理解すべきことは、あなた方全員が牢獄のなかにいるということです。


それを非常に明確に理解する必要があります。


その牢獄は何と呼ばれていますか?


あなた方はマインドという牢獄にいるのです。なぜでしょうか?


なぜなら、あなた方は何も体験できずにいるからです。


ちょうど牢獄にいる人のように。


牢獄にいる人は外の世界を体験できるでしょうか?体験できません。


彼は外の新鮮な空気を吸うことができず、


外の光を見ることもできません。それがあなたの状態なのです。


例えば、あなたはコップ一杯の水を体験できません。


あなたは考えています。


水を飲み始める瞬間にあなたは「自分は喉が渇いている」、


または「これはミネラルウォーターだ」、「これはコカコーラだ」


などと言います。何らかのコメントをするのです。


あるいはクリケットの実況放送、またはIPL試合で起きていること、


あるいは職場でのことを考えるでしょう。何かが生じています。


コップ一杯の水を体験するのをマインドが邪魔するのです。例えば、


午前中の休憩時間にチャパティ、パンその他を食べているとしましょう。


でもあなたはその食べ物を楽しんでいません。


それを体験できずにいます。


マインドがそれを邪魔するからです。


あなたは妻の顔を見ますが、妻を体験できません。


あらゆるイメージが押し寄せて来ます。考えがやってきます。


ですから新鮮な心の状態で妻を体験できません。


考えが割り込んで来ているので、


妻をフレッシュな気持ちで体験できません。


妻を体験することができず、すぐに退屈し、


他の女性または他のものに目を向け始めます。


何をしても同様なことが生じます。


あなたはマインドを通じてしか自分の子供を体験できません。


自分の子供の素晴らしさを見ることができません。


全ては破壊されます。


外の通りにでると美しい人々が歩いています。


人々は美しく、木々も車も目に入りますが、


あなたは何も体験しません。


マインドが邪魔をして体験させてくれません。ですから、


あなたのマインドのおかげで、


あなたは実際何も体験することができません。かつて、


あなたが体験できた時がありました…幼い子供だった時です。


でもそれはもはや失われてしまいました。


今やあなたはマインドという牢獄にいます。


そして前に述べたように、


マインドとは過去以外の何ものでもありません。


マインドとは考えの流れです。考えは過去のもの、記憶であり、


死んでいるものです。そこには生命はなく、


生き生きとした質はありません。人生とは生きているものです。


それは臨在するもの。それは今現在です。


思考はそれに触れることができません。思考とは物差しであり、


物事を計測します。


しかし臨在あるいは今現在という瞬間は計測不可能なものです。


思考はそれに近づくことはできません。それゆえ、


あなたの人生においてそれが失われているのです。


それが生きるということであり、


それゆえにあなたは死んでいるのです。私は今実際に、


自分は生きていると思っている死人に向かって話しています。


生きてなんていません。もし今夕あなたが目覚めたなら、


生きるとは何であるかがわかるでしょう。


ですから、自分が牢獄にいて、


何も体験できずにいることを理解すべきです。


あなた方が体験と呼ぶものは手直しされた体験であり、


私が言う体験という行為とは何の関係もありません。ですから、


あなた方は牢獄にいます。


愛の欠如はすべての問題の原因となります

その原因はさほどかけ離れたところにはありません。

集合体の状態が結果として、各個人の内側の状態に反映されているのです。

人生にとっての努力とは、ただ愛の探求だけなのです。

子どものころの不幸せは、

彼または彼女だけを誰かに愛して欲しかったことです。

その後もその追求は、学校の先生に、伴侶に、

そして自分の子どもへと続きました。ですから人生は、

ただ待つという工程でした。

人はしばしば彼らの近くにいる大切な人に対し、

真実の愛を確かめようと試みますが、結局それに満足できず、

怒りを感じています。

人々が考える愛とは、ただ単に求め、切望し、懇願するものです。

この愛を求めることが、愛だと考えています。その結論は欲求不満、

苛立ち、絶望です。一人一人の個人の内側は空虚です。

その空虚感を埋めるために人間関係を使います。

いつでも愛を感じていたい人は、人間関係において独占欲の強い人です。

愛が所有だとしたら、常にそれを失う恐怖があります。自分の自由を破壊し、

他の人の自由も破壊します。恐怖心からの行動を愛だと主張します。

真実は人が自分を愛さずに、

人間関係が自分の愛の手段だと思っていることです。

彼らは人間関係によって自分を満足させようとしています。

すべての愛は自分自身への愛から始まります。

自分自身に対してできることが、他人にできることなのです。

自分を観察していくと、自分の内面に関わるように、

他人にも同じように関わっていることを発見します。もしも、

ある人が自分のあらゆる考えを、

言葉や行動で非難し批判していれば、

彼は確実に他人にも同じことをしています。もし、

自分の欠点を思い悩み、不安になっていると、

その人は他人の欠点に対しても同じように苦しみます。

心配することをやめて、そのままの自分自身を受け入れたとき、

自分自身を愛せるようになります。

人が自分の中に平和を見出せば、世界もまた平和になります。

愛は宇宙の特質であることを、人は発見するでしょう。

それが人の本質なのです。


翻訳:長谷川千恵子


通常、あなたが人と話すとき、あなたはあなたの条件付けや


あなたが持っている知識、偏見からを通してを受け取ります。


そのために、あなたは本当に人の話を聞くということが


できなくなっています。


そのようなものを全て取り払っておかなければなりません。


クリーンなマインドで、気づきの状態のマインドで、開かれたマインドで


あなたは人の話を聞かなければなりません。


これが「傾聴 」の一種です。


しかし、私が言いたいのはこのやり方ではありません。


もちろんそのやり方もできますが、私はもう一つの「傾聴 」について


言いたいのです。


あなたが人の話を聞くと、あなたの内側に何かが起こります。


あなたはそれを聞かなければなりません。


あなたのハートがあなたに何かを伝えているのを聞きます。


「その人の手を取りなさい」「その人の頭に触れなさい」


「その人の涙を拭いてげなさい」


あなたの内側から来た声に従うならば、


それはその時に最適な行動となります。


何も言わずに、ただ手を取り、涙をふき、手を頭に載せるだけです。


そうするだけで問題がすぐに解決します。


人が話している時に、自分の中で起こることを聞くのです。


まず、肉体を意識することから始めるべきです。


通常あまり意識しなかったり、


癖になってしいまったような運動や活動で構いません。


例えば歯磨きです。朝、歯を磨くとき、機械的に行っているはずです。


それに意識を向けるのです。ブラシが歯や歯茎に触れる感触や、


そこで生まれる感覚を意識します。そういった活動で大丈夫です。


或いは、お風呂でも良いです。水が肌に触れる感触やその感覚です。


通常は癖になってしまっているものです。


何が起きているかを意識したり、それに気付いたりしていません。


ですのでそれに気付くのです。食べている時も、


マインドの注意が他に向いた時、徐々に食べ物に意識を向け、


その味や食感、香りに気付きます。或いは、歩くときでも良いです。


歩行の動作に伴う複雑な動作に意識を向けるのです。


筋肉の動作や手足の動き、そういったものを観察します。また、


周りに音があれば、マインドの注意が他に向いた時、


その音に注意を向けることでも良いでしょう。


最も理想的なことは自分にとって癖になっている活動を


意識的に行うことです。そこに意識を向け、気付いて行えば、


全く新しい体験が得られます。さらに、もう一つできることは、


例えば足を開いて前屈をします。


脚の間を通して世界を逆さに見るのです。そこで、


これまでと違った見方をし始める体験ができます。


癖が壊れ始めます。ポイントは、通常行うことを、


強烈に意識しながら行うことです。文化に根付いた活動を、


このようにして変えることで更に効果が増します。


例えば、朝の散歩が日課だとします。


それを何日間か夕方の散歩に変えてみます。


そういったことでも癖は変わる可能性が高いです。さらに


もう一つできることは、


今まで行ったことのない場所に出向いてみることです。


そこでマインドは状況を理解することを強いられ、


そこで癖が崩れることもあります。


例えば忙しい市場のような場所でも、何でも構いません。


何か新しいこと、慣れないことであるためにマインドにとって


チャレンジ(挑戦)になるようなことです。


これを1日およそ49分間行うのです。


実際には7の倍数の時間で構いません。ですので、


7分、14、21、28分などの時間帯で、21日間続けるのです。


すると不思議なことに脳は無意識の癖を壊し始めます。


そして更に気付いた状態が深まって行きます。


その気付きを徐々に内側に向けて行き、


内側で何が起きているかに気付き始めるのです。


残りは自動的に展開します。


気付いていること意外にあなたがすることはありません。


それだけです。残りは全て自動的です。

わたしたちが質問したり、答えたり、考えている間は、


我々はマインドのフィールドにいます。


そしてこのゲームは延々と続きます。


それはマインドにその能力があって、質問をエンドレスにしたり、


エンドレスに答える事ができるからです。


ちょうどタマネギの皮をエンドレスにむいている感じです。


結局どこにも到達しません。ですから唯一の解決策は、


マインドの中から飛び出してマインドの支配から自由になることです。


マインドがそこにある限り、我々は何も経験することができません。


マインドが元来答えを望んでいないので、


質問に対する答えをマインドは発見できません。


マインドは自分のサバイバルのために戦っています。


何百万年も私達はマインドの中で生きています。


我々は何も経験することができません。人生で何ら経験できません。


皆さんが一般に「経験」と呼んでいるものは、


本当の意味で経験ではありません。


一度でいいのでマインドから出る事ができれば、


経験することとは何か、わかります。


そして初めて無条件の愛と無条件の喜びを発見できます。


あなたが知っているような、それ以外のものはすべて条件つきです。


そしてもう1つは、すべて対立を生む自我という物で成り立っています。


そして自我は思考を使い、思考は測定をして、


マインドは思考に基づいています。ですからマインドは分離させます。


思考も分離させます。自我も分離させます。全てが対立を生みます。


ですから私達は自分の内面で分離し、家族が分離して、


私達の社会も分離して、私達の文化、文明まで分離して、


この地球全体が分離していて、終わりがありません。


ですからこのゲームを終わらせる必要があり、


その唯一の方法が目覚める事(アウェイクンド)です。