
5、大気の流れにも乗って広がった死の灰
そして、もっと細かい粉は海に落ちることなく、空に広がっていきました。それは大気の流れに乗って、5月中旬くらいに日本の上空に達しはじめました。そしてそれは、雨が降った時に、その雨にまじって強い放射能の雨となって、日本全体に降ってきたのであります。
京都地方に降った雨の中からは、毎分8万数千カウントの高い放射線が計測されたこともありました。マグロは100カウントの放射能が測定されたものは捨てたといいますから、どれだけ高い放射能の雨が降ったかということがわかると思います。お茶の葉っぱや水道水や井戸水からも放射線が出ました。野菜や牛乳からも放射能が検出されました。
この事件があった時に、私は小学校の4年生でしたが、帽子をかぶった上にレインコートをすっぽりかぶって、カサもさして学校に行かなくてはならなかったことを覚えています。そうしないと、髪の毛がぬける病気にかかってしまうからです。
日本の上空に水爆のチリが達し、放射能の雨が降ってしまった。これがビキニ事件のもうひとつの被害であります。
4000kmもはなれた所で行われた実験でしたが、その影響が日本国民全体の生活や命をおびやかすことになってしまったのです。広島の原爆とちがって、広島の原爆以上に、今度はそれがもし兵器として使われたら、落とされた所だけの被害では終らないんだということを示してくれたわけですね。
放射能をふくんだチリ、それは「死の灰」と名づけられましたが、それがいたる所にまき散らかされるのではないかと、風に乗って地球全体にまき散らかされるのではないかという、地球上のすべての人類の生存がおびやかされることになるかもしれない。これが第五福竜丸事件の持つ重要な意味だったのです。
みなさん、放射能は目でも見えませんし、耳でも聞こえませんし、口でも味わえませんし臭いもしません。この船にしみこんでしまっているわけです。放射能の持つ一番恐ろしい点を、みなさん方に感じ取っていただきたい。これが展示館で働く私たちがみなさんにうったえている大事な点なのであります。
ここには「死の灰」も、小さなビンに入って展示してあります。これは今でも弱い放射能を出しています。この「死の灰」は、久保山愛吉さんらの命をうばいました。そして、その後退院した乗組員の身体も、ずっと傷め続けたことも忘れないで下さい。
久保山さんが亡くなってから21年もたって、ひとりの乗組員がガンにかかって亡くなりました。今日までに久保山さんをはじめ11人の方が、この灰によって命をうばわれました。ひとりの方をのぞいて、みんな肝臓のガンによって亡くなりました。
放射能の被害。これはゆっくりゆっくり身体をむしばんでいくんだということを、この「死の灰」が、いまだに放射能を出していることを想像して、感じ取ってください。
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