOW+坂本龍一のユニット、Human Audio Sponge(HAS)で出演。

7月、Y.M.O.として地球温暖化防止を訴える世界規模コンサートである「Live Earth」に出演。

8月、「HASYMO(ハシモ)」名義でのシングル“RESCUE RYDEEN 79/07”を発売。

 

 

2008(平成20)年6月、英MELTDOWN FESTIVALにキュレーターであるMASSIVE ATTACKに「多大な影響を与えたアーティスト」と招かれ、Y.M.O.として28年ぶりのロンドン公演を行う。

同年、高橋の呼びかけで、原田知世、高野寛、高田漣、権藤知彦、堀江博久とともに新バンド「pupa」を結成。高橋は全メンバーの衣装をデザインした。

7月2日、pupaの1stアルバム『floating pupa』リリース、オリコン初登場30位。

 

 

2009(平成21)年3月11日、ソロアルバム『Page By Page』をリリース。小山田圭吾をサポートに迎え同年6月6日には3年ぶりのソロ・ライヴ、7月には自ら「念願だった」というフジロック・フェスティバルに出演、10月にはフェス形式のライブハウス公演に登壇するなど単発的ながら充実のライヴ活動を展開した。

 

 

2010(平成22)年、pupaの2ndアルバム『dreaming pupa』をリリース、オリコン初登場30位。

 

 

2011(平成23)年10月12日、4thアルバム『 LAST TRAIN TO EXITOWN 』発売、 オリコン68位。

 

 

2012(平成24)年12月22日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて高橋幸宏の還暦を記念するライヴ「高橋幸宏 60th Anniversary Live」が開催された。

 

 

2013(平成25)年9月12日、芸術総合誌『ユリイカ』2013年10月臨時増刊号として「総特集◎高橋幸宏」が発売された。

 

 

2014(平成26)年、新ユニット「高橋幸宏&METAFIVE」を、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井とともに結成。

同年7月27日、ライヴアルバム『TECHNO RECITAL』をリリース。

9月3日、高橋幸宏&METAFIVEの1stシングル“Split Spirit”発売。

 

 

2015(平成27)年、LOVE PSYCHEDELICOのツアーに帯同。

高橋幸宏&METAFIVEを「METAFIVE」に改める。

 

 

 2016(平成28)年1月13日、METAFIVEの1stアルバム『META』を発売。

 

 

2018(平成30)年2月28日、「The おそ松さんズ with 松野家6兄弟」として、シングル“大人÷6×子供×6”を発売。

 

5月9日、ビートニクスの5thアルバム『EXITENTIALIST A XIE XIE』発売。オリコン29位。

 

10月24日、ソロアルバム『Saravah Saravah!』発売、オリコン29位。

 

 

 

2020(令和2)年7月24日、METALFIVEの2ndシングル“環境と心理”を発売。

 

8月31日、脳腫瘍の摘出手術を行った事を公表。後遺症もなく、無事手術が成功したと語っている。

 

 

 

 

 

 

(関連記事)

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小山田圭吾

 

 

(参照)

Wikipedia「高橋幸宏」「サディスティック・ミカ・バンド」「イエロー・マジック・オーケストラ」「THE BEATNIKS」「pupa」「METAFIVE」

 

ユニヴァーサル・ミュージック・ジャパン「高橋幸宏」