ピート・シェリー(Pete Shelley/1955年4月17日~2018年12月6日)は、

グレーター・マンチェスター州ボルトン生まれ。

 

バズコックス(Buzzcocks)の創始者のひとりで、フロントマン。

 

 

 

1976年春にボルトン工科大学(現ボルトン大学)で出会ってバズコックスを結成した

ピート・シェリーとハワード・ディヴォートは

『NME』に掲載されたセックス・ピストルズの初ライヴのレヴューを読んで、

ロンドンまで観に行ったのだという。

 

そこで衝撃を受けたピートとスティーヴは

セックス・ピストルズをマンチェスターに呼び、ライヴを開催した。

 

セックス・ピストルズがデビュー・シングル“アナーキー・イン・ザ・U.K.”を

リリースする何ヶ月も前のことである。

 

1976年6月に実現した公演の客の入りは、寂しいものだった。

しかし40人余りの観衆の中には、ザ・スミスを結成するモリッシー、

後にジョイ・ディヴィジョンを結成するバーナード・サムナーとピーター・フックや、

ニュー・オーダーのメンバーら、みんなピストルズに触発されて

続々ミュージシャンを志した。そのきっかけを作ったのがピートたちだったのである。

 

なお、バズコックスもそのライヴに出演しようとしていたのだが、

それまでにメンバーが脱退してしまったため、それは実現しなかった。

 

しかし、その後、新たなメンバーを迎え、

セックス・ピストルズ2度目のマンチェスター公演では念願かない、

オープニング・アクトを務めたのだという。

 

 

 

1977年にリリースされた初のシングル

“オーガズム・アディクト”(Orgasm Addict)は、いきなり

歌詞が問題になり放送禁止になった。

 

 

 

なにしろタイトルが、Addict「中毒者」、orgasmは、言うまでもなく、「イクこと」。

公共の電波に乗せられないのは、まぁ当然だろう。

むしろ、バンド名ともどもレコードとしてよく出せたものだと思う。

なにせ曲名に加えバンド名のbuzz「騒がしい」に続く「cock(s)」は、

「雄鶏、蛇口」などの他に隠語で「男性器」を意味するのだから。

 

 

バスコックス最大のヒット曲は1978年に発売した

 “エヴァー・フォーレン・イン・ラヴ”(Ever Fallen In Love)。

 

恋をするべきではない相手に恋をしてしまったことがあるかい?

という内容のこの曲は、全英シングル・チャートで最高12位を記録した

 

 

 

 

バズコックスの楽曲というのは、

キャッチーなメロディーと、勢いのあるパンク・ロック・サウンドだが、

ヴォーカルは甘く、内容はほとんどが恋愛やセックスについて歌ったものである。

反権力や権威批判などの勇ましい内容は歌ってはいなく、

軟弱すぎるのではないかとも思われかねないほどである。

 

しかし、激しいビートに耽美なメロディとシニカルな言葉を乗せたバズコックスは

後のバンドに多大な影響を与え、またパンク・ロックの音楽性を拡げたと言える。

 

 

オリジナル・アルバムは解散前までに、1978年に

『アナザー・ミュージック』(Another Music in a Different Kitchen)、

、『ラヴ・バイツ』(Love Bites)、

1979年に『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』(A Different Kind of Tension)

とリリースされ、『ラヴ・バイツ』は全英13位とヒットもしているが、

彼らの魅力が最も凝縮されたアルバムは、アルバム未収録の良曲がそろった

『シングルズ・ゴーイング・ステディ』(Singles Going Steady)なのかもしれない。

 

 

 

 

 

既出の曲のほか、“What Do I Get?”、“Ii Don't Mind”などのシングルを文字通り集めた

『シングルズ・ゴーイング・ステディ』は、

タイトルの意味だが、Going Steadyとはつまり、恋人同士になるということ。

つまり「シングルズ・ゴーイング・ステディ」は、

一人ぼっちだった人に恋人できたという意味と、

シングルを集めたらアルバムができたという、二つの意味を持つのである。

 

 

 

 

ピート・シェリーはバズコックスを解散後、

ソロ・アーティストとして活動していたのだが、エレポップ的な作品が多く、

1981年にリリースされたシングル“ホモサピエン”は

ゲイ・セックスへの露骨な言及を理由に、BBCで放送禁止になったという。

 

この時、ピート・シェリーと一緒に作品を制作していたプロデューサーの

マーティン・ラシェントはこの経験を生かして、エレ・ポップの金字塔的なアルバムであり、

アメリカにおける第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの先がけとなった

ヒューマン・リーグ『ラヴ・アクション』を生み出したといわれている。

 

 

その後、バズコックスは1989年に再結成され、

オルタナティヴ・ロックに大きな影響をあたえたバンドとして再評価される。

 

オルタナティヴ・ロックがポピュラー化するきっかけとなったのは

1991年のニルヴァーナ『ネヴァーマインド』の大ヒットだが、

そのニルヴァーナがアメリカでツアー中、

再結成したバズコックスが近くでライヴをやっていることを知り、観に行ったのだという。

そこでバズコックスとニルヴァーナは知り合い、意気投合し、

結果的にニルヴァーナにとって最後となった

ヨーロッパ・ツアーのオープニング・アクトをバズコックスが務めることとなる。

 

こうしてバズコックスは。セックス・ピストルズとニルヴァーナの両方の

オープニング・アクトを務めたという稀有な経験を持つバンドとなった。

 

その後、ピート・シェリー率いるバズコックスは、

1993年に『トレイド・テスト・トランスミッション』(Trade Test Transmissions)、

1996年『オール・セット』( All Set)、1999年『Modern』、2003年『バズコックス』( Buzzcocks)、

2006年『フラット・パック・フィロソフィー』(Flat-Pack Philosophy)、

2014年『The Way』(2014年)と作品を出し続けていく。

 

 

 

 

 

 

しかし、2018年12月6日、居留地のエストニアで

ピート・シェリーは他界してしまう。

 

享年63歳。死因は心臓発作だったという。

 

 

バズコックスから影響を受けたと公言しているグリーン・デイの

ビリー・ジョー・アームストロングは悲報に際して、以下の言葉を送っている。

 

「安らかに、ピート・シェリー。あなたは本当に俺やマイク(・ダーント)、トレ(・クール)のインスピレーションだったんだ。俺たちは“Ever Fallen in Love”を必死にカヴァーしていた。『シングルズ・ゴーイング・ステディ』は俺にとってすごく大きなレコードだったよ。バズコックスは孤独な心の持ち主や変わり者に何世代にもわたって影響を与えるスタイルをまさに発明してみせたんだ。ラウドで速いパンク・ロックに美しいメロディを書くことを怖気づかなかった。あなたは“Harmony in My Head”だよ」

 

 

 

 

そして、2020年2月14日、ピートのいないバズコックが動き出す。

 

彼の没後初となる新曲“Gotta Get Better”と“Destination Zero”のMVを発表。

 

 

 

 

 

ピートに代わり、ギタリストのスティーヴ・ディグルがリード・ヴォーカルを担当しており、

“Gotta Get Better”は、ディグルが2014年に発表したソロ曲のリワークとなる。

 

この2曲は2月14日にリリースされており、チェリー・レッド・レコーズから

ストリーミング/ダウンロードが出来るが、

500枚限定の7インチ・オレンジ・ヴァイナルも発売されている。

 

 

ピートのいないバズコックスは、果たしてバズコックスなのか?

 

もうしばらくその活動を見守りたいと思う。