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一歩一歩 前に前に(小学生バレーボールチーム 矢口タートルズVC)

このブログは小学生バレーボールチーム「矢口タートルズVC」の情報と、小学校教育に関する情報を発信しています。

長らく使ってきたブログのサービスが終了するため、こちらのブログに引っ越すことになりました。

今日の記事は投稿の練習のために書いているものです。

慣れるまで記事投稿は少なくなるかもしれません。


この写真の自転車を購入しました。
シューズと比べれば、その小ささが分かると思います。タイヤは14インチしかありません。
今日、店に車で取りに行って、駐車場から自宅まで乗ってみました。小さいのにけっこう走ります。ただハンドルさばきが不安定で、慣れないと危ないなとも感じました。

この自転車、7キログラムしかありませんので、近場の出張がある日には、折りたたんで輪行袋に入れ、電車に携帯し、勤務校近くの駅で組み立て学校まで行く。近場の出張はこの自転車で行くという企みをしました。

通勤に自転車を携帯する人も珍しいでしょう。

駅が遠くなるということは、いろいろと不便です。

バレーボール練習のできる土曜日がやっと来ました。
監督の私が学校を異動したため、練習や試合は土日にしか行けなくなりました。それを保護者の皆様でカバーしてくださるということで、平日練習もこれまで通りにできることになりました。ありがたいことです。

新体制になった今日の練習では、幸先よく新入部員が入ってくれました。MRS登録もすぐに済んで、お子さんも一生懸命練習に励んでいました。これで10人の子ども部員になりますが、新チーム形態になる矢口タートルズですので、夏休みまでには20人の子ども部員になると宣言しておきましょう。


そして今日は中学に進学した卒部生や、高校に進学した矢口小学校の卒業生も練習参加してくれて、現役レギュラーチームは貴重な試合経験も積むことができました。

卒業生の帰る場所、心の故郷として、矢口タートルズを存続していくことは、とても大切なのです。チームの先輩として自分の中学での頑張りを伝えてくれると、小学生の子どもたちの大きな刺激になります。


江東区の辰巳ジャンプを指導していた時も、私が文京区の学校の副校長になったことで、土日にしか指導できない状況でしたが、平日に保護者の皆様のご協力をいただき、都大会への出場を続けることができました。

矢口タートルズはいまだ都大会出場のいう目標は達成できていませんが、今年度、それが叶うように私も頑張ろうと思います。
4月に勤務校が変わり、それに伴い利用する電車の駅も変わりました。これまでの自宅から駅まで3分、駅から学校まで3分という、極めて便利な環境だったことに慣れてしまい、駅まで歩く距離が伸びたことが苦痛になっています。加えて、出張関係も調べてみると交通の便が良くないということが分かり、これは何とかせんといかんなと思ったわけです。

これを解決するために、「折りたたみ式自転車」の購入をすることにしました。しかも重量は6キログラム台。自宅から駅まで自転車で行き、折りたたんで携帯バッグに入れ、そのまま電車に乗る。電車は行きも帰りもガラガラにすいているので、大荷物も迷惑にはならない感じ。下車駅でカチカチと組み立て、それに乗って職場へ行く。出張へ行くときも、この自転車に乗って行けば、たいがいの場所は10分程度で着くみたい。

こんな計画を立て、今日は大手自転車屋に相談に行き、「ネット購入して店舗へ届けてもらうようにすると安いですよ。」と親切に教えてくれたので、さっそくネット購入の手続きはしました。

これで井上車の駐車場にも自転車で行けるようになるから、とても便利であることはまちがいない。

ちなみにこんな感じです。
最軽量折りたたみ自転車!輪行セット【兵庫県・網引編】
昨日、校歌などの動画をあげましたが、ふと考えると、今の自分の仕事状況だと、著作権問題になりかねないと思い。いったん公開停止しました。

今日は校長権限で、「バレー部で体育館を使うから」と強引に押し切って、6年生の卒業記念イベントを行いました。
今日のスペシャルゲストは、中学生の矢口タートルズ卒部生たちです。とくに中学校3年生は、中学を卒業し、高校生になるということもありましたので、ぜひとも呼びたいと思っていました。10人も部員がいた中3生のうち6人が来てくれました。これは嬉しかったですね。1期生はたった1人だったのですが、2期生の中3生は、仲間意識が強く、バレーボールに本当に完全にはまってくれて、練習のない日には、公園や多摩川土手で仲良く自主練習をしていたくらい。小学生バレーボール指導者として復活した私にとっても大切な大切な子供たちだったのです。この子たちが矢口タートルズの基礎を作ってくれて、この子たちの思いを大切にしながら3年間引継ぎ、今年度はいよいよ都大会まであと一歩、大田区大会でも3回中2回は準優勝というレベルの高いチームにすることができたわけです。高校に進学する卒部生たちは、ほとんどがバレーボール部に入ると決めているらしく、これもまた指導者冥利に尽きる話題になりました。

今日の卒部イベントは、6年生チーム、新チーム、大人チーム、中学生チームの4チームリーグ戦。25点1セットマッチで行い、優勝は6年生チーム、3連勝でした。6年生チームの試合ぶりを初めてみた中学3年生からは、「お~!すごいスパイクだね」「なにあのサーブ」といった、驚きの声も聞こえてきて、私としてはこうしてチームの歴史が作られていくんだと、久しぶりに思い起こす思いにひたることができました。

「PTA親子バレーボール同好会」という日本にこれまで無かった新しい活動形態を創り出したチームでしたので、保護者の皆様には本当に力を尽くしていただきました。とくに今年度、東京都夏季大会優勝と東京新聞杯都大会出場を目指して、休みなく夏休みの猛練習を続けた時には、一緒にご協力していただきまして、本当にありがとうございました。ライバルチームを想定して大人チームを組んでいただいたことが、夏季大会の優勝に完全につながりました。

思い起こしていけば、数多くの感激と涙があったこの1年間でした。
心より感謝しています。

う~ん、小さな体の小学生が一生懸命頑張って、大人でも勝てないこんなにすごいチームになってしまう。まるで魔法のような大きな成長をとげる。普通の学校生活では絶対に経験できないこの姿。やめられないのですよね、小学生バレーボールの指導者は。子供たちの成長する姿は、まさに指導者のとっての麻薬です。

新年度、私が学校を異動してしまうため、新チームの練習には大きなマイナスを与えてしまいますが、「全力、集中、励まし、絶対にあきらめない人間力を鍛えること」の矢口タートルズ練習訓の通り、絶対にあきらめない1年間にしていきたいと決意しています。

まずは「アファメーション」をかけておきます。
「2025年。矢口タートルズは急激な部員増加が起こる。たくさんの小学校から新入部員が入り、各学年で1チーム組める状態になる。子供も大人もみんな仲良く、いつも笑顔で体育館に集まるチームである。」
母親が亡くなり、今後、必要だと思われる手続きを列挙してみました。(これは自分の身内に流した内容ですが、読者の参考にもなるかもしれないので記録しておきます)

・墓苑予約、埋葬手続き
・戸籍、住民票手続き
・保険証手続き
・年金停止手続き
・信用金庫、相続関係手続き
・電話停止手続き
・電気停止手続き
・ガス停止手続き
・新聞解約
・部屋の全片付け
・住宅解約
・自治会への連絡
・自転車譲渡手続き

まだありそうですが、地元にいる私がやります。
これだけでは終わらないはずなので、人の人生は簡単ではないのだなと感じます。
3月20日、平和島の大森スポーツセンターで、大田区卒業記念つばさカップがあり、混合の部で矢口タートルズも出場しました。結果はあまり良いとは言えませんでしたが、練習をまったくできなかったので、子どもたちの責任ではありません。練習を確保できなかった私の責任です。試合後は、子どもたちに、これまで頑張ってきてくれて本当にありがとうと伝えました。

大会が終わり、今、ほぼ毎日、夜に介護に行っていた母親のところに行きました。途中、たくさんの食材を買って、かけつけました。室内の電気はついていたので、合鍵で部屋に入りました。しかし、母親が部屋にいる感じがしません。つばさカップ中も、妹からのラインで、電話に出ないと入っていたので心配していたのです。
風呂の電気もついていたので確認すると、湯船の中で亡くなっている状況でした。

すぐに119番通報、母親がいつもお世話になっているご近所の方々にも連絡、妹弟にも連絡と、どたばたしましたが、1年前に亡くなった父親とまったく同じ状況だったので、冷静に警察対応しました。

今年に入って、母親の生活状況が良くなく、ご近所の方のアドバイスで生存確認のためにもと、業者の宅食を入れてみたり、介護認定のための様々な手続きを、介護の仕事をしているバレーボール指導者仲間のアドバイスを受けながら進めていた中でのこの出来事だったので、とても残念ではあります。

亡くなる前日の昨日も、夜に訪問していたのですが、火を使うのは危ないなと思ってロックをかけていたガス台が、壊れているから新しいのを買いに行くと言うので、ロックをはずして、「壊れていないから使ってみてよ」とお湯を沸かす行動を促しましたが、元栓が開いているのに、自分で閉めてから点火しようとして、「ほら壊れている」という始末。3時間かけてなんとか納得させて、ガス台購入はあきらめさせて、もう遅いから寝ましょうと寝かせ、自分は帰宅しましたが、もしかしたらその後に風呂に入ったのかもしれません。

来週、卒業式もあり、まさかの校長不在の卒業式はないぞと心配しました。しかし今回、弟が強い意志で、葬儀関係の対応をしてくれていることで、卒業式前日に火葬することになり、月曜日の卒業式には式辞を語ることができることになりました。

警察の監察医務院の判断は、虚血性心不全ということで、このケースでよく出される診断にいたりました。
児玉源太郎〜2階級下の参謀次長に志願して国難に向かう


児玉源太郎〜日本を勝利に導いた後、すぐに世を去った


(GoogleGeminiの回答)

日本の学校教育で児玉源太郎が十分に教えられていない理由については、いくつかの要因が考えられます。

1. 学習指導要領における歴史教育の焦点
日本の歴史教育は、時代ごとの主要な出来事や人物に焦点を当てています。児玉源太郎は、日露戦争における活躍や台湾総督としての業績など、重要な役割を果たしましたが、教科書で詳細に扱うには、他の多くの歴史的出来事や人物との兼ね合いがあります。
近現代史においては、戦争の悲惨さや平和の重要性を学ぶことが重視される傾向があり、児玉源太郎のような軍事的側面が強調される人物は、扱いが慎重になることがあります。

2. 歴史観の多様性
児玉源太郎の評価は、歴史観によって異なります。軍事的な功績を高く評価する一方で、植民地政策との関わりなど、批判的な視点も存在します。
学校教育では、特定の歴史観に偏ることなく、多角的な視点から歴史を学ぶことが求められるため、児玉源太郎のような評価が分かれる人物は、扱いが難しい場合があります。

3. 地域性
児玉源太郎は、山口県出身であり、地元では顕彰されています。地域によっては、歴史上の人物の扱いが異なることがあります。

4. 近代史における人物の多さ
日本の近代史は、多くの重要な人物が登場する時代であり、限られた授業時間の中で、すべての人物を詳細に扱うことは困難です。

補足
児玉源太郎は、日露戦争における作戦指導や台湾統治など、日本の近代化に大きく貢献した人物です。
近年では、児玉源太郎の業績を再評価する動きもあり、関連書籍や研究も増えています。
歴史教育においては、教科書だけでなく、様々な資料や情報源を活用して、多角的な視点から歴史を学ぶことが重要です。
これらの要因が複合的に作用し、児玉源太郎が学校教育で十分に教えられていない状況を生み出していると考えられます。
TBS日曜ドラマ「御上先生」からの言葉が私の心にピタリと合った。

「人の記憶力は若い時がピークと言われているし、実際そうなんだけど、実は年をとればとるほど頭って良くなるんだよ。知識がたまっていって、あるときシナプスが伸びて、脳細胞どうしがつながる。それが理解したってことで、この理解力は30才を超えて深くなっていくと言われているんだ。そのかわり若いうちにたくさん努力する必要があるらしいけどね。僕が読んだ本には30才をどう迎えるかが大切だと書いてあったけどね。たとえばその時期、本を読んで過ごした人には、一生言葉とよい関係を築けるし、深く読めるようになります。僕は職場で国会答弁書きながら、気付いたら日付変わってたね。僕以外みんな帰って、だれもいない職場で、30才を迎えながら国会答弁を考える。官僚としてこれ以外ないほど贅沢な誕生日だったよ。」

激しく同意した。

私は本当にラッキーだった。
大学時代の19歳の時に、人生の師と決めた方から指針を与えられた。

「人間は30歳までが勝負である。私も20代の頃に、師匠と決めた方から徹底的に鍛えられた。師匠と会えば必ず、『今、どんな本を読んでいるんだ?』と聞かれた。困難な組織があれば、改革せよと任され、歴史を刻んできた。20代が大事だ。結果が出なくてもよい。20代でどのような人生の習慣を築くかで、その後の人生が決まる。30代から変わろうと思っても、それは非常に難しいことだ。20代で自分自身と格闘した経験が、30代以降にすべて花開くのだ。」

私は、この指針を真っ直ぐに受けとめて、独学ではあったが、20代のうちに授業実践について徹底的に学んだ。
30代で、社会に訴えていける実績を積むことができた。私の教育実践を、新聞やテレビでたくさん紹介してもらえた。

40代でマインドマップやフォトリーディングと出会い、信じがたい研修を受けた結果、日本の教育界を動かすような実践を積むことができた。

その結果、若い頃には「生涯一教師」として人生を送ると想像していた自分が、副校長となり、校長となった。

20代が本当に大事だ。
私が指導してきた20代の教員も皆、20代で教師力の基礎を身に付けたことで、40才前後で指導主事や主幹教諭に育っている。
今、たくさん採用されている若手教員が大きく育ってほしい。
安直な20代を過ごさず、鍛えの20代を送ってほしい。
これから5年間の私は、そのことを最大の目標として、現職を全うしていくことになるだろう。