りりィ(Lily/本名:鎌田 小恵子(かまた さえこ)/1952年2月17日~2016年11月11日)は、日本のシンガーソングライター、俳優。
1952年2月17日、鎌田小恵子は、福岡県福岡市天神で生まれる。母は中洲でバー「翡翠」を経営、父は米空軍の将校で、りりィはハーフである。父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた。
同市中央区唐人町(現:唐人町一丁目~三丁目)などで育つ。
10歳で家族と一緒に上京、小学校3年から東京で育つ。
東映の児童劇団に1年半所属。
1966年、東映児童劇団在籍中に、緑魔子(みどり まこ/1944年3月26日-)主演の東映映画『非行少女ヨーコ』にちょい役(「ラーメン屋に勤めるヨーコがどんぶりを落として割るところを蔑んで見る娘」役)で出演したことがある。
中学を卒業後、高校には進まなかった。
17歳の時、母が亡くなり、生活のためにスナックで弾き語りを始める。「りりィ」という芸名はブラブラしている時に仲間から付けられたあだ名に由来し、「ィ」がカタカナなのは自分でなんとなく変えたという。
1971年、下田逸郎(しもだ いつろう/1948年5月12日-)のアルバム『遺言歌 誰にも知られずに消えるしかないさ』に参加。「レーニア」名義で楽曲“ひとりひとり”のリードヴォーカルを担当。「レーニア」の名はイギリスのフォークシンガーであるドノヴァンの楽曲“ラレーニア” (Lalena) から採った。
所属事務所はモス・ファミリ(小澤音楽事務所系)。本格的に曲作りを始めたのは作詞家の山上路夫(やまがみ みちお/1936年8月2日-)から勧められたことがきっかけ。
1972年2月5日、20歳の時、LP(アルバム)『たまねぎ』で東芝音楽工業(当時)から歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで注目される。本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが、風邪をひいた日に2升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという。
この年は数多くの女性シンガーソングライターがデビューしたが、2月5日にデビューしたりりィは、谷山浩子(同年4月25日)、荒井由実(同年7月5日)、五輪真弓(同年10月21日)らより少し早くデビューを果たしている。
同年、シングル“にがお絵”(作詞:りりィ/作曲:原沢としひこ)を発売。
8月5日に公開された大島渚監督映画『夏の妹』に出演。以後、音楽活動と並行して俳優としても活動する。
10月5日、シングル“クイズの賞金”(作詞・曲:りりィ/編曲:瀬尾一三)を発売。
東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。坂本龍一は著書で「その当時、在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドとバイ・バイ・セッション・バンドであり、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していた」と回想している。主なメンバーとしては、坂本の他、木田高介、土屋昌巳、伊藤銀次、吉田建、斉藤ノブ、井上鑑、国吉良一などが参加しており、長らく活動して全国のライヴハウスなどを回っていた。
1973年7月5日、LP『Dulcimer』(ダルシマ)と、シングル“心が痛い”(作詞・曲:りりィ/編曲:木田高介)を同時発売。
1974年3月5日発売のシングル“私は泣いています”(作詞・曲:りりィ/編曲:木田高介)が累計100万枚を超える大ヒットを記録。本曲は遊びで作った英語詞によるブルース“アイム・クライング・オン・ザ・ベッド”に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく自分で歌ったという。本曲について、音楽プロデューサーで音楽評論家としても活動していた小西良太郎は「トルコ嬢まで泣かせた」と評価している。「トルコ嬢」とは今でいう「ソープ嬢」。
6月5日、LP『タエコ』を発売。
1975年3月5日、“しあわせさがし”(作詞・曲:りりィ/編曲:国吉良一)を発売。
5月20日、LP『ラブ・レター』を発売。
10月5日、シングル“月のセレナーデ”(作詞・曲:りりィ/編曲:国吉良一)を発売。
1976年3月20日、シングル“家へおいでよ”(作詞・曲:りりィ/編曲:坂本龍一)を発売。アレンジは坂本龍一が担当した。
5月20日、LP『オーロイラ』を発売。
24歳の時、元ファニー・カンパニーのドラマー西哲也(当時バイ・バイ・セッション・バンドにも参加)と結婚するが1年で別居し、7年後の1981年に離婚した。
1977年6月5日、LP『りりシズム』を発売。
9月21日、シングル“綺麗になりたい”(作詞・曲:りりィ/編曲:佐藤博)を発売。
1978年2月5日、シングル“さわがしい楽園”(作詞・曲:及川恒平/編曲:井上鑑)を発売。同年に放送されたテレビドラマ版『人間の証明』主題歌。
5月5日、シングル“E・S・P ”(作詞・曲:りりぃ/編曲:木田高介・Marcus Duke)を発売。
6月5日、LP『気にしないで Don't Worry Don't』を発売。
9月20日、シングル“ベッドで煙草を吸わないで”(作詞・曲:りりぃ/編曲:国吉良一)を発売。
1979年6月5日、LP『マジェンタ』を発売。
1980年11月5日、LP『南十字星 Southern Cross』を発売。
1982年、ビクター音楽産業(当時)・Invitationにレコード会社及びレーベルを移籍。
5月5日、移籍第一弾LP『モダン・ロマンス』を発売。
7月5日、アルバムから表題曲“モダン・ロマンス”(作詞:りりぃ/作曲:吉田健/編曲:伊藤銀次)をリカット、シングルとして発売した。
10月5日、シングル“さらさら”(作詞:島武実/作曲:りりぃ/編曲:白井良明)を発売。
その後、2度目の結婚をし、一時活動を休止する。
1983年3月5日、LP『Say』を発売。
7月21日、シングル“さようならアリス”(作詞:りりィ/作・編曲:井上大輔)を発売。
1985年、一人息子の鎌田樹音をもうけた。子育て期間中は埼玉県狭山市に移り住み、メディアへの露出も控え、数年間主婦業に専念していた。
1986年9月21日、シングル“風のバレリーナ”(作詞:大津あきら/作曲:鈴木キサブロー/編曲:船山基紀)を発売。
1987年、“花”(作詞・曲:喜納昌吉)をカヴァーしてシングルとして発売。
1988年5月21日、シングル“さよならロンリネス”(作詞:康珍化/作曲:鈴木キサブロー/編曲:佐藤準)を発売。
12月16日、LP『fairy tale』を発売。
1989年6月7日、シングル“Rescue you”(作詞:りりぃ/作曲:中崎英也/編曲:芳野藤丸)を発売。
1993年3月、「音蔵シリーズ」と称する過去アルバム作品群のCD化プロジェクトにより、『たまねぎ』、『Dulcimer』、『タエコ』、『ラブ・レター』がそれぞれCD化・再発売される。
1995年2月22日、シングル“でも さよならが言えない”を発売。
同年、エムイーエムに移籍。
6月21日、アルバム『愛』を「りりィ in PAB」名義で発売。本作からCDでのリリースとなった。
1997年、息子が中学生になり子育てが一段落したこともあり、TBS系テレビドラマ『青い鳥』に出演し、芸能活動を再開した。
1999年からはギタリストの斉藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というツイン・ヴォーカルのユニットを結成、全国各地で活動した。
2008年4月23日、アルバム『フロム〜ツインボーカル〜』を「Lily-Yoji」名義でコロムビアレコードから発売。
2009年8月11日~9月22日に放送されたテレビドラマ『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役で出演。このドラマの主題歌である「DREAMS COME TRUE」の楽曲“その先へ”(作詞:吉田美和 作曲:中村正人・吉田美和・鎌田樹音 編曲:中村正人)は、息子の樹音ことJUONがヴォーカル兼ギター担当で所属するロック・バンド「FUZZY CONTROL」(ファジィ・コントロール)をフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、親子共演となった。
2012年3月8日、樹音がDREAMS COME TRUEの吉田美和と入籍。
2012・2013年には東芝EMI時代の過去のアルバム作品が相次いで再発売された。まず、2012年1月にはEMI ROCKS The Firstシリーズの1枚として、ファーストアルバム『たまねぎ』がデジタルリマスタリングされた音源に紙ジャケット仕様で復刻され、同年11月には『Dulcimer』『タエコ』『りりィ・ライヴ』『ラブ・レター』『りりシズム』の5枚が、2013年には初CD化となる『オーロイラ』『マジェンタ』の2枚が、デジタルリマスタリング音源でタワーレコード限定で再発売された。
晩年は肺がんと闘病し、定期検診で静養が必要と診断され、2016年5月からライヴ活動を中止していた。
2016年11月11日、シンガーソングライター、俳優のりりィこと、鎌田小恵子が死去。
享年64。
その人柄と広い活動ゆえ、訃報に際してはDREAMS COME TRUEの中村正人、シンガーソングライターの泉谷しげる、映画監督の青山真治、アニメ監督の山崎理など、多くの著名人から追悼コメントが捧げられた。
2017年2月25日、遺作となった映画『彼らが本気で編むときは』が公開。
5月6日、最後の公開作品『追憶』が封切られた。
同年、近年のシティポップ・ブームを受け、アルバム『南十字星 Southern Cross』がCD化、再販された。
2019年5月1日、自身最大のヒット曲“私は泣いています”(作詞・曲:りりィ)が本人の死後、元々歌ってもらうつもりだった研ナオコにより、45年の時を経てカヴァーされ、シングルとしてリリースされた。
2021年6月9日、ベストアルバム『ゴールデン☆ベスト』を発売。
2022年、アルバム『気にしないで Don't Worry Don't』と『P.S. I LOVE YOU 1972〜1981』が初CD化され、これにより東芝EMI時代の全アルバムがCD化された。
(参照)
Wikipedia「りりィ」
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