人間の性でしょうか。
何かが足りないと思うと、ついそれを埋めようとする。
足りないものを探し、
安心を探し、
刺激を探し、
理由を探す。
最近、長く続けてきた一つの習慣を手放してみた。
最初は少し落ち着かなかった。
その習慣が埋めてくれていたと思っていたものが、
ぽっかり空いたような気がしたから。
体調も不安定になった。そうか、中毒だったのか(笑)
けれど、18日目に不思議な不思議なことが起きた。
その「ぽっかり空いたような空白」は空白ではなかったことに気づいた。
何かが欠けていたのではない。
実は、最初から、満たされていた。
ただ、その静けさに気づけなかっただけだった。
いつもなぜか満たされるために何かを足そうとする。
けれど本当は、足すことではなく、
手放すことで見えてくるものがあるのかもしれない。
そして、空いた場所には自然と何かが戻ってくる。
「自然と」が待てない場合、おかしなことにまた
自然ではない別の何かで補おうという衝動が邪魔をするけれど。。。
辛抱強くそのまま「自然と」を待っていて気づいたこと。
それは「やらなければならないこと」ではなく、
「成功しそうだからやること」でもなく、
「お金になるから続けること」でもない。
そして、「良き人になる努力」でもない。
理由などなく、ただ好きだからやること。
時間を忘れるほど夢中になれること。
子どもの頃の遊びのように、結果とは関係なく心が動くこと。
人は、何かを得るためだけに生きているわけではない。
何かになるためだけに生きているわけでもない。
ただ、その人らしく遊ぶために生きているのではないかな?
「何を増やすか」よりも、「何を手放すか」のほうが大切な時がある。
何かを手放した先で、
「これが好きだった。」
「これをやっている時間が、ただ幸せだった。」
そんなことを思い出せたなら、手放しは「失う」ことではなく、
本来の自分を取り戻したということなのだと思う。
もともと満たされていた。
そのことを思い出す旅は、案外、
何かを始めることではなく、
何かを教わることでもなく、
何かを終えることから始まるのかもしれないですね。
伊野華絵(いのはなえ)