
4、原爆マグロの被害
東京の築地の大市場に運ばれたマグロは、あわてて放射能が測定され、全部捨ててしまわなくてはならなくなりました。
このできごとの持つ非常に重要な意味を、みなさんぜひ考えてください。その一番大事な点、ビキニ事件と言われる被害の重要な点は、この第五福竜丸だけの被害で終ることのなかったという点にあります。
当時の厚生省が調べて発表した数字だけで、この第五福竜丸という船以外、18もの港の検査で、856隻という信じがたいたくさんの船が、また、約500トンというマグロが調べられ、捨てなくてはならないという事件に発展したできごとでもありました。
「原爆マグロ」「爆マグロ」といって、マグロが食べられなくなってしまいました。おすし屋さんなどは、どんどん倒産(とうさん)してしまうということも起こりました。マグロだけではありません。しだいにお魚を食べなくなってしまいました。魚市場は閉鎖(へいさ)され、お魚屋さんは開店休業に追い込まれました。当時、日本国民はお魚から貴重なタンパク質をとっていたわけですから、これは国民の生活、命をおびやかされたできごとでもありました。
どうしてそういうことが起こってしまったのでしょうか? 想像していただきたいと思います。これは水爆実験によって海が汚染されてしまうということを引き起こしたからであります。
ビキニ環礁(かんしょう)の3月1日の実験を皮切りに、この海域(かいいき)で合計6回の水爆実験が行われています。
アメリカは第五福竜丸が日本にもどって、被害が明らかになるにしたがって、危険海域というものを少しずつ広げました。しかし、残念ながら、危険海域だけに放射能はとどまってくれなかったのです。
ビキニ環礁の近くに大きな海の流れがあります。北赤道海流(きたせきどうかいりゅう)というものです。太平洋を渡って、和歌山県から銚子の方に流れていく黒潮の流れにつながっているのですが、その流れに放射能を帯びた海水が広がって、その流れのある海域全体を汚染(おせん)してしまうことになってしまったのです。放射能を帯びた粉は、海の流れに乗って広がっていったのです。
ビキニ環礁(かんしょう)の近くに、ロンゲラップ環礁といったものがありますが、当然ながらその島の島民も、死の灰をあびて被爆(ひばく)し、今なおその後遺症(こういしょう)で苦しんでいるのです。
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