杉 真理(すぎ まさみち/1954年3月14日~)は、日本の歌手、ミュージシャン、ソングライター、ギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ。

 

 

 

1954年3月14日、杉真理が福岡県福岡市博多区に生まれる。
 

1962年、東京都大田区に転居。
転校先の小学校では“スーダラ節”を歌ってクラスの人気者になるなど、人を楽しませることが大好きな性格は既にこの頃には開花していた。
ラジオから流れるロイ・オービソンの“オー・プリティ・ウーマン”を聴いて洋楽に強い興味を抱き、その後はラジオで浴びるように洋楽を聴くようになる。
 

1964年、ビートルズの“のっぽのサリー”を聴いて衝撃を受ける。その後はビートルズの大ファンとなる。この頃初めて買ったレコードも“のっぽのサリー”だった。
楽器を所有していなかったため手作りの楽器で楽曲演奏をしていたが、手が小さいのでギターではなく祖母にウクレレを買ってもらう。
杉の友人に、青山純(後のプリズムのドラマー)の兄がいた。そのため杉は青山にもビートルズのレコードを聴かせるなど交流を持った。これがきっかけで後に青山は杉のバンドのレコーディングに参加している。
 

1966年、大田区立貝塚中学校に入学。同級生とバンドを結成。楽器はウクレレ。
その後、ガットギターを入手する。杉はクラシックの楽曲をアレンジするなどしてギターを演奏。ギターの習得に勤しむとともに、曲作りを始める。
 

1967年、森山良子が出演していたフォーク・コンサートが日比谷野外音楽堂で行われたが、そこに中学生ながら飛び入り出演した。
この頃からジェームス・テイラーやエルトン・ジョンの影響を受けるようになる。

 

1969年3月、大田区立貝塚中学校を卒業。

4月、福岡に戻り、西南学院高等学校(現:西南学院中学校・高等学校)に入学。バンドを結成し、中学時代から始めた作曲も引き続き行う。

 

 

1972年、西南学院高等学校を卒業後、上京。

4月、慶應義塾大学工学部に入学。大学の軽音楽サークル「リアルマッコイズ」に参加。
 

 

1973年、サークル内でバンド「ピープル」を結成。後に竹内まりやも参加。
 

 

1974年9月7日、ヤマハ主催の「ヤマハポピュラーソングコンテスト」の予選である「関東・甲信越大会」(中野サンプラザ)にピープルで出場し、“踊りに行こう”(作詞・作曲:杉真理)を演奏した。同じ大会に出場していた佐野元春と出会い、今日に至るまで杉は佐野を弟のように接して親交は続いている。
同年の「ヤマハJコンテスト」決勝大会(銀座ヤマハホール)に出場。作曲賞を受賞。
 

 

1977年3月25日、シングル“思い出の渦”とアルバム『MARI & REDSTRIPS』を「MARI & REDSTRIPES」名義でビクター音楽産業から発売し、レコード・デビューした。

 

 

1978年、風邪をこじらせて急性髄膜炎で久我山病院に入院、活動を一時休止する。
この間、表舞台での活動を休止していた時期は西荻窪の喫茶店「CITY MAGIC」の運営に携わりながら、作曲家として竹内まりや、須藤薫、レイジーらに楽曲を提供していた。須藤の作曲依頼を受けた時に松任谷正隆と再会し、松任谷由実とも知り合う。

 

 

1980年、CBSソニーに移籍。

5月21日、「THE HOSPITAL」名義でシングル“LIVE CAPSULE”をリリース、表題曲がSONYのカセットテープのCMソングに起用されヒットする。

 

6月21日、「杉真理」名義でソロ・シングル“Hold on”をリリース。

 

7月21日、CBSソニー移籍後初となるソロ・アルバム『SONGWRITER』をリリース。

 

10月1日、ソロ・シングル“Catch Your Way”を発売、表題曲は日産自動車「Catch Your Way キャンペーン」イメージソング。

 

 

1981年、佐野元春、網倉一也、浜田金吾とともに「Japan Contemporary Sound コンサート(ジャパコン)」に出演。この時、ステージ上で大瀧詠一が突然「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」の制作メンバーに佐野と杉を指名する。大瀧が山下達郎、伊藤銀次と制作したスタジオ・アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』の第二弾。

9月21日、ソロ・シングル“ガラスの恋人”を発売。

 

10月21日、ナイアガラ・トライアングル(大滝詠一、佐野元春、杉真理)通算2作目のシングルとして、大瀧作の“A面で恋をして”(作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内)をリリース。オリコン14位とヒットした。

12月3日、渋谷公会堂にて開催された「大滝詠一〈ヘッドホンコンサート〉」にゲスト出演。“街で見かけた君”を演奏後、大瀧・佐野とともに“A面で恋をして”を披露。
 

 

1982年3月21日、ソロ・シングル“夢みる渚”と、アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を同時リリース。オリコンLP(アルバム)チャート最高位2位を獲得、50万枚近い売り上げを記録した。杉は“Nobody“、“ガールフレンド“、“夢みる渚“、Love Her“の4曲で参加した。

 

 

8月31日~9月2日、松任谷由実、須藤薫とのジョイントコンサート「Wonder Full Moon 行かないで夏休み」を開催。

 

 

1982年5月21日、ソロ・シングル“Lonely Girl”とソロ・アルバム『OVERLAP』を同時リリース。

 

8月25日、ソロ・シングル“Teardrops Are Falling”を発売。

 

10月1日リリースのソロ・シングル“バカンスはいつも雨(レイン)”がグリコ「セシルチョコレート」CMソングに起用される。

 

 

1983年3月5日~4月7日、「Wonder Full Moon 行かないで夏休み」の2回目のツアーを全国各地にて実施。

4月21日、ソロ・シングル“内気なジュリエット”と、ソロ・アルバム『STARGAZER』を同時リリース。アルバムには“バカンスはいつも雨(レイン)”を収録。

 

 

6月21日、ソロ・シングル“素敵なサマー・デイズ”をリカット。

 

 

1984年1月21日、Hi-Fi SETに提供した“素直になりたい”(作詞・曲:杉真理/編曲:井上鑑)が20枚目シングルとして発売、シチズンのCMソングに起用されヒットする。

 

5月21日、ソロ・アルバム『MISTONE』をリリース

4月21日、ソロ・シングル“いとしのテラ”を発売。表題曲は、味の素「テラ」CMソングに起用された。

 

6月1日、アーティストブック『MISTONE』を発行。
11月8日、総合プロデュースしたジョイントコンサート「杉真理とその仲間たち」(出演:杉真理、伊藤銀次、Hi-Fi SET、安部恭弘、飯島真理)を中野サンプラザにて開催。

 

 

1985年4月21日、12インチ・シングル“I DON'T LIKE POPS”を「杉真理&THE DREAMERS」名義で発売。表題曲の曲間に挿入されている英語のセリフを、アン・ルイス、五十嵐浩晃、EPO、伊藤銀次、尾崎亜美、山本潤子、飯島真理、竹内まりやの8人が担当している。

 

6月21日、ソロ・アルバム『SYMPHONY#10』をリリース。

 

8月25日、ソロ・シングル“Key Station/Sentimental Dancing”をリカット、 “Sentimental Dancing”は花王シャンプーCMソング。

 

11月1日、総合プロデュースしたジョイントコンサート「杉真理とその仲間たちVol.2」(出演:杉真理、伊藤銀次、安部恭弘、EPO、麗美、飯島真理)を熊本県民劇場で開催。
同年、パーソナリティを務めるラジオ番組「フォー・ウェイ・ミュージック・ストリート」に松尾清憲がゲスト出演。2人とも大のビートルズ・フリークであり、同じ福岡県出身であることから急速に交友を深めていく。

12月21日、12インチ・シングル『BEST 4 YOU』をソロ名義で発売。文字通り、ミニ・ベスト盤的な内容で、“バカンスはいつも雨”など代表的シングル表題曲を網羅。

 

 

1986年1月30・31日、総合プロデュースしたジョイントコンサート「Let's City harmony」(出演:杉真理、小林克也、Hi-Fi SET、MALTA、Bread & Butter、EPO)を中野サンプラザで開催。
7月16日、ソロ・アルバム『SABRINA』をリリース。このアルバムで松尾清憲がコーラスに初参加、以降松尾は杉の作品に深く関わるようになる。


11月21日、ソロ・シングル“最後のメリー・クリスマス/くつ下の中の僕〈杉真理ソロバージョン〉”を発売。

 

11月21日、コンピレーションアルバム『Winter Lounge』をリリース。“最後のメリー・クリスマス”収録。

 

 

1987年6月3日、ソロ・アルバム『HAVE A HOT DAY!』をリリース。

 

6月21日、“Melting World”をリカット。

 

同年、コンピレーション・アルバム『SUMMER LOUNGE』をリリース。
9月頃、杉と松尾清憲が抱いていた「ジョン・レノン&ポール・マッカートニーのような音楽をやりたい」という話が具体化し、小室和幸、田上正和とともにバンド「BOX」を結成。杉の自宅で曲作り&デモテープの作成を始める。

 

 

1988年4月21日、BOXの初シングル“風のBad Girl”をリリース。

 

5月5日、BOXの1stアルバム『BOX POPS』をリリースする。
5月14日~1989年1月14日、BOXのライヴ・ツアー「BOX POPS Tour」を開催。
 

 

1989年9月21日、ソロ・シングル“Romancing Story/恋するQUEST”を発売、“Romancing Story”は日本テレビ系ドラマ『夏休み別荘物語』主題歌、“恋するQUEST”はコーセー「クエスト」CMソング。

 

 

10月21日、ソロ・アルバム『LADIES & GENTLEMEN』を発売。本アルバムでは松尾清憲が作曲にも参加。以降、曲作りにおいても松尾との共作が増えていく。

 

 

1990年2月20~22日に行われた稲垣潤一のコンサート「SOUND of LIFE in naeba」(苗場プリンスホテル)に杉と伊豆田洋之、鈴木雄大の3人がゲスト参加した。この時にポール・マッカートニーに似た伊豆田の歌声を聴いて惚れ込み、交流が始まる。
3月21日、ソロ・シングル“My Little World”を先行発売、富士通「コードレステレホン」CMソング。

3月21日、BOXの2ndアルバム『JOURNEY TO YOUR HEART』をリリース。

11月21日、ソロ・シングル“Wonderful Life〜君がいたから〜/恋の手ほどき〜X'mas in Love〜”を先行発売。

 

 

12月21日、ソロ・アルバム『Wonderful Life』をリリース。
 

 

1991年2月21日、石川さゆりが別名「SAYURI」名義で歌唱した“ウイスキーが、お好きでしょ”(作詞:田口俊/編曲:斎藤毅)を作曲提供、サントリーギフトのCMソングに起用されて大ヒット、オリコン18位を記録した。以降、多くのアーティストによるカヴァーを生んだ。

 

同年、村田和人とユニット「アロハ・ブラザース」(ALOHA BROTHERS)を結成。J-WAVEで6月から翌年4月にかけて隔月で新譜を発表(1992年に非売品CD化)。
6月21日、ソロ・アルバム『MADE IN HEAVEN』をリリース。

11月25日、「詩子 with ALOHA BROTHERS」名義でシングル“神様のプレゼント” (作詞:田口俊/作曲:杉真理・村田和人/編曲:嶋田陽一)が発売。

 

 

1992年6月21日、ソロ・シングル“夏休みの宿題”と、ソロ・アルバム『WORLD OF LOVE』を、Sony Recordsから同時発売。

 

同年、休暇中、初めてバリ島を訪問。様々な体験をしたことでバリ島に魅了され、後の作品作りに大きな影響を与えることになる。このことがきっかけで、杉真理ファンクラブ主催のイベントで「バリ島ツアー」が開催されるようになる。
同年、伊豆田洋之に『夢のふるさと』(JRAキャンペーンCMソング)を提供。この曲がきっかけとなり、後に伊豆田は「Piccadilly Circus」の結成に参加することになる。
10月7日、自ら企画したビートルズ結成30周年のイベント「ビートルズが夢だった」を開催する。

11月21日、ソロ・シングル“Best of my Love/ヴィーナス”を発売、“ヴィーナス” は、TBS系列TVドラマ『ビーナスハイツ』OP主題歌、“Best of my Love”は同ED主題歌に起用された。

 

 

12月30日、「THE BEATLES 30th ANNIVERSARY FORUM」にTHE ALWAYS・松尾清憲らとともに出演する。

 

 

1993年5月21日、ソロ・シングル“Love is Magic/パピヨン”を先行発売。

 

6月21日、ソロ・アルバム『FLOWERS』をリリース。

 

 

1996年、「Piccadilly Circus」を結成。
 

 

1997年、デビュー20周年。
9月12~14日にデビュー20周年記念ライヴ「杉真理 20th Anniversary」(東京・池袋 アムラックスホール)を開催。
同年、ベスト・アルバム『GOLDEN J-POP THE BEST 杉真理』リリース。
同年、アコースティック・ユニット「MONKEY FOREST BAND」を結成。
11月21日、杉をはじめ、BOX、松尾清憲、伊豆田洋之、大貫妙子、高野寛、かの香織、EPO、久保田洋司、村田和人、さいとうみわこ、峠恵子、長谷川真奈が参加したオムニバス・アルバム『Winter Gift Pops』リリース。

 

 

1998年、「杉真理、Asian Pops All Stars」のアルバム『Paradise in ASIA』をリリース。
6月4日、NISSIN POWER STATION閉店ライヴ「杉真理パワステ最後の日」(出演:「Piccadilly Circus」、須藤薫、安部恭弘、村田和人)を開催。この時、音楽活動を停止していた須藤が杉に誘われてステージに上がったことなどで心境の変化が顕れ、「杉真理とのデュエットの形で1回だけ」という条件付きながら本格的なライヴ・ステージに復帰することになる。これが「須藤薫&杉真理」結成のきっかけとなった。
8月29日、須藤薫&杉真理の最初のライヴ「Late Night Live」(横浜ランドマークタワー内イベントスペース)を開催。
12月21日、須藤薫&杉真理クリスマス・ライヴを開催(ドミソホール)。翌年以降も毎年12月に須藤薫&杉真理のクリスマス・ライブが開催されるようになる。

 

 

1999年1月21日、Piccadilly Circusのデビュー・シングル“Baby! it's all right”をリリース。NHK-BS2『新・真夜中の王国』OPテーマ。

 

2月21日、Piccadilly Circusの1stアルバム『Piccadilly Circus』をリリース、CDデビュー記念ライヴを開催した。
7月1日、須藤薫&杉真理がミニ・アルバム『ロマンティック天国』をリリースしてCDデビュー。

8月4日、須藤薫&杉真理の1stフル・アルバム『ポップンロール・パラダイス』をリリース。

11月20日、須藤薫&杉真理の2ndフル・アルバム『ポップンロール・プラネット』をリリース。

 

 

2000年1月1日、須藤薫&杉真理の4曲入り1stシングル“君の物語”をリリース。

 

7月19日、須藤薫&杉真理の4曲入り2ndシングル“最後のデート〜Last Rendezvous〜”をリリース。

 

 

2001年、8年ぶりとなるソロ・アルバム『POP MUSIC』をOAK Recordsからリリース。
同年、ネスレのチョコレート菓子Kit KatのCMに、杉真理の“雨の日はきっと”(翌年にリリースのアルバム「LOVE MIX」に収録)が起用される。

 

 

2002年、ソロ・アルバム『LOVE MIX』をOAK Recordsからリリース。
同年、以前から再発の要望の多かった「BOX」のアルバム『BOX POPS/Journey To Your Heart』が再発される。
同年、デビュー25周年ライヴを開催(クラブチッタ川崎他)。
 

 

2003年、「Piccadilly Circus」の2ndアルバム『Summer of Love』リリース
7月30日、ジョイントライヴ「moment jam session #1」(出演:西本明、里村美和、佐藤奈々子、鈴木雄大、堂島孝平、佐野元春 他)に参加。
 

 

2004年、50歳バースディ・パーティー「ごきげんパーティー」を大阪と東京で開催。
3月21日 - 杉と堂島孝平の初のデュエットライブ「歌暦vol.7 弥生 杉真理×堂島孝平 3-2-1 GO!」が開催される。
 

 

2005年、プライベートレーベル『mistone music』を設立し、インストゥルメンタル・アルバム『風の吹く場所』をリリース。
同年、ベスト・アルバム「GOLDEN☆BEST 杉 真理&フレンズ」リリース。

 

同年、中越大震災の被災者の支援を目的としたチャリティ・ライヴを実施する(原宿Blue Jay Way 他)。
10月7日、「ジョン・レノン音楽祭2005」(日本武道館)に出演し、オノ・ヨーコと共演を果たす。

 

 

2006年12月17日、福岡市で行われた母校の西南学院高校の新学長就任イベントに杉は姫野達也とともにゲスト出演。ランキン・チャペルのことを歌った“Chapel in the Sun”を披露した。“Chapel in the Sun”は西鉄エージェンシーよりシングルとしてリリースされた。また、同曲は後に2008年リリース『魔法の領域』に収録。

 

 

2007年、デビュー30周年を迎える。
同年、ビクターからMARI & REDSTRIPESの『Mari & Red Stripes』『Swingy』が紙ジャケット仕様で再発される。
同年、Piccadilly Circusの『Piccadilly Circus』『Summer of Love』が紙ジャケット仕様で再発される。
同年、ソロ・アルバム『SONG WRITER』『OVERLAP』『STARGAZER』『mistone』『SYMPHONY #10』『SABRINA』が紙ジャケット仕様で再発される。

11月21日、須藤薫&杉真理のアルバム『POP 'ROUND THE WORLD』をリリース、須藤薫&杉真理の事実上のベスト・アルバムである。

 

 

2008年1月23日、デビュー30周年を記念して制作したソロ・アルバム『魔法の領域』をNAYUTAWAVE RECORDSからリリース。杉が30年に及ぶ音楽キャリアの中で培ってきた人脈を活かし、伊藤銀次、村田和人、安部恭弘、伊豆田洋之、須藤薫、堂島孝平、そして竹内まりや等々と作り上げた、記念碑的な作品。なお、2008年のテーマは「6×9(Rock)54♪」であった(杉が54歳になったことも踏まえ)。

 

同年、ソロ・アルバム『HAVE A HOT DAY!』『LADIES & GENTLEMEN』『Wonderful Life』『MADE IN HEAVEN』『WORLD OF LOVE』『FLOWERS』が紙ジャケット仕様で再発される。
同年、BOXのアルバム『BOX POPS』『JOURNEY TO YOUR HEART』が紙ジャケット仕様で再発される。

 

 

2009年、アルバム『魔法の領域』がスイングジャーナル社発行『ADLIB』誌の「2008アドリブアワード 国内ロック/ポップス賞」を受賞。
同年、ソロ・アルバム『POP MUSIC』『LOVE MIX』が紙ジャケット仕様で再発。
 

 

2010年4月28日、杉と村田和人によるユニット「ALOHA BROTHERS」(アロハ・ブラザース)の初のアルバム『世界のアロハ・ブラザース』をNAYUTAWAVE RECORDSよりリリース。
12月3日、竹内まりやのライヴ「Soucvenir Again mariya takeuch live 2010」のオープニングアクトに、BOXとして日本武道館に出演。この他12月22日に大阪城ホールの2回にも出演した。
 

 

2012年3月21日、須藤薫&杉真理名義のアルバム『恋愛同盟』をコンチネンタル・スター/テイチクエンタテインメントから発売。新曲5曲、杉真理セルフ・カヴァーの“ウイスキーが、お好きでしょ”を含む全10曲。。

9月26日、BOXの3rdアルバム『MIGHTY ROSE』を22年ぶりにリリース。

 

 

2013年3月3日、骨髄異形成症候群のため須藤薫が死去。58歳没。

 

 

2014年5月21日、「杉真理 with Moment String Quartet」名義でアルバム『STRINGS OF GOLD』をリリース。

11月26日、「杉真理&フレンズ」名義でアルバム『THIS IS POP』をリリース。

 

 

2019年2月27日、ソロ・アルバム『MUSIC LIFE』をユニバーサルミュージックからリリース。

 

 

 

2020年8月、Twitter、YouTubeに公式アカウントを開設。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「杉真理」「須藤薫&杉真理」

 

 

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