パッツィ・ケンジット(Patsy Kensit/本名:Patricia Jude Frances Kensit/1968年3月4日~)は、

イギリスの女優、歌手。

 

 

 

1968年3月4日、パトリシア・ジュード・フランシス・ケンジットは、英国イングランドのランベスの総合病院で生まれた。彼女には1963年に生まれた兄のジェイミーがいる。

父方の祖父は強盗と偽造者で、父親ジェームズもロンドンで悪名高いクレイ兄弟(Kray twins)とも交友のあったギャングであり、「ジミー・ザ・ディップ」というニックネームを獲得し、大列車強盗に関与、パッツィが生まれる前には獄中にいた。母親マーガレット・ローズ・ケンジット(旧姓ドゥーハン)はアイルランド系で、ディオールの秘書として勤務、その以前はアガカーンIV世とデートしていた元モデル。母方の祖父母はアイルランドのリートリム州出身だった。

 

パッツィは幼少期をハウンズローの公営住宅で過ごし、床のマットレスで寝なければならなかった。 彼女はニューランドハウススクール、セントキャサリンスクール、トゥイッケナム、コロナシアタースクールに通った。

 

1972年、4歳の時にパッツィはバーズアイ冷凍豆のテレビコマーシャルに出演した。以降、CMや雑誌などに子役として出演した。

同年、『For the Love of Ada』で映画デビュー。

1974年、『華麗なるギャツビー』(Great Gatsby)に出演。

1976年、エリザベス・テーラー主演のミュージカル映画『青い鳥』(The Blue Bird,)でミチル役を演じる。

1979年、ハリソン・フォード主演の映画『ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど』(Hanover Street)に出演すると、彼女の演技が評価され、ヤングアーティストアワードの最優秀若手女優賞にノミネートされた。

 

1983年、実兄ジェイミーが「スパイス」(Spice)というバンドを始めた時、空いていたリード・ヴォーカルの座を得るため、パッツィはオーディションを受けて合格、15歳でバンド結成に加わった。ラインナップは、パッツィ・ケンジット(Vo)、ジェイミー・ケンジット(G)、ジェフ・ボーシャン(G)、ローレンス・ルイス(B)、ジェイク・ウォルターズ(Ds)、ナイジェル・デイビス(Perc)で構成。

同年秋、スパイスはライヴデビューし、翌年はレコードレーベルから注目を集めることを期待して、さらにギグを演奏した。

 

 

1984年後半、デイビスがバンド「スリップストリーム」を始めるために脱退、アレックス・ゴッドソン(Key)がバンドに加わった。

バンドは名前を「エイス・ワンダー」(Eighth Wonder)に変更し、パッツィ・ケンジットはバンドのために曲を書き始めた。バンド名は、「世界七不思議」(Seven Wonders of the World)に次ぐ「世界で八番目の不思議」(Eighth Wonder)の意で、七不思議の次に(あるいは「七不思議並みに」)注目すべきもの、ということを意味した。

11月、バンド名を変えてから最初のギグをロンドンのウィンブルドンで実施。その後、ケンジントンのクイーンエリザベスカレッジを含むさらなるギグが続いた。

この頃、パレスフィルムの共同所有者であるスティーブン・ウーリーが、ジュリアン・テンプル監督のミュージカル映画『ビギナーズ』(Absolute Beginners)でパッツィに準主役の「クレープシュゼット」役を用意し、これに伴いエイス・ワンダーのサウンドトラックへの曲提供が決まった。

 

 

1985年4月、バンドはCBSレコードと契約を結び、ロンドンでレコーディングを開始。パッツィは映画の撮影に取り組んだ。

10月、映画の撮影が終了し、エイス・ワンダーは1stシングル“ステイ・ウィズ・ミー”(Stay with Me)でデビューした。デビュー曲は本国イギリスではほとんど話題にならずチャート65位に終わったが、イタリアでは初登場4位を記録した後チャート1位を獲得。

 

一方、デビュー直後、ベーシストのルイスとドラマーのウォルターズがバンドを去り、その後、バンドはドラムマシンを取り入れるようになり、ベースサウンドにキーボードを使い始めた。

 

 

1986年3月21日、日本でも“ステイ・ウィズ・ミー”がシングル発売、洋楽ながらオリコン30位、同洋楽シングルチャートでは同年4月14日付から8週連続1位を記録するなど大ヒットした。日本ではまた、『MTV』などのPV番組が続々放送を開始した時期と重なり、PVで超ミニスカートを着用して歌うパッツィがアイドル的な扱いをされて人気が高まった。

4月18日、パッツィが出演した映画『ビギナーズ』が公開、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)らとの共演もあって話題になった。

 

 

同年、日本限定シングル"Having It All"をリリース、オリコン88位を記録した。

 

8月、バンドはデビューアルバム『フィアレス』用の新曲をレコーディングするためロサンゼルスへ向かった。そこで彼らは、ブロンディとの仕事で最もよく知られるプロデューサーのマイク・チャップマンと仕事をした。彼らはまた、最終的には使用されなかったが、ユーリズミックスのデイブ・スチュワートとも仕事をした。

アルバムの制作中、ゴッドソンが脱退、ドラマーのスティーブ・グラントリーが加入した。

 

 

1987年1月21日、シングルとB面曲を収録した日本限定ミニアルバム『ブリリアント・ドリームス』(Brilliant Dreams)をリリース、オリコン11位に達した。

 

2月、チャップマンがプロデュースしたトラックの1つ“Will You Remember”がイギリスでリリース、本国のチャートでは83位に終わったが、この曲で参加したサンレモ音楽祭で印象的なパフォーマンスを披露した後、イタリアで7位に到達した。

 

同年、日本ではホリー・ナイトとエルトン・ジョンの長年の協力者であるバーニー・トーピンによって書かれた別のチャップマン作品“浮気なテディ・ボーイ”(When The Phone Stops Ringing)が発売され、オリコン52位、同洋楽シングルチャートで1987年2月23日付から3週連続1位を達成し、ノエビア化粧品のCMソングに使われた。この曲はイタリアでも26位とトップ30ヒットになった。

 


1988年2月8日、パーティーで知り合ったペット・ショップ・ボーイズに書き下ろしてもらった“モンマルトルの森”(I'm Not Scared)をリリースすると、全英7位とイギリスでもようやくヒット、さらにイタリアで再び1位を獲得したのをはじめ、欧州のほとんどの国でトップ10入りするヒットとなった。日本ではオリコン100位と振るわなかった。

 

4月、初のアルバム『クロス・マイ・ハート』(Fearless)をリリースし、全英47位、世界で10月までに約50万枚の売り上げを達成した。日本ではオリコン7位に達し、同洋楽アルバムチャートで同年7月18日付から2週連続1位を獲得した。

 

5月、シングル“クロス・マイ・ハート”(Cross My Heart)をリリースすると、全英13位、イタリア10位、スイス6位など、前作“モンマルトルの森”に準じる成功を欧州各国で達成し、全米56位と初めて米国でもチャート入りを果たした。

 

続くシングル"Baby Baby"はスペインで10位となったが、イタリア13位、全英65位、全米84位と失速。これが最後のヒット曲となった。同曲は同じ年に香港の歌手エルヴィーナ・コンによって広東語でカヴァーされた。

 

順調にバンド活動を継続するかと思われたが、これ以降本国でリリースはなく、パッツィが俳優としてのキャリアを優先させたいとの希望を持つことから、実質解散状態となった。

同年、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトの創設メンバーなどとして知られるキーボーディストのダン・ドノヴァン(Dan Donovan/1962年8月10日~)と結婚。

 

 

1989年、エイス・ワンダーは最後にシングル"Use Me"、ベスト・リミックス『Eighth Wonder: The Best Remixes』を日本限定でリリースするが、目立った実績は残せなかった。

 

 

同年公開の人気シリーズ第二弾の映画『リーサル・ウェポン2/炎の約束』(Lethal Weapon 2)にパッツィ・ケンジットが出演、ヒロイン「リカ・ファン・デン・ヴァールス」役でメル・ギブソンと共演を果たしてハリウッドに進出した。世界的な女優としての活躍が期待されたが、これ以降はヒット作品に恵まれていない。

 

 

その後、イギリスに戻りテレビのコメディー番組などで人気者となっている。

 

 

1991年、ダン・ドノヴァンと離婚。

同年、映画『Twenty-One』の「Katie」役で「Independent Spirit Award」で「Best Female Lead」にノミネート。

 

 

1992年、シンプル・マインズのフロントマンとして知られるジム・カー(Jim Kerr/1959年7月9日~)と結婚。カーも前妻であるブリテンダーズのクリッシー・ハインドと離婚していたため、二人とも再婚だったが、長男ジェイムスをもうけるも1996年に離婚した。

 

 

1997年4月7日、当時オアシスのヴォーカリストだったリアム・ギャラガー(Liam Gallagher/1972年9月21日~)と再々婚。だがパッツィと結婚した1週間後にリアムはシンガーのリサ・ムーアリッシュと浮気し、彼女は妊娠、1998年1月にモリーを出産した。

 

 

1999年9月13日、リアム・ギャラガーとの間に生まれた子どもを出産、彼が大ファンであるジョン・レノンの名前にちなんでレノン・フランシス・ギャラガーと名付けるも、2000年に離婚。

 

 

2004年、パッツィはメロドラマ『エマーデール』(Emmerdale)に「Sadie King」として参加、2005年のスピンオフシリーズ『A Bear's Tail』とともに、チャンネル4の『Bo'Selecta!』第3シリーズにも定期的に出演。人気コメディ番組での成功で、彼女は世間の注目を集めた。2006年9月、パッツィはヨークシャーへの通勤と息子たちから離れる時間でストレスが大きすぎるとして、『エマーデール』を辞めた。


2005年9月と10月、ケンジットは「Ant&Dec」のゲームショーマラソンに有名人の出場者として登場し、キャロル・ボーダマンに敗れる前に、Play Your CardsRightに進みました。2006年6月23日、ケンジットのゲストはバンドプラセボと一緒にフライデーナイトプロジェクトを主催した。


2007年1月、パッツィはBBC Oneの医療ドラマ『ホルビーシティ』にワードシスターの「フェイ・モートン」役で出演。2010年3月14日、彼女がショーを去ることが明らかになった。2019年5月、彼女は同年後半に、フェイ・モートンとして再登場することが発表された。


2008年8月、パッツィは『あなたは誰だと思いますか?』第6シリーズのメインアクトとして登場。2010年7月にブルースフォーサイスのエピソードが放送されるまで、それは番組史上最高評価のエピソードになり、710万人の視聴者に視聴された。2015年の時点で、それはまだプログラムの2番目に高い評価エピソードのポジションを維持していた。

 

 

2009年4月、DJのジェレミー・ヒーリーと4度目の結婚。結婚式には2番目の夫ジム・カーと、3番目の夫リアム・ギャラガーも参列したという。

 

 

2010年2月、ジェレミー・ヒーリーと離別した。

9月、パッツィは『ストリクトリー・カム・ダンシング』の第8シリーズに出場。彼女はプロのダンサー、ロビン・ウィンザーと組んだが、7位で終わった。


2012年5月15日、彼女はチャンネル4のドキュメンタリー『Sex、Lies and Rinsing Guys』でナレーションを担当した。

 

 

2014年4月7日、パッツィはITVのチャット番組『Loose Women』のゲストパネリストを務めた。

 

 

2015年1月7日、彼女は『セレブリティビッグブラザー』の第15シリーズにハウスメイトとして参加、21日間を過ごした後、家から追い出された3番目の有名人となった。


2018年、パッツィは、閉経期に重大な問題を経験した後に行われた、意識的な思春期キャンペーンを開始した。彼女は現在、ソーシャルメディアチャネル全体でキャンペーンを使用して、あらゆる年齢の他の女性と対話している。


2021年3月、パッツィはBBC Twoのリチャード・オスマンの『ゲームハウス』に出演。

同年後半、彼女は『マクドナルド&ドッズ』のエピソードにゲスト出演し、映画『ペブルと少年』に出演した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「パッツィ・ケンジット」「Patsy Kensit」「エイス・ワンダー」「Eighth Wonder (band)」

 

 

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