横田増生『中学受験』には、以下のような佐々木亮・中央大学付属中学・学年主任のコメントが掲載されています。
「(中学受験組のような)出来る生徒たちが、中央大学まで進んでくれて、”基幹生徒(中心的な役割を占める生徒を指す)”となってくれることを望んでいます」(99~100頁)
背景は、次のような大久保信行・常任理事(2006年当時)の発言に明確です。
「生徒を長期にわたって中央(大学)の校風のもとで育てたい。…(そうすれば)経営的に安定します」(99頁)
問題は、学校にとっては「基幹生徒」でも、生徒にとっては「いい子」だということです。
学校の大きな役割は「善悪」を学ぶことだからです。
したがって、教師は生徒さんに対して「善悪の基準」を決定する権限を事実上、握っています。
その教師が評価する生徒さんは、他の生徒さんにとって「いい子」と認識されがちになります。
ということは、そうでない生徒は「悪い子」という認識を持ちがちということです。
もちろん、中学・高校生になればこういう素朴な認識のままということはありませんが、コンプレックスにはつながるでしょう。
理事の発言にあるように、少子化の時代、経営の問題は切実と思われます。
しかし、であるからこそ、学校は「善悪」の基準の多様性には十分な配慮をすべきではないでしょうか?
それがなければ、子どもの気持ちを蔑ろにしていると言わざるを得ません。
ところが、上記の学年主任の発言を見る限り、そのような配慮は見られません。
したがって、以下のような構図が容易に成立する状況と考えざるを得ません。
(1)学校経営の必要
↓
(2)「基幹生徒」とそうでない生徒との選別
↓
(3)「よい子」と「悪い子」の選別
↓
(4)「悪い子」のコンプレックス
実際、本書では、他校の進学校の例ですが、大学進学ではなく、デザイナーの夢を持った生徒さんが結局、退学(!)させられた事例が報告されています(136頁)。
単に学校側から子どもさんの「問題」を指摘されても、子どもさんが本当に「悪い」のかは、直ちには断定できません。
保護者の方は、日頃から子どもさんとしっかりコミュニケーションを取っておくことをお勧めします。
こういう子どもさんを守るために、本当に必要な情報がしっかり、書かれていることが本書の魅力です。
「『美談』の裏を見落とすと…(2)」で取り上げた『朝日新聞』の記事とは大違いです。
(この項、続く)