「学年主任」
「進路対策委員長」
今考えると「よく受けたもんだ」と赤面するが、このころの私は「自分には教育界で果たすべき使命がある!」と意気込んでいたので、重要な仕事であっても絶対にやりきってみせる!と受けてしまった。
学年主任と言ったって、小学校とはまったくちがったメンバー構成であり、全部で8人の教員集団をまとめるのだから、どうして私が学年主任になったのか不思議に思われるだろう。それには理由がある。同じ学年の先生たちは、私よりも重要な役目を学校で担っていたからである。
「進路指導主任」「授業グループ主任」「次期教頭候補者」などなど。
そうなると消去法で私が学年主任をやるしかなくなる。この貴重な経験が私の財産となっている。
それ以上に宝となっているのが「進路対策委員長」の仕事である。
子ども達の進路指導をしていく教員は「進路指導主任」がいる。それとは別に、進路先の施設を作る運動に協力したり、新しい進路先の情報を仕入れたりと、一歩学校の外に出た活動をしていくのが進路対策委員会であった。
この活動を通して身につけたことが、前回の文章で書いた「進路は生きる道筋」という哲学である。
若き日の猛進とも言える失敗を恐れないチャレンジは、若い時にしかできないからこそ財産となる。
同じことを今の私がしたら、非常識な人だと批判されかねない。
若いということはそれだけで財産だ。

