どの教員も皆、一生懸命だった。ほっておけば死んでしまう子ども達を相手に仕事をしているので、心身ともにハードなわけだが、なんだかみんな楽しそうだった。
3年目の文化祭の時、学級は重度重複障害児を受け持っている先生の意見で、徹底的な話し合い活動をした。話し合いといっても話をできる子が半分以下。話題は友達ということや自分って何?ということなどを話し合った。
ところがこの話題に私はついていけなかった。ついていけなかったから、ここでも言葉にすることができない。文化祭での取り組みは「光を求めて」という劇なのだが、徹底的な表現活動というか、セリフはひとつもない。音楽と光と色と遊び場を設定して、自由に動くという想像もできない取り組みを行なった。
ものすごい違和感があった。今でこそ何とか理解できるが、それでも文字では説明ができない。ビデオを残してあるが、それを見てくださいとしか言いようがない。
こんな状態で文化祭を迎えたから、私は先輩の女性教師に最後に言われた。
「あなたが一番分かっていないよ。子どもたちの方が分かっている。みっちゃん先生は不器用だから、自分の考えを柔軟に変えられないのよ。」
言葉を越えた世界の教育は難しい。
難しかったがゆえに、言葉の通じる子どもたちへの教育は、どんな子どもでも何とかなるだろうと楽観的には見ることができる。
(続く)

