質問:

バガヴァン、人生の目的とは何でしょうか?



バガヴァン:

それに関する究極の理解あるいは究極の悟りは、

人生には目的というものはない、


ただ生きることであることを、

あなたが認識することです。


もし(インド人である)あなたがクリケットの試合を

観戦していて、インドのチームが高い得点を獲得していて、

6球を打てばあなたは飛び上がって叫ぶことでしょう。


あなたが飛び上がって叫ぶことに目的があるでしょうか?

目的はありませんが、原因はあり、それは喜びです。

喜びのゆえにあなたは飛び上がって叫ぶのですが、

そこには目的はありません。ただそうするのです。


同じように、この創造界はただそこにあるのです。

なぜなら、あまりにも大きな喜びがあるからです。

創造界は愛と喜びでできているからです。ですから、

そこにあるのです;そこには目的はありません。


あなたが喜びのあまりに踊っている時、

その踊りに目的があるでしょうか?

もしあなたが真の意味で生きている時には、

「人生の目的とは?」と問うことはないでしょう。


あなたは本当の意味で生きていないので、

生きる目的を欲するのです。そしてまた、

あなたは目的なしでいかに生きることができるかを

理解することができません。なぜなら、

あなたは生きていないからです。


もしあなたが私の言った意味で生きているなら、

ただ呼吸することが至福となり、

存在することが至福となり、

歩くことが至福となり、

食べたり飲んだりすることが至福となり、

誰かを見ることが至福となることでしょう。


それが(真の意味で)生きるということです。

私たちがしようとしていることは、

あなた方がそのように生きることができるように

することです。



www.onenessuniversity.org より抜粋。(高橋恵美さん翻訳)

それでは人間関係におけるエゴの様々な側面について見ていきましょう。

1.支配

 Aは結婚20年になる自分の妻に対して怒りを抱き、落ち込んでいます。

とても従順な女性であった彼女はそれまでの人生を全て夫と子供のために捧げてきました。

彼の言葉は一家のなかでは絶対的であり、全て彼の思いどおりに家族を支配し、

彼に逆らうことは許されなかったのです。しかし今突然、妻は一人の人間として自分自身の人生を生きたいと言い出しました。

自分の興味あることを学びたいと考え、あるゆることについて彼女の意見を述べ始めたのです。

それはもはや夫である彼の言うことには耳を傾けたくないかのようです。

そして彼が自分の意見を押しつけようとすればするほど、彼女はそれに反発してきます。

彼はもはや彼女を支配することができなくなり、それが不満で仕方ありません。
しばしば私たちは人間関係を自分の思うように支配しているときにのみ、

その人間関係のなかで安心感を抱いています。いつも自分の言うことに耳を傾けてもらいたい、

と思っています。いつも自分のアイディアや意見を受け入れてもらいたい、と願っています。

いつも要求が受け入れられることを願っています。それが人間関係の支配へと発展していきます。

人々は人間関係を様々なやり方で支配しようとします。

2.直接支配


他人を傷つけることを何とも思わず、あるいは他人の気持ちあるいは意見を

少しも尊重しません。それは力による支配であり、

相手の安全あるいはサバイバルが危険に瀕しています。両親が子供にむかって次のように言うのを

聞いたことがないでしょうか?…「おまえが私と一緒に住んでいる限りおまえは私に依存しており、

従って私の言うことをきく必要がある。私はおまえの父親だ。私はおまえにとって何がベストであるかを

良くわかっているんだ。おまえは私の言うことに従わねばならない。

それが嫌なら家を出て一人で生きていくがよい」。また夫婦が些細なことで絶えず喧嘩をし、

挙げ句の果てには次のような決定的なことを言い出すのを聞いたことはないでしょうか?…

「俺が一家の稼ぎ手なのだ。もし気に入らないのなら家から出て行くがよい」、

「もし俺と一緒にいたいのなら俺の言うとおりにしろ」。そのように脅すことによって、

私たちは相手を自分の支配下に置こうとします。しかし、そのような人間関係はとても脆いものです。

3.支配するためにへりくだる


誰からも謙虚で、理解があり、思いやりのある人だと思われたいと

願っている人がいます。しかし、そのように振る舞う腰の低さもまたエゴのゲームの一つなのです。

あなたは相手を支配するためにへりくだります。自分はいつも他人の幸せだけを考えているという

看板を掲げながら、実際にはあなたは相手にそう思わせて相手を操り、支配しようとします。

4.罪の意識を利用して支配しようとする


相手を直接的に支配することが不可能な場合には、

罪悪感という精妙な武器を使って相手を支配しようとします。相手に後悔の気持ちを抱かせ、

それによって相手を支配します。相手は自責の念に駆られ、あなたを傷つけたことを深く後悔し、

あなたの前に頭を下げます。人々が次のように言うのを聞いたことはないでしょうか?

…「私は人々のためにこれほど尽くしてきたのに、誰も私の言うことに耳を傾けようとしない」、

あるいは「私はただ奴隷のように働いてきた。誰も私のことなど考えてくれない」等。

そして最終的には自分のやり方を通そうとします。

5.支配されることを拒む


一方で私たちは相手を支配しようとしますが、

他方では自分が支配されることに反発します。あらゆる問題において自分が支配したいと願うのですが、

他人が支配しようとするとそれに反発します。ここでも私たちは直接支配、あるいは罪悪感、

操作という精妙なやり方で間接的に相手を支配しようとします。



クルパダルシャン、2004年11月号より抜粋

あなたが愛している人々、夫または妻、子供、両親、友達、
あるいは職場の同僚などと言い争っている時、

実際にあなたが争っている相手はあなたが気づいていない

あなたの陰のセルフ(自己)であり、
あなたのエゴが目の前にいる人にそれを投射している、
という事実を受け入れる準備ができていますか?


人々との果てしない争いに終止符を打つためにあなたに必要なことは、

内側のワークであることを受け入れることができるでしょうか?

それは私たち一人ひとりが自分たちの内側で絶えず行う必要のある
ワークです。もしこれら二つの質問に対するあなたの答えがイエスなら、
どうか以下の文をお読みください。


シュリ・バガヴァンは「人生とは自分自身を知るための探求です」
と述べています。自分自身を知るためには鏡が必要です。
そしてその鏡とはあなたの人間関係なのです。
あなたの人間関係は全て、あなたのセルフ(自己)という側面を

映し出します。それはありのままのあなたを映し出すか、

またはあなたの否定的チャージ(*抑圧されている感情的エネルギー)

という側面、あなたが嫌っているあなたの側面を映し出します。


誰かがその人の友達あるいは職場の同僚について、
「そういうことをする彼が大嫌いだし、また彼のそのような振る舞いが

許せない」と話しているのを聞いて気づいたことがあるでしょうか?
私たちが実際に憎んでいるのは自分自身の無意識の部分であり、
通常それは無意識の中に抑圧されているのですが、
今それが表面に出てきているのです。

ここでの鍵は相手の言動に対する私たちの感情的反応です。
“自分自身のボタンが押される”たびに、

自分自身の陰の部分が刺激され、
身近にいる人々にそれが映し出されるのです。

そして私たちは相手に映し出された自分の陰を見ることを

嫌悪するのです。なぜ人間はいつも、相手を非難するこのような

ゲームに関わっているのでしょうか?

実際には人間関係を通じて私たちは自分について学ぶことができ、
それによって変容し、成長することができるのですが、
それを妨げているのは何でしょうか?


それはエゴ、あるいは悪です。なぜ悪かというと、それは絶えずあなた、
およびあなたの人間関係を破壊するように働いているからです。
それは精妙なやり方というよりも露骨なやり方で働いているのですが、
それを克服するのは誰にとっても非常に困難なようです。
それは私たちの人生のあらゆる側面に顔を出しています。


エゴとは何でしょうか?シュリ・バガヴァンは
「エゴはその六つのゲームとして働いています。
エゴとはセルフ(自己)の機能的質です」 と述べています。
エゴとはまたセルフの現れでもあります。
それはセルフの精妙な形であり、
特にエゴの六つのゲームとして自らを表現します。

エゴの六つのゲームとは以下のとおりです:


1,相手を支配しようとすること
2,相手から支配されるのを拒もうとすること
3,自分が正しいと示そうとすること
4,相手が間違っていると示そうとすること
5,自分を正当化するために誤魔化そうとすること
6,相手に罪の意識を感じさせようとすること




クルパダルシャン、2004年11月号より抜粋




希望がとって変わるとおそれはなくなります。

逃げてばかりいると体験していないのでいつまでも苦痛が残ります。

苦痛を体験して学び、喜びに取って代わるのです。学んで成長していくと

どんどんと先へ進んでいくことができます。
学びと喜びは同じ、学ばないと停滞してしまいます。
学ぶことができなくて成長することができないと下にいくか、

同じ所にとどまるしかできないです。学びがないと苦痛ばかりが増します。

苦悩の中にいてもがき苦しんでいる人というのは、成長することに興味がないということです。

同じ問題で30年悩んでいる人がいます。身体が気に入らないのです。

おなかの部分が気になる、

30年も劣等感にさいなまれています。この問題に対して何も対処してこなかったのですか?

毎日運動して食事にも気をつけてそれでも効果がありませんでした、

といいながらときどきなまけています。というのです。

力しないで結果だけ望んでいるのですか?お医者様に相談したのですか?

というと、いいえ、と答えます。悩みから解放されるには、

努力し続けるか、今の状態をそのまま受け入れるかのどちらかしかありません。

この場合は、本気になって解決しようという、成長したい、

という気持ちがなかったからです。強い意図を持って、学んでいくか、

決意しなければこのままの状態です。
 

ある女性はいつも“私は不幸です”といいます。この女性は裕福な暮らしをし、

子供にも恵まれています。しかし私の夫は私を幸せにしてくれません。

仕事に忙しく、私のためにさいてくれる時間がありません。私はとても不幸です。
それを聞いていた夫は、今も不幸なの?と妻に聞きました。

すると妻は言いました。“いいえ、そうじゃないの。

4年前にあなたは忙しくあなたを必要としていたとき、

私を構ってくれなかった、その時のことなの”夫は言います。“

もう一人子供もつくれるし、僕も努力していくから僕らはしあわせになれるのじゃないか?

”それなのに、この奥さんは4年前に私を傷つけたからもうダメなのよ、

というのです。彼女は4年前から一歩も成長していません。


情熱を持って成長を望めば、熱意を持って生きれば宇宙も助けてくれます。
バガヴァンは言います。人生とは学びのプロセスだ、

そして、学んだことにこだわらず、それをすてていくものだ、

学びに重要なことは固定観念、先入観を捨てていくということなのです。

様々な思いこみや概念を忘れてしまうことから学びが始まります。

からっぽで柔軟であればいくらでも学ぶことができます。

開放的になる必要があります。

先入観を捨てることができず苦しみ続けているのです。

この概念、実際にはありません。あなたの思考、

思いこみで実際にあるものではないのです。

蓄積したものを捨てるのは自己を捨てるようなもの、

今まで培ってきた固定観念に必死でしがみついている訳です。


一生懸命概念にしがみついて新しいことを学ぼうとしない、これをエゴといいます。
エゴとは何でしょうか?
アンマバガヴァンはこう言っています。

あなた以外の人が一人でもいた場合、エゴのゲームが始まります。



2007年上級コースより抜粋させて頂きました。

質問

「気付きは習慣の敵」とおっしゃいますが、どうしてでしょうか?


答え

そうです。習慣があるというのは、まさに気付きが無いからです。

気付きと習慣というものは、同時に起こり得ません。

なぜなら、マインドがいつも自動的に機能していて、自動的に機能しているために、

それが習慣化するからです。

ですが気付きがあるときには、マインドのこの自動的な動きは止まります。

そのとき皆さんは、とても早く抜け出せるのがわかるでしょう。



Oneness on the earth…地上の楽園〈vol.2〉こころの扉を開く旅