養護学校の授業は学習指導要領を基にできない実態が生徒にある。すべての発想は「ひとりの子ども」から始まる。「始めに子どもありき」である。
養護学校では落ちこぼれがいない。その子にあった授業を行なうからであり、他の子と比べても意味がないからだ。
養護学校には教科書がない。すべての授業は私たち教員が創り上げる。だから毎日打ち合わせがある。小学校では時間がないとみんな愚痴る(私自身もそうだ)が、養護学校の教員のように毎日6時まで打ち合わせをしている教員もいるのだ。(ただし今も養護学校がそうなのか把握はしていないし、そういう勤務実態が良いとは言い難い。)
そんな格闘の中から生まれてきたのが、牛乳パックで人が乗れる船を作ってプールで実際に乗ってみるという授業であった。
乗るのは車椅子の子や脳性まひ、てんかんなど、不安定な舟に乗せるなど到底考えられない子たち。それでも生活経験を積ませるためには乗せてみる。論文受賞の理由はただただその奇抜な発想が審査員の注目を集めただけだったと認識している。つまりアイデア性の受賞と思われる。
どうしてこういう発想が出てきたのかというと、私自身の子ども時代の楽しかった体験を障害児にもさせてあげたかっただけである。
牛乳パックではなかったが、ベニヤ板の舟を池に浮かべて、それに乗って遊んでいたことは、本当に楽しい記憶として私の脳裏に刻み込まれている。
心身に障害があることで、そうしたダイナミックな経験をするチャンスがなく高等部まできた子ども達。安全第一で育てられてきた子ども達。
そうではないでしょ。
できそうもないことでもやってみて、失敗したら考え直してという繰り返しをすることが人を大きく育てるのではないの?
そんな思いを強く持って授業をしていた。
このころの私は、たぶん養護学校の高校生相手に「ガキ大将」を演じていたのだ。
だから授業中にも社会経験を積ませるためと、カラオケに行ったし、「あのお菓子を買って来い」と町に出たこともない子を一人で買い物にも行かせていたのだ。
もちろん安全を確保しての上だが。
(つづく)