昨夜は ことのほか 「闇夜」 でした。
それは 日没前ぐらいから始まったでしょうか。
音もなく、静かに、徐々に 闇夜は 暗雲立ち込めるようにやってきました。
ここでいう 「闇夜」とは
「心の闇夜」 です。
精神的世界の景色です。
「将来に対する 唯ぼんやりとした不安」
芥川龍之介は こう残して逝ったというけれど、彼の感じた空気は こんなのだったのかな・・・
と思ったりしながら 昨夜のわたしは その「闇夜」と対峙していました。
すっかり頻度は少なくなりましたが、 わたしの人生は この「闇夜」に 何度も遭遇しています。
十代、二十代の多感で鋭敏な頃は それに振り回され、アップダウンの激しさに自分をもてあましていましたが
この「闇夜」の正体を 自分なりに受け止める(というかやりすごす)ことができるようになると、
あ、また来た・・・。
とあらかじめ 対処できるようにもなりますから、年を重ねるということは なかなか知恵がついて有難いものであります
「闇夜」は 簡単に言うと 「理由のない不安感」 に襲われることです。
何らかの原因がわかっていれば こんな楽なことはないのですが、それは 比較的急に、そして静かにやってきます。
目に見えない、どうしようにもあらがえない・・・ まるで嵐が去るのを部屋の中でじっと待つように、
ただ、それが通り過ぎるのをひたすら待つだけ。 その間 精神はかなり崩壊状態。。。
「理由のない不安感」 に対処する方法は 逆らわないこと。
昔はこれができなくて、
「自分の何が悪いのだろう」
と 原因を探したり、抵抗したり、あるいは自己卑下でますます自分を苦しめたりしていました。 どうしようもないほどの「無価値観」。
(ひどいと発狂寸前の状態にまでなる)
今は、はっきりとわかるのですが、 「闇夜」の正体は、 わたしたち人間の
「集合意識の中にある 雨雲」 みたいなものです。
わたしは昔から なぜかこういう ゾーンに スポーンと入り込むことがあります。
タロットしたり、夢解釈に凝ったり、潜在意識に深く入り込むことが多いからなのではありますが、もともとの性質でしょう。
この 「理由のない不安感」という闇夜が 「わたし個人のものではない」 と気づいたとき、対処法もわかりました。
例えると、たまたま わたしの乗っている列車が走るその場所に その雨雲が訪れて 天候が荒れた景色が見えただけ。
その「理由のない不安感」 は通り過ぎる車窓からの風景のひとつにすぎない。
「闇夜」が 訪れても、 「個人的なこととしてとらえない(観ない)」 ということです。
列車が先に進めば、車窓から見える景色も変化し、やがて雨雲も消え、晴れ間が見えてきます。
今日は 「闇夜」を例に挙げましたが、 自分に訪れるいろんな 想い・感情を 個人的な視点でとらえなければ また違った解釈ができるものです。
誰もがこういう経験しているのかなあ。
久しぶりに訪れた闇夜だったので 書いてみました。
「理由のない不安感」 は 恐れる必要はまったくないです。 ただ、相手にせず、静かに通り過ぎるのを待つこと。
そして、それを決して 「自分個人のこととしてとらえないこと」。
結構てごわいんですけどね。。。 これに限ります。
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