愛の欠如はすべての問題の原因となります

その原因はさほどかけ離れたところにはありません。

集合体の状態が結果として、各個人の内側の状態に反映されているのです。

人生にとっての努力とは、ただ愛の探求だけなのです。

子どものころの不幸せは、

彼または彼女だけを誰かに愛して欲しかったことです。

その後もその追求は、学校の先生に、伴侶に、

そして自分の子どもへと続きました。ですから人生は、

ただ待つという工程でした。

人はしばしば彼らの近くにいる大切な人に対し、

真実の愛を確かめようと試みますが、結局それに満足できず、

怒りを感じています。

人々が考える愛とは、ただ単に求め、切望し、懇願するものです。

この愛を求めることが、愛だと考えています。その結論は欲求不満、

苛立ち、絶望です。一人一人の個人の内側は空虚です。

その空虚感を埋めるために人間関係を使います。

いつでも愛を感じていたい人は、人間関係において独占欲の強い人です。

愛が所有だとしたら、常にそれを失う恐怖があります。自分の自由を破壊し、

他の人の自由も破壊します。恐怖心からの行動を愛だと主張します。

真実は人が自分を愛さずに、

人間関係が自分の愛の手段だと思っていることです。

彼らは人間関係によって自分を満足させようとしています。

すべての愛は自分自身への愛から始まります。

自分自身に対してできることが、他人にできることなのです。

自分を観察していくと、自分の内面に関わるように、

他人にも同じように関わっていることを発見します。もしも、

ある人が自分のあらゆる考えを、

言葉や行動で非難し批判していれば、

彼は確実に他人にも同じことをしています。もし、

自分の欠点を思い悩み、不安になっていると、

その人は他人の欠点に対しても同じように苦しみます。

心配することをやめて、そのままの自分自身を受け入れたとき、

自分自身を愛せるようになります。

人が自分の中に平和を見出せば、世界もまた平和になります。

愛は宇宙の特質であることを、人は発見するでしょう。

それが人の本質なのです。


翻訳:長谷川千恵子