次のことについて深く考えてみてください…


「考えは自動的に生じている」。


つまり考えているキャロルという人がいるのではなく、


考えが自動的に生じているということです。


「話し」(スピーチ)にしても話す人がいるのではなく、


自動的に起きています。


「行動」もあなたがその行動をしているのではなく、


常に行動が生じているのです。


ですから、それ自体で自動的に生じています。ですから、


皆さんはそれを見る必要があります。


「話し」が自動的に生じ、「考え」が自動的に生じ、


「行動」が自動的に生じるのを見るのです。


それは実際に起きている事実です。


例えば、「考え」を見てみましょう。


あなたはキャロルという名前の考える人がいると思っています。


でも、そのような考える人はいません。


ただ「考える」という機能があり、


それが頭の中で自動的に生じているのです。あなたが自動的に呼吸し、


身体は体温を自動的に保ち、消化活動が自動的に生じているように。


それと同じように「考える」ということも自動的に生じます。


「考えるあなた」という人がいる、というのは単なる思い込みであり、


円を描くと中心が現れるのと同じです。それと同じように、


「考える」というイリュージョンが生じるのです。


「考える人」というのは全く存在しません。


同じように「話し」(スピーチ)にしても自動的に生じます。


あなたは自分が話していると思うかもしれませんが。


「行動」についても同じです。例えば、


キャロルという人が「自分は腕を動かすと決意して、


自分が腕を動かした」と考えます。しかし、


もしキャロルの脳をリアルタイムで観察してみると(今日それは可能ですが)、


腕を動かす何分の1秒か前にキャロルの脳は腕を動かすと決めたのです。


しかし彼女は、自分が腕を動かすと決めたので腕が動いたと思いこみます。


全ては自動的に生じています。


教えをきちんと理解しなければなりません。


これは非常に精妙な教えです。


だからそれをきちんと理解することはいくぶん難しいのです。


ひとたびあなたがそれを理解すれば、とても簡単なことです。


私が伝えようとしていることは、


あなたがどこかに行くということではありません。


あなたは内側に対する正直さを練習し、何かに気づき、


何かを達成しようとし、どこかへ行こうと思っています。


しかしそういうこととは全く違います。


私たちが言っているのは、内容は全く重要ではないということです。


内容はどんなことであってもいいのです。


怒り、憎悪、嫉妬、恐れ、欲望、何でもいいのです。


それはあなた自身のマインドの内容ではないからです。


それは集合意識の内容だからです。それは広大な海で、


波が起きたり消えたりしているようなものです。毎瞬、何かが起き、


消えていきます。あなたがコントロールできるものではありません。


私たちはみんなつながっています。古代までつながっています。


すべての記憶がそこにまだありません。


それはアカシックレコードと呼ばれています。全てが私たちの中を流れています。


それとあなた自身が一つだと認識することができれば、それは無我、


あるいは一体化思考と呼ばれるものになります。


そこで起きていることです。あなたがすべきこと、


あなたの機能とは、ただ何が起きているのか見るだけです。


何が起きているのか気づいているだけです。


嫉妬に気づくなら嫉妬から解放されるのではないかと思っているかもしれません。


そういうことではありません。


教えはあなたが嫉妬に気づいているかどうかということだけです。


それが全てです。それに気づいていることは、喜びです。


それに気づいていることが自由です。


嫉妬に何かが起きるということではありません。


内容は重要ではないのです。嫉妬でも、憎悪でも欲望でも、何でもいいのです。


問題は、この瞬間何が起きているのかあなたが気づくことです。


しばらくの間嫉妬を感じるかもしれません。しかし、それはやみます。


嫉妬を感じた瞬間、あなたがそれと一体化します。


するとそれはどこかに行ってしまいます。


その後もときどき嫉妬が戻ってくるかも知れません。


あなたが嫉妬に気づいていれば、それが気づきの瞬間です。


あなたはすぐに気づきます。その時あなたは悟ります。


しかし、また嫉妬は戻ってきます。すると再び、


あなたはそれに気づくことができるでしょう。あなたが気づいている時が、


最初のステップであり最後のステップです。


気づきはあなたをどこにも連れて行きません。


第2のステップはありません。


内側で起きている内容は全く重要ではありません。


私たちがしようとしていることは、


マインドの中に閉じ込められているあなたの意識を解放することです。


意識はマインドの中で囚われの身となっています。


分離した存在として機能していて


自分自身のマインドだとあなたが思っている、


そのマインドからあなたを解放しようと働いています。


私たちが容認ということについて話すとき、


容認とは、あなたが容認するということではありません。


容認とはハプニングです。


ダルマにおいて私たちが容認について話すとき、


それはあなたが努力して何かを認めることではなく、


容認とはあなたがもうこれ以上


抵抗しないというときに起きることです。


同じように、許しとはあなたが誰かを許すことではありません。


人が行ったことに対してその人には責任がないと


あなたが気づくことでもありません。


その責任は、多くの要因にあります。


全宇宙がそれに対して責任があります。


その人は全くの無実であり、


全く問題がないとあなたが気づいたときに許しが起こります。


容認と許しが起こるとき、


あなたはマインドから自由になります。


そして私たちはあなたはマインドから


解放されたのだと言うでしょう。


それが起きるとき自然の秩序があなたのマインドに戻ります。


あなたがマインドから出るとき、


意識はあなたのマインドから自由になります。


なぜならあなたは意識だからです。


そしてあなたがマインドから自由になるとき、


マインドは自然の秩序に戻ります。


ですから、あなたが解放されても目覚めても、


古いマインドはそのまま残ります。

苦しみのうち、最も理解が難しくまた


解決することも難しいのは、


私たちが存在の苦しみと呼んでいるものです。


あなたは存在の苦しみを経験しているのではありません。


あなた自身が存在の苦しみと等しいのです。


存在の苦しみを経験しているのはあなたではありません。


あなたが存在する限り、


存在の苦しみを抱えていなければなりません。


つまり、あなたが存在するときあなた以外のすべてのものと


分離することになります。


この分離が存在の苦しみと呼ばれるものです。


ここで理解しなければならないことは、


あなたは存在の苦しみによって苦しんでいるのではないということです。


あなたこそがまさに、存在の苦しみなのです。


苦しんでいるのはあなたではありません。


あなたは存在の苦しみそのものです。あなたは存在しません。


人は存在しません。


人格は存在しません。それが真実です。


そういったものは海の波のように現れたり消えたりします。


人格は現れたり消えたりします。人というものはいません。


例えばテレビに近づくと、


画面には点しか見えなくなります。


液晶画面に近づくと、それがどんなスクリーンであっても、


近づくほどそこには点しか見えず、映像はまったくないと分かります。


同じように、ビデオのフィルムをゆっくり回すとそこには連続した


動きがないことが分かります。


そこにあるのは細切れになった動きです。


あなたは連続した動きという幻想を見ているのです。


しかし、画面に近づいたりフィルムの回転を遅くしたりすると


連続した動きをみることはできなくなります。

人間にとって人生の目的を見つけることはとても重要です。


起きることには明快さ、明瞭性がありません。


そしてあなたは頭を使って考えて、


自分の人生の目的を見つけようとします。


そうすることは別段害はないことだとあなたは思っているかもしれません。


しかし、あなたが頭で考えてもこれ以上明快にすることは


できないと思っていても、


あなたはそれを自分の内側にとどめなければなりません。


「私には明快さがありません。(私にははっきりわかりません)」と。


そしてそこでちょっととどまっていてください。


そこから動かないでください。そうするとあなたという存在の根底から、


今まさに何をすべきか、何が人生の目的であるかがわかってきます。


あなたはただ事実に気づくだけです。


「私は知りません。わかりません。」


すると突然、深い真実が訪れます。これは誰にでも起こります。


なぜなら沈黙を続けていると、


内側で莫大なプロセスがなされるからです。


あなたが考え続け戦い続けるなら、


あなたはこのプロセスを壊してしまいます。


ただ静かに座って、ただこの言葉を自分にインプットしてください。


「私にはわかりません。何をしたらいいのでしょうか。」


そして待ってください。ただ静かにとどまっていてください。


新しいものが育ち始めるまでしばらくの間、


土地をそっとしておかなければなりません。


そうすると何かが育ち始めます。それと同じように、


あなたはただ静かに、行動せず静かにしていなければなりません。


でも、無関心でいても、眠ってしまってもいけません。


何もわからないという事実を持ってとどまっていてください。


あなたがその事実にはっきりと強く気づいていなければなりません。


すると答えがきます。その答えを光のものとに明るみにしてください。


あなたがその答えに従うならば、あなたはけして、


けして失敗することはありません。これが人生の目的を見つける方法です。