「学年経営」は学年主任を中心に、その人だけに頼らず、学年の教員全員で創り上げていくものである。私はそう考える。
養護学校時代に私がいた学年は、この学年経営に成功した経験として、私の教員としての財産となっている。何が良かったのか?
私がいた学年は「親分」のような男性と女性の中堅教員がいて、この方々が教員集団のお兄さんお姉さんとして、先行きの見通しを持っていてくれた。その下の年齢には「進路指導」「教科指導」「人情」のスペシャリストと言える方がいた。そこに私を含めた新米教員が常に2名いて、分からないことを先輩に相談したり、やりたいことをどんどんやらせてもらったりと、まるで生徒のように育ててもらった。
バランスの取れた良い学年に4年間恵まれた。
何よりも仲が良かった。
お姉さん役の中堅先生の家に招かれてパーティーをしたり、私もいろいろと企画して、東京湾納涼船のツアーを組んだり、生徒の親も含めたお楽しみ会をしたり。
慣れ合いでもなかった。
私自身、厳しい指摘をされて悩んだことも少なくなかった。
職業柄、心身に変調をきたす教員が出ることも少なくない職場だが、その先生の家まで行って差し入れをしたり、励ましたりすることもあった。
仲の良い集団は自然と学年経営はうまくいく。そういう雰囲気は生徒にも親にも伝わるものだ。同じことが「学校経営」にも言えるはずだ。
私がお手本にしている小学校のひとつに、斎藤喜博先生の「島小学校」「境小学校」がある。斎藤先生が書かれた「学校づくりの記」という本の一説を書き残しておく。
私たちが、教師として自分たちの職場を明るく住みよいものにするということは、もちろん自分たちが一人の人間として、毎日毎日をしあわせに楽しく生きていたいという願いに出発している。そしてそれは、憲法第十二条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の普段の努力によってこれを保持しなければならない」という条文をふまえたものであり、自分たちの断えざる努力によって、自分たちの職場の中に、憲法の精神を実現し、自分たちをしあわせにし、自分たちを解放して創造的な生き甲斐のある仕事のできる人間にすることである。
これは、職場の中に、また自分たち自身の心の中にある、さまざまな圧力から脱却することである。それらのものから抜け出し、気持ちが解放されたとき、私たちの精神は生き生きとしてき、表現活動も盛んになり、教育実践も生きた創造的なものになってくる。そしてそのことは教師と同じように抑圧され、表現をおさえられている父母や子どもたちの生き方に影響を与える。
私たちはこのように考えて職場づくりをしてきた。その結果先生たちは生き生きとしてき、自信を持ち、実践が個性的創造的になるとともに、詩、短歌、作曲、脚本、童話など、自分の創作活動もするようになってきた。解放されることによって、今まで内におさえられて芽を出さずにいたものが、それぞれの形で表現されてきた。そしてそのことによってさらに一人一人が自覚し、みんなの気持ちを一つにすることができてきた。
私の学校の先生は、みんな輝くように美しい。私は、先生たちをみるごとに、いつも美しいと思うし、よそから来た人たちもそのようにいう。私はこのことがとてもほこりであるし楽しい。
(「学校づくりの記」 斎藤喜博 著 国土社 発行 より抜粋)
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