研 ナオコ(けん なおこ/本名:野口 なを子/旧姓:浅田/1953〈昭和28〉年7月7日~)は、日本の歌手、タレント、女優、コメディエンヌ。

 

 

 

1953年7月7日、静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現・伊豆市)出身。
1965年、「ちびっこのどじまん」に出場、“星空に両手を”を歌唱するが不合格。

同年、静岡放送の『のど自慢大会』に出場し、合格。

1967年 静岡放送の『のど自慢大会』に再び出場し、準優勝。

静岡県立三島南高等学校中退。
1970年、歌手を目指し上京。

東京宝塚劇場のエレベーターガールなどのアルバイトもしていた。


1971年4月1日、東宝レコードの第1号歌手として“大都会のやさぐれ女”(作詞:坂口宗一郎/作曲:中山大全/編曲:竹村次郎)でデビュー。芸名の「研」の由来は、当時の所属事務所「研音」から。

 

 

1972年7月1日、4thシングル“京都の女の子”(作詞:阿久悠/作・編曲:森田公一)を発売、研にとってデビュー以来自身初のオリコンシングルチャートにランクインした楽曲であり、登場週数12週、最高52位で4.2万枚の売り上げを記録するヒット曲となった。

 

 

1973年、画家で美術考証家の岩田専太郎に「百年に一人出るか出ないかの不世出の美人」と絶賛される。

3月1日、6thシングル“女心のタンゴ”(作詞:阿久悠/作曲:森田公一/編曲:前田憲男)を発売、5万枚を売り上げるヒットになった。

10月25日、7thシングル“うわさの男”(作詞:阿久悠/作曲:森田公一/編曲:高田弘)を発売、前作同様5万枚を売り上げた。

 

 

1975年4月4日、『カックラキン大放送!!』が放送開始、準レギュラー出演者として、「お笑いお茶の間劇場」のコーナータイトルのコール担当を務め、「ナオコお婆ちゃんの縁側日記」ではコントの主役を張るなどして、タレントとしての人気を獲得。以後のバラエティ番組出演の礎を築いた。

同年、キャニオン・レコードに移籍。

9月10日、移籍後第一弾となる9thシングル“愚図”(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:竜崎孝路)を発売すると、自身初となるオリコンシングルチャートトップ10入り(週間最高9位)を果たし、FNS歌謡祭優秀歌謡音楽賞を受賞した。それまでデビュー曲を除き阿久悠が作詞を担当していたが、初めて阿木曜子の詞を歌った。

 

 

1976年2月10日、10thシングル“一年草”(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:竜崎孝路)を発売、オリコン28位。

 

6月25日、11thシングル“LA-LA-LA”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:クニ河内)を発売、B面“雨が空を捨てる日は”ともに初めて中島みゆきの楽曲を歌唱。中島にとっても他者に楽曲提供をしたのはこれが初めてだった。オリコン12位。

 

8月25日、4thアルバム『泣き笑い』を発売、A面に“LA-LA-LA”、“あばよ”などの中島みゆき作品、B面に“愚図”などの阿木燿子/ 宇崎竜童作品を収録。

9月25日、12thシングル“あばよ”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:クニ河内)を『泣き笑い』からリカット、研自身オリコンで初めて、そして唯一の1位を獲得し、60万枚以上を売り上げる最大のヒット曲となった。本曲で、日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞、第18回日本レコード大賞歌唱賞受賞。ただし『NHK紅白歌合戦』で本曲は一度も披露していない。

 

12月31日、NHK『第27回紅白歌合戦』に初出場を果たし、“LA-LA-LA”を歌唱。

 


1977年3月10日、13thシングル“風をくらって”(作詞・曲:つのだひろ/編曲:クニ河内)を発売、オリコン14位。

 

同年、キンチョールCMに出演、「シンデレラ」のセリフが話題になった。

 

9月30日、大麻取締法違反容疑で厚生省麻薬取締部に家宅捜索を受け、大麻や喫煙具などを押収される。見つかった大麻が量的に少ないことなどから、逮捕はされず任意での取り調べを受けて書類送検されるが、東京地検刑事部は11月15日に事案が軽微であるとして起訴猶予処分とした。このため、半年間の謹慎を余儀なくされる。

10月25日、アルバム『かもめのように』発売。A面には中島みゆき作詞作曲の作品、B面には杉本真人作詞作曲の作品を集め、シングル“オヽ神様”、“ふられてやるさ”、“かもめはかもめ”他全12曲を収録している。

 

 

1978年3月25日、中島みゆき作詞作曲による16thシングル“かもめはかもめ”(編曲:若草恵)を前年発表のアルバム『かもめのように』からリカット、復帰作としてリリースされた本作はオリコン7位とヒット。日本歌謡大賞放送音楽賞、第20回日本レコード大賞金賞を受賞。

 

7月10日、17thシングル“窓ガラス”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:クニ河内)を発売、オリコン8位。当時、音楽番組で披露した際にはまだ無名だったTHE ALFEEが、ギター伴奏と及びサビ部分をバックコーラスとして歌唱していた。さらに研とTHE ALFEEは、かつて同じ所属事務所の田辺エージェンシーだったという縁もあった。THE ALFEEの坂崎幸之助は「この曲で初めてテレビで『研ナオコ with アルフィー』とクレジットを入れて頂いたのが、凄く嬉しかった」とコメントしている。

 

10月21日、18thシングル“みにくいあひるの子”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:クニ河内)を発売、11万枚以上を売り上げた。オリコン15位。

 

12月31日、『第29回紅白歌合戦』に2年ぶり2回目の出場、“かもめはかもめ”を歌唱した。

 

 

1979年8月5日、21stシングル“愛をもう一度”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:松井忠重)を発売、表題曲はアニメ映画『未来少年コナン』のオープニングテーマに、B面“なつかしい朝”(クレジット同じ)は同エンディングテーマに起用された。

 

 

8月21日、22ndシングル“ひとりぽっちで踊らせて”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:石川鷹彦)を発売、オリコン39位。

 

12月31日、『第30回紅白歌合戦』に2年連続3回目の出場、ジャズピアニスト世良譲のピアノ伴奏により“ひとりぼっちで躍らせて”を歌唱した。

 

 

1980年2月5日、23thシングル“くちぐせ”(作詞・曲:荒木一郎/編曲:萩田光雄)を発売。7万枚を売り上げるヒットとなった。

 

10月21日、25thシングル“夢枕”(作詞・曲:杉本真人/編曲:若草恵)を発売。売り上げ数千枚で止まったが、同年の紅白には本曲で出場した。

 

12月31日、『第31回紅白歌合戦』に3年連続4回目出場し、“夢枕”を歌唱。

 

 

1981年4月21日、27thシングル“別離の黄昏”(作詞・曲:甲斐よしひろ/編曲:若草恵)を発売、日本テレビ系ドラマ『私はタフな女』主題歌。

 

12月21日、28thシングル“ボサノバ”(作詞・曲:福島邦子/編曲:若草恵)を発売、1979年にリリースされた福島邦子のシングル曲のカヴァー。B面の“秋止符”(作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄)は1979年に横山みゆきとアリスがシングルリリースした楽曲のカヴァー。オリコン69位。

 

12月31日、『第32回紅白歌合戦』に4年連続5回目の出場、“ボサノバ”を歌唱した。

 

 

1982年9月5日、29thシングル“夏をあきらめて”(作詞・曲:桑田佳祐/編曲:若草恵)を発売、オリコン5位。第24回日本レコード大賞金賞、日本有線大賞有線音楽賞、全日本有線放送大賞優秀スター賞を受賞。

 

12月5日、30thシングル“振られた気分”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:クニ河内)を発売、オリコン53位。

 

12月31日、『第33回紅白歌合戦』に5年連続6回目の出場、“夏をあきらめて”を歌唱した。

 

 

1983年4月21日、31thシングル“Lonely Way”(作詞:研ナオコ/作曲:南佳孝/編曲:井上鑑)を発売。自身で初めてシングル曲の作詞を手がけた。

 

8月5日、32ndシングル“愛、どうじゃ。恋、どうじゃ。”(作詞:森雪之丞/作曲:筒美京平/編曲:大村雅朗)を発売、研本人が出演したコーセー化粧品「美粒子ファンデーション」秋のキャンペーンCMソング。オリコン71位。

 

9月、急性尿路感染症で入院。

11月5日、33rdシングル“泣かせて”(作詞・曲:小椋佳/編曲:奥慶一)を発売、オリコン41位。古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞。

 

12月31日、『第34回紅白歌合戦』に6年連続7回目の出場、“泣かせて”を歌唱。

 

 

1984年9月5日、35thシングル“名画座”(作詞:大津あきら/作曲:佐藤隆/編曲:船山基紀)を発売。

 

12月31日、『第35回紅白歌合戦』に7年連続8回目の出場、“名画座”を披露した。

 

 

1985年5月21日、36thシングル“六本木レイン”(作詞:売野雅勇/作曲:吉田拓郎/編曲:船山基紀)を発売、オリコン78位。

 

7月21日、田原俊彦とのデュエットソング“夏ざかりほの字組”(作詞:阿久悠/作曲:筒美京平/編曲:新川博)を「Toshi & Naoko」名義でシングル発売、オリコン5位のヒットになる。

 

11月1日、37thシングル“帰愁”(作詞・曲:松任谷由実/編曲:鷺巣詩郎)を発売。

 

12月31日、『第36回紅白歌合戦』に8年連続9回目の出場、“帰愁”を披露した。

 

 

1986年7月21日、38thシングル“Tokyo見返り美人”(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:清水信之)を発売、オリコン73位。

 

12月31日、『第37回紅白歌合戦』に9年連続10回目の出場、“Tokyo見返り美人”を披露した。

 

 

1987年7月7日、7歳年下の野口典夫と結婚、同時に妊娠6か月を公表。

9月21日、40thシングル“裏窓トワイライト”(作詞:売野雅勇/作曲:福島邦子/編曲:中村哲)を発売。朝日放送・テレビ朝日系ドラマ『六本木ダンディーおみやさん』主題歌。

 

10月29日、長男が誕生。


 

1989年8月8日、長女が誕生。

 

 

1992年1月21日、42ndシングル“悲しい女”(作詞・曲:谷村新司/編曲:若草恵)を発売。TBC「グッドエステティシャンがいます」CMソングとテレビ朝日系『華麗にAh!so』エンディングテーマにそれぞれ起用された。


 

1993年、声帯ポリープの手術。

12月31日、『第44回紅白歌合戦』に、1986年『第37回紅白歌合戦』以来7年ぶり11回目の出場、“かもめはかもめ”を歌唱した。現在の処これが自身最後の紅白出演。
 

 

1994年、胆のうの全摘出手術。
 

 

1995年7月21日、46thシングル“ワルツ”(作詞:高橋ジョージ・沙霧ゆみ/作曲:高橋ジョージ/編曲:入江純)を発売。フジテレビ・東海テレビ系ドラマ『ダブルマザー』テーマソング。

 

 

2001年、第24回『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』にて、女性初のチャリティーマラソンランナーを務め、85kmを完走。

12月5日、志村けんとのデュエットシングル“銀座あたりでギン!ギン!ギン!”(作詞・曲:つんく/編曲:小西貴雄)を「けん♀♂けん」名義で発売。オリコン41位。

 

 

2002年、初の自伝エッセイ本『家族リレー 〜ナオコんちの場合〜』(ISBN 4764819562)を出版。
 

 

2004年10月21日、デビュー25周年を迎えた田原俊彦の記念シングル第二弾として、19年ぶりの田原とのデュエット“恋すれどシャナナ”(作詞:真間綾・Chang Jung/作曲:宮島律子/編曲:内藤慎也)をガウスエンタテインメントのディス・ワンレーベルから発売、オリコン123位。

 

 

2006年10月10日、中日ドラゴンズが優勝した日の祝勝会ビール掛けに参加。

 

 

2013年9月18日、コンピレーションアルバム『シングルA面コンプリート』を発売、東宝レコード時代の全シングルA面を初CD化、1979年の“愛をもう一度”を初収録。また、『カヴァー作品コレクション』を同時発売、東宝レコード時代の13曲を初CD化、“襟裳岬”を初CD化。

 

 

 

2014年5月21日、コンピレーションアルバム『シングルB面コンプリート』を発売、東宝レコード時代の全シングルB面曲を初CD化、“なつかしい朝”を初収録。

 

同日、アルバム『中島みゆき作品コンプリート』を同時発売、これまで中島に提供を受けた楽曲の他、研が新たにカヴァーした中島の代表曲を収録。なお、1976年の“LA-LA-LA”以降、中島による研への提供曲はアルバム曲を含め15にものぼる。中島が詞曲ともに提供した歌手としては、研が最多である(2020年現在/詞の提供数では工藤静香への23曲が最多)。

 

 

2017年3月21日、山梨県甲府市内で舞台『梅沢富美男劇団特別公演「アッ!とおどろく夢芝居」』の公演中に転倒、右大腿骨頸部骨折と診断され入院。長期療養も余儀なくされたが、驚異的な回復力により同年4月28日に復帰。

 

 

2019年5月1日、47thシングル“私は泣いています”(作詞・曲:りりィ)を発売。本曲は1974年にりりィ本人がシングル発売し大ヒットした曲のカヴァーだが、元々はりりィが当時から知り合いだった研に歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ「自分で歌ってくれないと困る」と言われ仕方なく自身で歌ったという。2016年11月11日のりりィの逝去後、45年の時を経て研による歌唱が実現した形になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「研ナオコ」

 

 

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