Papa Giovanni Paolo II
今日は、今日の出来事。
5月1日の今日は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂において、
ジョヴァンニ パオロ セコンドの列福式のミサが行われました。
日本では、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれていますね。
私がイタリアに来た頃は、
テレビなどの日曜ミサなどの中継で、
そのお声を、お言葉を聞く事ができました。
当時の家のシェアメイトに、
“彼知ってる?ジョヴァンニ パオロ セコンド…”
と聞かれ、
誰だ?
っとすぐわからなかったことがあって、
今から考えるとちょっと悔しいね!
シェアメイトは、
“そっかそっかやっぱ日本人はあんま知らんか”って感じで、
ただホンマはね、そのテレビをパッと見たとき、
ヨハネ・パオロさんが見えてなかったので、
頭の中で、パッと繋がらなかっただけなのだよ。
というのも、
ジョヴァンニ パオロ セコンドの出身国、ポーランドには、
私が11歳の時と、17歳の時に訪れていて、
まあいうても旅行なのですが、
うちの両親は、遊びとかショッピングとか、のんびり系の旅行はしなくて、
歴史のつめあとを、巡って学ぼう!
に重きをおく感じで、どんどん行くので、
現地人の知り合いが、当時私の事を、
“この子はまだ小さいから、私が見ておいてあげるから、
あなた達だけで行ってらっしゃい”
と申し出てくれたにも関わらず、
“いえいえうちの子には!!”
ってな感じで、アウシュビッツなどの見学に連れて行かれましたねえ。
今から思えば、連れて行ってもらいましただけど、
当時は、やっぱり怖かったな。
ジョヴァンニ パオロ セコンドは、
戦前のクラクフのユダヤ人社会に親しんでいて、
そのことが、後の教皇としての姿勢に影響を与えています。
私の高校生の頃は、
他宗教との対話推進という姿勢での活動など、
呼びかけにとどまらない数々の平和行動の実践が、
色々なメディアで取り上げられていて、
本当に、彼なら、
世界を一つに…
平和に…
出来てしまうんじゃないかと、
そういう思いで見ていたのを思い出します。
2回目に、私がポーランドを訪れた時は、
たまたまジョヴァンニ パオロ セコンドが、
母国ポーランドへ来ていた時期と重なって、
あちこちの町で、彼への歓迎ムード一色で…旗やポスターや何やらと!
私も、切手とかシールとか買って帰って、
高校に持って行っていた、ファインダーの表紙には、
ジョヴァンニ パオロ セコンド、一色でした。
私のティーン時代は、ジャニーズや芸能人の方ではなく、
(いや、誰かはいたやろうけど…
誰が好きだったか覚えてへんってレベルね。)
ジョヴァンニ パオロ セコンドが、
軽々しい言い方になりますが、
アイドル的、ヒーロー的な存在だったのですよ。
それなのにさ、名前の呼び方がわからなかった為に、
“そっかそっかやっぱ日本人はあんま知らんか”
の印象になってしまったのです。
いえいえ、知っていましたよ!
カトリックでない日本人にだって、
彼は、希望の光を見せてくれました!!!
そいうわけで、
今日は、イタリア語で、この偉大な方のお名前の呼び方
をしっかり覚えていただきましょう。
Papa Giovanni Paolo II
パーパ ジョヴァンニ パオロ セコンド
ちなみに、
papa' パパ
a'(アクセントがついてるa -
このブログはアクセントのアルファベットが使えないので、
コンマで表記します。)
は、マンマ、パパのパパなのですけれど、
papa パーパ、
a(アクセントなし)
は、教皇、ローマ法王となります。
日本語で読んでいた記事や、
日本語の字幕を読みながら見ていた映像ではなく、
ジョヴァンニ パオロ セコンドのふわっと優しいお言葉や、
特に、冗談まじりのお言葉なんかを、
(冗談は、翻訳してしまうと、
半分以上おもしろさがなくなっちゃうと思いませんか?)
そのまま一緒に笑える事が、嬉しかった。
ユーモアセンスのある、人を笑顔にさせてくれる方でしたよね。
あっ、英語では、
Pope John Paul II
えっ!ジョン ポール?
そっか、英語っぽいっちゃあ、英語っぽいね。
Beatlesだって、 John Lennon や Paul McCartney…
だもんね。
パーパ ジョヴァンニ パオロ セコンド…
5月1日の今日は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂において、
ジョヴァンニ パオロ セコンドの列福式のミサが行われました。
日本では、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれていますね。
私がイタリアに来た頃は、
テレビなどの日曜ミサなどの中継で、
そのお声を、お言葉を聞く事ができました。
当時の家のシェアメイトに、
“彼知ってる?ジョヴァンニ パオロ セコンド…”
と聞かれ、
誰だ?
っとすぐわからなかったことがあって、
今から考えるとちょっと悔しいね!
シェアメイトは、
“そっかそっかやっぱ日本人はあんま知らんか”って感じで、
ただホンマはね、そのテレビをパッと見たとき、
ヨハネ・パオロさんが見えてなかったので、
頭の中で、パッと繋がらなかっただけなのだよ。
というのも、
ジョヴァンニ パオロ セコンドの出身国、ポーランドには、
私が11歳の時と、17歳の時に訪れていて、
まあいうても旅行なのですが、
うちの両親は、遊びとかショッピングとか、のんびり系の旅行はしなくて、
歴史のつめあとを、巡って学ぼう!
に重きをおく感じで、どんどん行くので、
現地人の知り合いが、当時私の事を、
“この子はまだ小さいから、私が見ておいてあげるから、
あなた達だけで行ってらっしゃい”
と申し出てくれたにも関わらず、
“いえいえうちの子には!!”
ってな感じで、アウシュビッツなどの見学に連れて行かれましたねえ。
今から思えば、連れて行ってもらいましただけど、
当時は、やっぱり怖かったな。
ジョヴァンニ パオロ セコンドは、
戦前のクラクフのユダヤ人社会に親しんでいて、
そのことが、後の教皇としての姿勢に影響を与えています。
私の高校生の頃は、
他宗教との対話推進という姿勢での活動など、
呼びかけにとどまらない数々の平和行動の実践が、
色々なメディアで取り上げられていて、
本当に、彼なら、
世界を一つに…
平和に…
出来てしまうんじゃないかと、
そういう思いで見ていたのを思い出します。
2回目に、私がポーランドを訪れた時は、
たまたまジョヴァンニ パオロ セコンドが、
母国ポーランドへ来ていた時期と重なって、
あちこちの町で、彼への歓迎ムード一色で…旗やポスターや何やらと!
私も、切手とかシールとか買って帰って、
高校に持って行っていた、ファインダーの表紙には、
ジョヴァンニ パオロ セコンド、一色でした。
私のティーン時代は、ジャニーズや芸能人の方ではなく、
(いや、誰かはいたやろうけど…
誰が好きだったか覚えてへんってレベルね。)
ジョヴァンニ パオロ セコンドが、
軽々しい言い方になりますが、
アイドル的、ヒーロー的な存在だったのですよ。
それなのにさ、名前の呼び方がわからなかった為に、
“そっかそっかやっぱ日本人はあんま知らんか”
の印象になってしまったのです。
いえいえ、知っていましたよ!
カトリックでない日本人にだって、
彼は、希望の光を見せてくれました!!!
そいうわけで、
今日は、イタリア語で、この偉大な方のお名前の呼び方
をしっかり覚えていただきましょう。
Papa Giovanni Paolo II
パーパ ジョヴァンニ パオロ セコンド
ちなみに、
papa' パパ
a'(アクセントがついてるa -
このブログはアクセントのアルファベットが使えないので、
コンマで表記します。)
は、マンマ、パパのパパなのですけれど、
papa パーパ、
a(アクセントなし)
は、教皇、ローマ法王となります。
日本語で読んでいた記事や、
日本語の字幕を読みながら見ていた映像ではなく、
ジョヴァンニ パオロ セコンドのふわっと優しいお言葉や、
特に、冗談まじりのお言葉なんかを、
(冗談は、翻訳してしまうと、
半分以上おもしろさがなくなっちゃうと思いませんか?)
そのまま一緒に笑える事が、嬉しかった。
ユーモアセンスのある、人を笑顔にさせてくれる方でしたよね。
あっ、英語では、
Pope John Paul II
えっ!ジョン ポール?
そっか、英語っぽいっちゃあ、英語っぽいね。
Beatlesだって、 John Lennon や Paul McCartney…
だもんね。
パーパ ジョヴァンニ パオロ セコンド…