バーナード・サムナー(Bernard Sumner/1956年1月4日~)は、イギリスのミュージシャン。

バーナード・アルブレヒト、バーナード・ディッケンと名乗っていた時期がある。愛称はバーニー。

 

 

 

1956年1月4日、英国イングランドのランカシャー州ブロートン(Broughton)で生まれた。

 

1976年6月4日の金曜日、バーナード・アルブレヒトは友人のピーター・フックと一緒に、マンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたセックス・ピストルズのライヴを観に行き、すぐに自分たちもバンドを結成することを決意。バーニーがギター、ピーターがベースを担当することになり、ヴォーカリストには以前ライヴ会場で知りあったイアン・カーティスが加入。

 

1977年8月、スティーヴン・モリス(Ds)がバンドに加わりメンバーが固まった。当初のバンド名はバズコックスのマネージャーの命名により「スティフ・キトゥンズ」(Stiff Kittens)だったが、すぐにデヴィッド・ボウイのアルバム『ロウ』収録曲から採った「ワルシャワ」 (Warsaw)に変更。

 

1978年1月、類似する名のバンドがあると判明したため、バーニーが発案した名前をバンド内で協議、「ジョイ・ディヴィジョン」(Joy Division)への変更を決定した。この名前はナチス・ドイツの強制収容所内に設けられた慰安所に由来するもので、イェヒエル・デ・ヌールの小説『ダニエラの日記』の一節から採られた。

9月、バンドはファクトリー・レコードのオーナーで、地元の音楽シーンの顔役だったトニー・ウィルソンが司会を務めるテレビ番組に出演、程なくファクトリー・レコードと契約を締結する。ジョイ・ディヴィジョンは次第に知名度を高める。

 

 

1979年6月15日、1stアルバム『アンノウン・プレジャーズ』(Unknown Pleasures)をリリース。『メロディ・メイカー』誌にジョン・サヴェージによる「この年のどのLPよりも最高のものとなるだろう」という賛辞が掲載され、インディーチャートでは初登場2位を記録し最終的に首位を獲得したものの、大きなヒットには結びつかず、イアンの書く内省的な歌詞や特徴的なライブパフォーマンスは多くの人を惹きつけ、ジョイ・ディヴィジョンはポストパンクを代表するバンドとして人気を博した。

10月からはバズコックスをサポートする全英ツアーに出ることになり、音楽で生計を立てることが可能になったメンバーはそれまで続けていた仕事を辞めてバンド活動に専念することになった。

11月16日、シングル"Transmission"をリリース。

 

 

1980年1月、バンドは欧州ツアーを行った後、2月に全英ツアーを展開、3月からは次作のレコーディングのため再びスタジオ入りする。バンドが順調に成功への階段を上る一方で、過密スケジュールは次第にイアンの心身を蝕んでいった。持病のてんかんと鬱病、さらに女性問題も抱え精神的に不安定になった彼は、ツアー中の4月7日にフェノバルビタールを服用し自殺を図る。この時は一命を取り留めたものの、バンドはツアーを続行したため、イアンの状態は悪化した。

4月、遺作となったシングル“ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート”(Love Will Tear Us Apart)をリリースすると翌5月には自身最高の全英13位を記録する。

 

5月18日、全米ツアーへの出発を前日に控えた月曜日早朝、イアン・カーティスは自宅で首を吊り自死。23歳没。彼の遺体は同日昼に帰宅した妻デボラにより発見された。突然の悲劇によりヴォーカリストを失ったジョイ・ディヴィジョンは活動を停止、全米ツアーもキャンセルされた。7月、2枚目の、そして最後となったアルバム『クローサー』(Closer)をリリース、全英6位まで上昇し、年末にはNME誌の特集で年間最優秀アルバムに選出された。

 

8月、イアンの死後に『アンノウン・プレジャーズ』が全英チャートで最高5位を記録。

 

残されたメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決定。イアンの生前に結ばれた「メンバーが一人でも欠けたらジョイ・ディヴィジョンの名前でバンド活動は行わない」という約束に基づき、バンド名を「ニュー・オーダー」(New Order) に改め、バーニーがギターとヴォーカルを兼任、作詞も担当することになった。

 

 

1981年5月、古巣のファクトリー・レコードからシングル“セレモニー”(Ceremony)でデビュー、全英34位。

 

11月、1stアルバム『ムーヴメント』(Movement)を発表、全英30位。これらの作品はジョイ・ディヴィジョンの延長線上ともいえる陰鬱なサウンドに彩られていた。

同年12月のシングル“エヴリシングス・ゴーン・グリーン”(Everything's Gone Green)では電子音を用いたエレクトロ寄りのアプローチをみせ、新境地を開く。

 

 

1982年、当時モリスのガールフレンドで、将来妻となるジリアン・ギルバート(Key,G)を4人目のメンバーとして加えた。
同年5月、ファクトリー・レコードのトニー・ウィルソン社長と共同経営の形でマンチェスターの中心部にナイトクラブをオープン。「ハシエンダ」(Hacienda)と名付けられた同店は、英国の初期のクラブ文化の発展に寄与し、1980年代終わりから1990年代始めに掛けて世界中に衝撃を与えたマッドチェスターやセカンド・サマー・オブ・ラブといった音楽シーンを生み出す母体となった。

 

 

1983年5月、2ndアルバム『権力の美学』(Power, Corruption & Lies)を発表、全英4位に達した。シンセサイザーを駆使し、前作よりエレクトロの要素を強めた本作品の方向性をさらに進めたのが、続けて発表されたシングル“ブルー・マンデー”(Blue Monday)で、同作は12インチ・シングルとしては史上最も売れた作品となる大ヒットを記録した。なお、『権力の美学』は米国盤のみ“ブルー・マンデー”と、同曲B面の“ザ・ビーチ”を収録している。

 

 

 

1984年、バーニーがプロデュースを手がけていたクアンド・クアンゴの楽曲にザ・スミスのギタリストが参加。これがきっかけで、当時ザ・スミスに在籍していたジョニー・マーと出会った。

 

 

1985年5月13日、3rdアルバム『ロウ・ライフ』(Low-Life)を発表、全英7位・全米94位に入った。

 

 

1986年9月29日、4thアルバム『ブラザーフッド』(Brotherhood)をリリース、全英9位・全米117位を記録した。前作とともに幅広い支持を受け、英国のチャート上位に食い込むなど、商業的な成功も収めた。アルバムからのシングルは、"State of the Nation"が全英30位・全米ダンス4位、"Bizarre Love Triangle"が全英56位・全米98位・全米ダンス4位になった。

 

 

 

1987年8月17日、コンピレーションアルバム『Substance 1987』をリリース、全英3位・全米36位。

 

 

1988年4月25日、シングル"Blue Monday 1988"をリリース、全英3位・全米68位・全米ダンス1位。

 

 

1989年1月30日、5thアルバム『テクニーク』(Technique)は当時新しいクラブ・サウンドが芽生えていたイビサ島でレコーディングが行なわれ、流行を先取りした同作はアメリカおよびイギリスなどでゴールドディスクに認定され、全英1位・全米32位を記録、名実ともに彼らの黄金期を代表するアルバムである。アルバムからのリカットは、"Fine Time"が全英11位・全米ダンス2位、"Round & Round"が全英21位・全米64位・全英ダンス1位になった。

 

 

 

同年、バーニーはニュー・オーダーとは別のプロジェクトを展開、元ザ・スミスで当時は「ザ・ザ」にてマット・ジョンソンと一緒に活動中だったジョニー・マー(G)と、「エレクトロニック」(Electronic)を結成。最初のシングル“ゲッティング・アウェイ・ウィズ・イット”(Getting Away With It)は、バッキング・ヴォーカルにペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントを迎え、全英12位、さらに翌1990年にアメリカにおいて38位で全米チャート入り、続くシングル“ゲット・ザ・メッセージ”(Get the Message)は全英8位に達した。また、セルフタイトルのデビューアルバム『エレクトロニック』(Electronic)は世界中で100万枚を売り上げた。

 

 

 

 

1990年5月21日、ニューオーダーはシングル"World in Motion"を発売、全英1位・全米ダンス10位。

 

 

1992年、エレクトロニックのシングル“ディスアポインテッド”(Disappointed)を発表、全英6位。

 

11月23日、ファクトリー・レコードが破産。バンドは急遽、ニューアルバムをリリースするために移籍先を探す羽目になった。

 

 

1993年5月3日、ファクトリー・レコードの崩壊に伴い、ニュー・オーダーの6thアルバム『リパブリック』(Republic)はロンドン・レコードから発表された。全英1位・全米11位。メンバーのソロ活動が影響したのか、前作よりも落ち着いた作風で統一されている。アルバムからのシングルは、"Regret"が全英4位・全米28位・全米ダンス1位、"Ruined in a Day"が全英22位、"World (The Price of Love)"が全英13位・全米92位・全米ダンス1位、"Spooky"が全英22位・全米ダンス6位になった。

 

 

 

 

 

アルバムの制作過程でメンバー間、特にバーニーと他の3人との対立が顕著になり、解散直前の状態まで陥ったこともあり、8月のレディング・フェスティバルでのライヴを最後に活動を休止。日本ではこの後テクノブームが全盛期を迎えるが、ニュー・オーダーは逆にテクノシーンの中心から遠ざかり、メンバーは各自ソロ活動に専念することになった。

 

 

1994年11月21日、ベストアルバム『(the best of) New Order』をリリース、全英4位・全米78位。

 

 

1997年、ハシエンダが閉店。

 

 

1998年、マネージャーの進言により5年ぶりに顔を合わせたメンバーは活動の再開を決意。同年のレディング・フェスティバルで復活ライブを行った。また、これ以降のライヴではこれまで自粛していたジョイ・ディヴィジョン時代の楽曲も積極的に演奏されるようになった。

だが、アルバム・レコーディング中にジョイ・ディヴィジョン時代からマネージャーを務めていたロブ・グレイトンが死去、アルバムリリース遅延の一因となった。

 

 

2001年8月27日発売の7thアルバム『ゲット・レディー』(Get Ready)は従来よりギター・サウンドを前面に出した作品となり、全英6位・全米41位を記録した。アルバムからのシングルは、全英8位・全米ダンス1位になった“クリスタル”(Crystal)、全英29位になった“60マイルズ・アン・アワー”が(60 Miles an Hour)がカットされた。収録曲の“ターン・マイ・ウェイ”(Turn My Way)にスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン、“ロック・ザ・シャック”(Rock the Shack)にはプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーとアンドリュー・イネスがそれぞれ参加、ロック色を濃いものにしている。

 

 

 

 

 

コーガンはアルバム発表後のツアーでもサポート・メンバーとしてもステージに立った。また、本アルバムを最後にジリアン・ギルバートが脱退し、サポートメンバーだった元マリオンのフィル・カニンガムが正式なメンバーとして迎えられた。ジリアンの脱退理由はスティーヴン・モリスとの間に出来た子どもが難病を抱えており育児に専念するためであった。



2005年3月28日、8thアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』(Waiting for the Sirens' Call)を発表。アルバムからのシングルは、"Krafty"が全英8位・全米ダンス2位、 "Jetstream"が全英20位・全米ダンス3位、タイトルトラック"Waiting for the Sirens' Call"が全英21になった。日本盤にはボーナストラックとして日本語ヴァージョンの“クラフティー”(Krafty [Japanese Version])が収録され、フジ・ロック・フェスティバルでの来日公演でも演奏された。

 

 

 

 

10月3日、シングル集『Singles』をリリース、全英4位に達した。

 


2007年5月、ピーター・フックは複数のメディアで「バーナード(・サムナー)とは一緒にやっていけない」と述べ「ニュー・オーダーは解散した」と明言。その一方で、バーニーとモリスは英BBC Newsに宛てた文書を通じて正式に「解散はせず今後も2人で活動を続けて行く」とコメントし、事実上フックは脱退したとの認識を明らかにした。これに対しフックはMySpace上の自身のページにて「バンドはもう終わった。残り三分の二(サムナーとモリス)に活動を続ける権利は無い。僕にも三分の一の権利がある」と改めて解散を宣言、交渉に応じるとも述べながら、裁判を示唆するコメントを残した。

 

 

2009年、バーニーはニュー・オーダーの同僚フィル・カニンガム(G,Key)、無名の新人ジェイク・エヴァンスとともに新バンド「バッド・ルーテナント」(Bad Lieutenant)を結成。

9月28日、シングル“シンク・オア・スイム”(Never Cry Another Tear)をリリース。

10月5日、デビュー・アルバム『ネヴァー・クライ・アナザー・ティアー』(Never Cry Another Tear)をリリース、"Sink or Swim"などを収録し、全英70位を記録した。制作には、ブラーのアレックス・ジェームス(B)やジョイ・ディヴィジョン時代からの盟友スティーヴン・モリス(Ds)の他、ジャック・ミッチェル(Ds)、トム・チャップマン(B)も参加している。

 

 

2011年9月、ニュー・オーダーとしての再結成ライヴを行うことが発表された。これに伴い、ジリアン・ギルバートが復帰するものの、ピーター・フックは参加しないことが明らかにされた。これによりラインナップは、バーナード・サムナー (Bernard Sumner/Vo,G,Key)、スティーヴン・モリス (Stephen Morris/Ds.Key)、ジリアン・ギルバート (Gillian Gilbert/Key,G)、フィル・カニンガム (Phil Cunningham/G,Key)となった。ライヴではフックの代役としてバッド・ルーテナントのレコーディングに参加したトム・チャップマンがベースを担当した。メンバーから外されたことについてフックはバンドを批判する声明を発表した。

 

 

2012年に入ってもバンドはライヴ活動を継続し、英国ツアーの他、日本におけるサマーソニックへの出演も発表された。また、バーニーは年内に新しいアルバムの制作開始を示唆している。

2月/ 3月のニュージーランドとオーストラリアのショートツアー、2012年のいくつかのフェスティバル出演など、2012年を通してツアーを続けました。2012年夏季オリンピックの閉会式を祝うために、ハイドパークでブラーとスペシャルズと一緒にニューオーダーが演奏した。


2013年1月14日、『ロスト・サイレンズ』(Lost Sirens)が、イギリスでリリースされた。本アルバムは、『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』のセッション中に録音された曲の8トラックアルバムである。全英23位・全米174位。



2014年3月のロラパルーザチリでのウェイティングフォーザサイレンスコールセッション「Singularity」以来、最初の新曲をデビューさせた。

7月、グループは北米をツアーし、別の曲“Plastic”をリリースした。

 

9月2日、バンドはミュートレコードと契約。 NewOrderのバックカタログはWarnerMusicに残った。


2015年9月22日、ピーター・フック脱退後初のアルバム『ミュージック・コンプリート』(Music Complete)をリリース。通算10作目のスタジオアルバムとなる本作は主にバンド自身がプロデュースしたが、“Singularity”と“Unlearn This Hatred”の両曲はトム・ローランズがプロデュースし、“Superheated”はスチュアート・プライスが追加プロデュースした。全英2位・全米34位。

 

 

 

 

11月、ピーター・フックは、バーニーことバーナード・サムナー、スティーブン・モリス、ジリアン・ギルバートを訴えた。異議申し立てでは、サムナー、モリス、ギルバートが新会社を設立し、4年間で780万ポンドの収入を生み出したのに、フックはそのほんの一部しか受け取っていないと主張。3人のメンバーは、フックを公平に扱い、彼への分配の妥当性を主張したが、フックは4年間で「バンドのロイヤルティとその他の収入の1.25%をマーチャンダイジングとパフォーマンスから受け取った」だけだった。裁判官は、フックの訴えを少なからず認める一方、サムナーとモリスの弁護士の主張を拒否し、当事者に和解を促した。2017年9月20日、訴訟に関し、完全かつ最終的な和解に達したとバンド側は発表した。


2016年5月13日、ニューオーダーはフォローアップのリミックスアルバム『Complete Music』をリリース。これは、『Music Complete』の各トラックの拡張およびリワークされたミックスで構成された。


2017年7月13日、ニューオーダーは、マンチェスターインターナショナルフェスティバルでリアム・ギリックとの共演コンサートを開催。この時の模様は2019年にライヴアルバムとして発売された。また、ギリックとニューオーダーのコラボレーションは、Mike Christieが監督し、『New Order:Decades』というタイトルのドキュメンタリー特集として放送された。



2018年8月23日、バンドは米国ミネソタ州セントポールのパレスシアターで北米ツアースタート、ツアーの他の開催地には、オハイオ州クリーブランドやワシントンDC、オンタリオ州トロント、カリフォルニア州ロングビーチ、ハワイのホノルルなどが含まれている。

 


2019年7月12日、2年前のリアム・ギリックとのパフォーマンスがライブアルバム『Σ(No、12k、Lg、17Mif)New Order + Liam Gillick:So it going ..(Live at MIF)』としてリリースされ、全英35位になった。

 


2020年1月、バンドはフロリダで4泊の滞在し、2020年2月に彼らは北米でペットショップボーイズとの共同ヘッドライニングツアーを発表、同の英国での唯一のコンサートは10月10日の「The O2」であると発表した。しかしこれらの日程は、後に2021年に再スケジュールされた。
9月8日、バンドは5年振りのシングル“Be a Rebel”をリリース、 NYSU監督によるMVが12月2日にYouTubeで初公開された。

 


2021年2月11日、バンドは、マイク・クリスティー監督のロンドンのアレクサンドラ・パレスでの2018年のショーのライヴアルバムとコンサートフィルムをリリースする計画を発表。『エデュケーションエンターテインメントレクリエーション』(Education Entertainment Recreation)のタイトルで、5月7日にリリースされ、全英32位に達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(関連記事)

 

 

 

(参照)

Wikipedia「バーナード・サムナー」「Bernard Sumner」「ジョイ・ディヴィジョン」「Joy Division」 「ニュー・オーダー」「New Order」 「バッド・ルーテナント (バンド)」「Bad Lieutenant」