ミック・ハックネル(Mick Hucknall/出生名:Michael James Hucknall/1960年6月8日~)は、イギリスのシンガーソングライター。

 

 

 

1960年6月8日、マイケル・ジェームズ・ハックネルは、英国イングランドのマンチェスターにあるセントメアリーズ病院で一人っ子として誕生。父レジナルド(1935–2009)はアイルランド系でオファリー州出身、母親モーリーンはユダヤ人の血を引いていた。

 

3歳の時、母が家族を捨てて家を出た。ハックネルはストックポート(Stockport)の床屋で働く父により、デントン(Denton)で育てられた。ハックネル曰く、自分には「審判を務める女性がいなかったため」父親と衝突し始めた10歳まで幸せな子ども時代を過ごした。彼はオーデンショー学校に通い、その後タムサイド大学とマンチェスター工科大学の美術学校で教育を続け、そこで美術を学んだ。美術学校にいる間、彼はフルメに住んでいた。

1990年代半ば頃、ハックネルは母親と再会。彼女は当時、米国のダラス市に住んでいた。2008年のインタビューの時点で、ハックナルは自分の元を去った後、母とは2回しか会っていなかったという。

 

 

1976年、セックス・ピストルズがマンチェスターのフリー・トレード・ホールでライヴを行った。観に来ていた観衆の中に、後にジョイ・ディヴィジョン、ザ・スミスやバズコックスなどのバンドを結成することになるメンバーら集まっていた。彼等とともに、当時マンチェスターで美術を学ぶ学生だったハックネルもいた。

同年、ピストルズのライヴに衝撃を受けたハックネルは、パンクバンド「フランティック・エレヴェイターズ」 (The Frantic Elevators) を結成。

 

1984年、7年の間活動し、地元のレーベルから数枚のレコードを出した後、フランティック・エレヴェイターズは解散した。この間、3歳の時に母に捨てられたショックを歌った“ホールディング・バック・ザ・イヤーズ”を書いた。


1985年初頭、ハックネルはマネージャーのエリオット・ラッシュマン (Elliot Rashman) と組んで、地元のスタジオ・ミュージシャンたちと新たなバンドを結成し、レコード会社の注目を集めるようになっていった。「シンプリー・レッド」(Simply Red)というバンド名が付けられたのもこの頃である。この名前は、ハックネルが赤毛であることと、赤がシンボルカラーの強豪フットボールクラブ「マンチェスター・ユナイテッド」の大ファンであることに由来する。

バンドはハックネル(Vo)、デイヴィッド・フライマン(David Fryman/G)、トニー・バウワーズ(B)、フリッツ・マッキンタイア(Key)、ティム・ケレット(Brass)、クリス・ジョイス(Ds)という構成で、同年エレクトラ(Elektra)・レコードと契約した。

 

 

1985年、最初のシングル“マネーズ・トゥー・タイト”(Money's Too Tight [To Mention])を発表、元々ヴァレンタイン・ブラザーズ (The Valentine Brothers) により録音されたソウルのスタンダードナンバーのカヴァーであった。本シングルは全英13位・全米28位に入った他、アイルランドでもチャートのトップ20入り、フランス、オランダでトップ30に、イタリアではトップ5に入った。

 

10月11日、最初のアルバム『ピクチャー・ブック』(Picture Book)を発表。

 

同年、バンドはフランティック・エレヴェイターズ時代の曲“ホールディング・バック・イヤーズ”(Holding Back the Years)をさらにポップなアレンジで再録音してアルバムからカット。しかしこの時チャートで目立った動きは見せなかった。



1986年、“ホールディング・バック・イヤーズ”を再販。すると“マネーズ・トゥー・タイト”に続く大ヒットとなり、全英2位・全米1位になったのをはじめ、アイルランドで1位、オランダで3位、イタリアで20位となり、世界にシンプリー・レッドの名前を知らしめることになった。これは、シンプリー・レッドの最大かつ最も有名なヒット曲の1つになった。このヒットのおかげでアルバム『ピクチャー・ブック』もさらに売り上げを伸ばし、全英2位・全米16位と世界的なヒットに結びついた。

 


1987年3月9日、2枚目のアルバム『メン・アンド・ウィメン』(Men and Women)をリリース、全英2位・全米31位。それまでの小汚ない格好で内省的、社会的なメッセージというイメージから脱皮し、ファンクの影響を帯びたブルー・アイド・ソウルという新境地を開いた。アルバムからは、"The Right Thing"が全英11位・全米27位、"Ev'ry Time We Say Goodbye"が全英11位になった。

 

 

 


1989年2月13日、3rdアルバム『ニュー・フレイム』(A New Flame)をリリース、全英1位・全米22位になった本作では、さらに主流派の路線を志向し、批評家からの受けよりも商業的な成功を狙った音楽になった。それをよく表しているのが、ハロルド・メルヴィンのヒット曲“二人の絆”(If You Don't Know Me By Now) のカヴァーで、この曲は彼らにとって2回目となる全米No.1ヒットになり、また今日でもバンドにとって最も成功した曲となっている。アルバムからは他に、"It's Only Love"が全英13位・全米57位に入った。この頃のハックネルは、モデルやハリウッドのセレブリティとの写真を撮られるなど世界的なスターの座にあった。

 

 

 

1991年、ハックネルが「シンプリー・レッドは基本的にはソロプロジェクト」と発言したこともあって、バンドとしてのまとまりは阻害されているかにも見えた。

9月30日、バンドの人気は4thアルバム『スターズ』(Stars)で頂点を迎えた。EastWest Recordsに移籍してリリースした『スターズ』は、米国でこそ従来のアルバム程には成功しなかったものの、英国はじめ欧州では2年の間最も売れたアルバムとなった。タイトル曲の“スターズ”(Stars)はハックネルによる反サッチャリズムの政治的な歌詞をラウンジ・ジャズに乗せた、明らかに過去のファン層をつなぎ止めようという狙いの内容であった。この曲は1995年の映画『赤ちゃんにバンザイ!?』(Jack and Sarah) のサウンドトラックでも取り上げられた。日本でも、同曲がスバル・インプレッサのCMソングに使用された。アルバムからは他に、"Something Got Me Started"が全英11位・全米23位、"For Your Babies"が全英9位に入った。    
その後2年にわたる『スターズ』のプロモーションとツアーを行う。

 

 

 

 

 

1995年9月18日、ダンス・ミュージックの影響が強いシングル“フェアグラウンド”(Fairground) を発表。本曲はラジオで大ヒットとなり、バンドにとって初の全英ナンバーワンを記録した。

 

10月24日、“フェアグラウンド”収録のアルバム『ライフ』(Life)はチャート1位になった英国だけで100万枚以上を売り上げ、年間アルバムセールス第4位に入った。また、シングル"We're in This Together"は全英11位に入った。

 

 

 

1996年、初のベストアルバム『Greatest Hits』をリリース、全英1位を獲得。ここから"Angel"をカット、全英4位に送り込んだ。

 

 

1998年5月19日、カヴァー曲も多く含んだアルバム『ブルー』(Blue)をリリース、全英1位を獲得。ここからのシングルカットは、"Night Nurse" (featuring Sly & Robbie) が全英13位、"Say You Love Me"が全英7位、"The Air That I Breathe"が全英6位に達した。

 

 

 

 

 

1999年11月2日、アルバム『ラブ・アンド・ザ・ロシアン・ウィンター』(Love and the Russian Winter)を発売、全英6位。本アルバムからのシングルは、"Ain't That a Lot of Love"が全英14位になった。

 

 

2000年、『ラヴ・ソング・コレクション』(It's Only Love)をリリース。

 

 

2003年3月24日、スタイリスティックスの“誓い”(You Make Me Feel Brand New) などのカヴァー曲とオリジナル曲を収録した『ホーム』(Home)をsimplyred.comからリリース、全英2位。カットされた“誓い”と"Sunrise"がともに全英7位にチャートインした。

 

 

 

同年、『ヴェリー・ベスト・オブ・シンプリー・レッド』(The Very Best of Simply Red)をリリース。

 

 

2005年10月13日、主に過去のヒット曲を再アレンジして収録したアルバム『シンプリファイド』(Simplified)をリリース、全英3位。

 

この頃までベストアルバムなどのコンピレーションアルバムのリリースが続いた。

 

 

2007年3月12日、バンドの10thアルバム『ステイ』(Stay)を発表。全英4位。

 

その後、ハックネルは「25年という期間はもう十分だろうという感じ。だから、2009年でシンプリー・レッドの最後のツアーにするつもりだ」と語り、2009年初頭から2010年にかけてのツアーが終わった後にバンドを解散することを発表した。

 

 

2008年5月19日、ハックネルはブルーズ・ミュージシャンのボビー「ブルー」ブランド(Bobby "Blue" Bland January/1930年1月27日〜2013年6月23日)へのオマージュとして、『ハックネル・トリビュート・トゥ・ボビー』(Tribute to Bobby)を発表、これが自身初のソロアルバムとなった。全英18位。

 

 

同年、ベストアルバム『Simply Red 25: The Greatest Hits』をRazor & Tieからリリース、全英9位になった。

 

 

2009年10月、ハックネルはロッド・スチュワートに代わって、再結成されたフェイセスにヴォーカリストとして参加、チャリティーパフォーマンスに出演した。 

12月19日、シンプリー・レッド最後のコンサートは、ロンドン・O2アリーナで開催された。この公演の模様は全英の映画館にライヴ配信された。

このコンサートをもってバンドは正式に解散した。
解散時のラインナップは、ハックネル(Vo)、イアン・カーカム(Sax,Key)、デイヴ・クレイトン(Dave Clayton/Key)、鈴木賢司(G)、ケヴィン・ロビンソン(Kevin Robinson/Tp,F.Hr.,Perc)、スティーヴ・レウィンソン(Steve Lewinson/B)、ピート・レウィンソン(Pete Lewinson/Ds)という構成であった。このメンバーは、バンドが発表したスタジオアルバムのうち最後の3枚でも演奏に参加している。

 

 

2011年10月、彼は音楽への貢献が認められ、BASCAゴールドバッジ賞を受賞した。

 

 

2012年10月29日、彼はお気に入りのをカヴァーしたアルバム『American Soul』をリリースした。全英6位。ここから"That's How Strong My Love Is"がソロとしては初めて全英シングル・チャート入りした。

 

 

2014年11月3日、シンプリー・レッドは翌2015年秋に再結成し、結成30周年記念のヨーロッパツアー「Big Love Tour 2015」を実施すると発表。ラインナップは、レウィンソンに代わってローマン・ロス (Roman Roth) がドラマーとして入った以外は、解散時と同じ顔ぶれであった。

 

 

2015年4月19日、バンドはさらに新しいオリジナルアルバムの制作も発表。

5月29日、シンプリー・レッドがニュー・アルバム『ビッグ・ラヴ』(Big Love)を再びEastWestからリリース。全英4位。

 

 

2016年11月11日、シンプリー・レッドはアイルランドのダブリンで「25 Years of Stars Live」ツアーに乗り出し、1991年9月の“Stars”のリリース25周年を祝って、アルバム全体を元の実行順序でステージ上でライヴ演奏を行った。ショーの後半では、ヒット曲とクラシックなシンプリーレッドの曲が取り上げられた。

アイルランドで始まったツアーは、11月13日にイギリスのリバプールを経て、11月27日にロンドンの「The O2」で終わる10日間の日程となった。

 

 

2017年、シンプリー・レッドは毎年恒例のイベント「Symphonica In Rosso」に参加することを発表。

 

 

2019年11月8日、バンドの12thスタジオアルバム『ブルー・アイド・ソウル』(Blue Eyed Soul)をBMGからリリース。全英6位で初登場、最初の週に10,000枚近くを売り上げた他、"Thinking of You"がベルギーでチャート入りを果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Mick Hucknall」「シンプリー・レッド」「Simply Red」

http://www.simplyred.com/

 

 

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