昨夜の夢。
朝起きた際には なんてことない内容と受け止めたのですが、こうしてこれを書いている今宵は しみじみと
まるでスルメイカを味わうような 有難い「一夢」となりました。
~夢 ここから ~
わたしは どこか山中に旅行に来ているようです。
滝の音と 川のせせらぎが聞こえます。
そんな心地よい環境の中、乗り物のなかでしょうか(うろ覚え)、ある人と一緒にいます。
その人とは妙に身体が接触しており、お互いまるで 猫がじゃれあうかのように過ごしています。
相手は 私が二十代前半頃だったでしょうか、一時的に仲良くしていた男性です。
わたしは 彼とじゃれあいながら なぜか 彼のフルネームを頭の中で復唱し、「ふーん」 と思っています。
周囲の新緑が妙にまぶしく、一方で 彼の眠たそうな目がなんとも印象的でした。
~ 夢ここまで ~
朝、目覚めたときは
「なんで今頃 あの人の登場なん・・・?」 と 半ば笑えるぐらい 意外な登場人物でした。
友達以上、恋人未満・・・のような間柄で 一時仲良く遊んでいた人です。
夢の真意はわからずに そのまま日中過ごしたのですが、職場では急な依頼事が押し寄せて終日大わらわで 夢のこともどこか彼方へ。
帰宅した今宵、朝の夢をふと思い出し、頭での分析というよりも 感性でその夢を受け止めた気がしました。
彼とよく遊んでいた頃、わたしは職場での仕事をかなり精力的に取り組んでいました。
彼は社外の人でしたが、いわゆるエリートコースをゆく優秀なサラリーマン。 容姿端麗でおそらく相当に人気があったのかと思います。
お互い結構、仕事の話もして盛り上がりました。
あれから長い年月が経ち、そのころの自分とその人の関係性、昨晩夢を観た風景で 気づいたことがひとつ。
「ずいぶん、かなり、相当に 虚勢を張っていたわたしが居た」
あの頃のわたしは この一言に、尽きます。
面白いことに、それをとてもいとおしく眺めている自分が今、ここに居ります。
当時のわたしは 明らかに実力以上のポジションに身を置き、そしてそれを真摯に受け止め精進することよりも
自分をいかに より都合よく、よく見せるかの 「虚勢」方向に、意識も態度も行動も走っていた。
あの頃は 目の前のことに必死だと思っていましたが、いま振り返ると・・・どうだかな。
勘違いの野心、とも言えますが、今思えば 究極に恥ずかしいこと を 平然とやっていたのですね。
こういのを 若気の至りというのか・・・?
その野心の一投影としての姿が、夢で登場した彼でした。 今は 心からそう解る。 好きだったわけではないんです。
彼とのことがいまだわたしの記憶貯蔵庫にあったなんて 驚きですが、昨夜の夢で それが解凍され表面化する時期を迎えたようです。
何十年も経った自分が そのころの自分を「ありのまま」に受け入れられたとき、何かがすっと自分から剥がれていった気がしました。
この一か月、相当に多忙な日々の中、「無意識な不満」が蓄積し、それが自分を疲れさせていたのですが、
それもこれも「自分こそが 自分を疲れさせるベクトルに自分がエネルギーを向けていた」 ということ。
そしてそれは、この夢が語る 「虚勢を張る」 ということとリンクしているのだなと。
自分を高めるための背伸びは 成長に繋がりますが、「実」を伴わない背伸びは単に虚勢で終わり、それは結果的に 自分が苦しくなるだけなのですね。
そんなこんなを想ったとき、周囲に無意識に不満を抱いていた我がベクトルが自動修正されたように思いました。
現状の身の丈をしっかり受け止めながら、より俯瞰する眼をもって世の中を眺め、その場その場で全体が整うような適切な判断と行動ができたらいいなと 思っています。
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