「山鳩」山口百恵

作詞・千家和也 作曲・三木たかし 編曲・あかのたちお

 

一昨日、作詞家の千家和也さんが亡くなられたという

ニュースが飛び込んできました。

 

考えてみたら 私の小学生時代は

千家和也さんの歌で育ったことに

今更ながら気づかされました。

 

特に千家和也さん作品で私がよく聴いたのは

麻丘めぐみさん、山口百恵さん、キャンディーズ、片平なぎささん、

でしょうか。

胸がキュンキュンするような 甘い刺激的な世界が多く

けれど 堂々と どこでも歌えてしまう凄さ、というのでしょうか。

女性の気持ちをこんなに表現される方が

男性の作詞家だったことが 子供心に本当に驚きでした。

 

こんなにたくさんの歌を聴いてきたのに

千家さんのお顔を拝見したのは 昨日のニュースだったことにも

我ながら驚きましたが 裏方に徹していらした方だったのでしょう。

なかにし礼さんに師事していた、ということも

今回初めて知りました。

 

本当に素晴らしい作詞家が また一人亡くなられて

悲しい気持ちでいっぱいです。

 

昨日はひたすら 野口五郎さんの

千家和也作品を聴いていたのですが

超名曲があります。

 

そのことについては 私の「野口五郎さんの歌」というページに

書いておりますので

よろしかったらご覧ください。

野口五郎さんもたくさん千家和也作品を歌われております。

ニュースに挙げられた歌手名の中に

五郎さんの名前がなかったことが

とても残念に感じられました。

http://littlegirl5636.blog.fc2.com/blog-entry-532.html

 

さて 今日は朝から百恵さんの歌をずっと聴いているのですが

千家和也さんの作品はシングルでは

「横須賀ストーリー」が出るまでの

デビュー曲より12曲連続で ずっと千家和也さん作品でした。

もちろんB面も千家作品です。

 

百恵さんは千家和也さんに育てられたと言っても

過言ではないでしょう。

わき目もふらず 千家和也作品を貫かれた

百恵さんもすごいと思います。

だからこそ 次のステップの阿木燿子さん作品が生きたのです。

 

そして 百恵さんの歌で育った私達も

千家さんに育てられたことを今さらですが実感します。

 

私は小学生のころは百恵さんのシングルを

よく買っていました。

そして一緒に歌っていました。

 

父が厳しくて あまりテレビが見れなかったものですから

もっぱら一人の部屋で

音楽三昧の子供時代でした。

 

彼女の作品をレコードに合わせて歌ったカセットテープも

大事に取っており、小学生の自分に逢いたければ

逢える、という感じです。

 

「山鳩」は1975年発売のシングル「白い約束」のB面です。

東宝映画「絶唱」のテーマ曲でした。

 

「許してください 今日までの

 捧げた命の 短さを

 まばゆい空よ 淡雪よ

 愛の名残りは つきないが

 死んでゆきます ひと足先に」

 

私はA面より こちらのB面の方が好きでした。

 

人生において

「許してください 今日までを」と

詫びたいことはいっぱいあります。

 

けれど それが出来なかったのは

「許してください」と 言えるほど 

人に影響を与えられる人間ではありませんし

それまでのことを否定し

後悔の念ですべてを終えるようになるから

黙って去ることばかりをしてきました。

 

だから せめて歌の世界では

こういう歌が たまらなく好きなのです。

 

愛されているから

言える言葉がいっぱいの「山鳩」。

 

儚くて悲しいけれど 

それは確かに愛された記憶。

 

そういう世界だと 私は理解しています。

 

 

私の心を育ててくださった

一流の素晴らしい作家さんが 次々と亡くなられて

私は本当に淋しくてたまりません。

 

千家和也さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ

作詞:なかにし礼 作曲:村井邦彦 編曲・川口真

1968年

 

昨夜テレビを見ていたら

萩原健一さんが亡くなられたというテロップが入りました。

68歳だそうです。

まだまだお若いのに ほんとうに残念です。

 

記憶をたどると ザ・テンプターズの

「エメラルドの伝説」は自分の中に残っていました。

 

当時は 幼児の括りに入る年齢でしたが

この歌は好きだったので記憶にあります。

 

今思うと このころから

流行歌が自分の記憶の中に残っています。

他にグループサウンズで好きなのが

ザ・タイガースの「青い鳥」

オックスの「スワンの涙」なのですが

どれも1968年です。

 

なんというか 神秘的で

童話のようで 

夢物語のような歌が好きだったのかもしれません。

 

 

やっぱり この時代では

ジュリーとショーケンのカッコよさが際立ちます。

よくこんな カッコイイ人がいたものだ、とも思います。

 

神様って罪作りだなぁ・・・などと思ってしまうレベルです。

 

声は 迷わずジュリーですが

ルックスでいうと 私はショーケンだったかも。

小学生の時 淡い恋心を抱いた男の子は

今思うとショーケン似でした。

 

だから私の中では あの頃のショーケンのイメージを

崩したくはなかったのです。

随分とイメージが変わられて

「愚か者よ」を歌っていらっしゃる姿を見た時には

「何かの間違いだ。これは別人なのだ。」と

自分に言い聞かせてしまうくらい ショックだったような気がします。

ですから役者さんとしてのショーケンも

見たいと思ったことがなかったのだと思います。

 

「湖に 君は身を投げた 

花のしずくが 落ちるように 

湖は 色を変えたのさ 

君の瞳のエメラルド」

 

儚くて

美しくて

まぼろしのようで。

 

そういう雰囲気にぴったりでした。

 

かつてのスターが

天に召されることが多くなりました。

 

つい最近 マチャアキとショーケンの会談を

テレビで拝見したばかりです。

とても貴重な番組でした。

見れてよかったです。

 

なんだかあちらの世界の方が

にぎやかで楽しそうだと思いますが

 

私はまだ この世界で頑張らねばなりません。

 

萩原健一さんのご冥福をお祈りいたします。

 

こちらは 私が持っているEPレコードです。

義兄が持っていたものですが

数年前 もらって帰りました。

お宝です。

「虹の架け橋」 浅田美代子

原案・柳生武彦 作詞・安井かずみ 作曲・都倉俊一 編曲・高田弘

 

今日はとてもお天気の良い日で

朝からウォーキングに出かけてきました。

 

こんな時に ふっと 口を突いて出るのが

この歌「虹の架け橋」

 

「さわやかな朝を あなたにもあげたい

私の小さな窓から やってきた朝を」

 

不思議と朝のキラキラした光に当たると

この歌が出てきてしまう。

爽やかで幸せな世界です。

 

私が持っている浅田美代子さんのCD、

どの曲もハズレがありません。

 

一枚通して ブレない少女の 美代子さん。

ほんわかとして 幸せな世界。

 

なにしろ作家陣が一流です。

美代子さんは とても幸せな歌手でしたけれど

美代子さんの歌を作られた方も

美代子さんに歌ってほしい世界があったと思いますし

イメージが膨らみやすいというのか

たぶん すぐに 作れてしまえるほどの魅力があったと思います。

 

凝った作品とか 難しい作品ではなく

素朴で誰でも歌えるけれど 

心がほんわかと温まるような世界を

表現できた美代子さんは すてきだったなぁ、と思います。

 

歌唱力がどうのこうの・・・と

言われたこともあったけれど

みんな思ったはずです。

 

こんなに可愛いのだから仕方ないか~、って。

 

もう この可愛さだけで十分だった、というのが

羨ましい限りです~~っ。

 

でも 声もほんわかとして

心を癒してくれるような声です。

 

ナチュラルであり 飾らない キャラで

今も活躍されていますが

可愛いだけで残れる世界ではありませんから

美代子さんも才能あふれた方なのですね。

 

 

美代子さんの髪型、

真似をしたくて カーラーでせっせと

自分の髪を巻いたなぁ・・・。

 

なんかもう すごく遠い~~

 

月日の立つのは あっという間です~っ。


お友達がされていたので
私もやってみました~っ

最近、これから先のことがどうなるのか
運気の流れがとても知りたかったので
あちこち占いを見てました。

こういうのはすぐにやってしまいます。

迷うときには道しるべになります。
 

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我が家のぴーちゃんに
私は癒されてます。


五郎さんの書かれていることは大変深いです。

熱いメッセージが込められていることを感じます。

私たちは その思いをどれだけ理解出来ているでしょうか。

何度も何度も読み返しました。

 

世論と 私たちの世代の感情には 隔たりがあると思っています。

少し憤る気持ちもあります。

 

私たちは 自己主張できない世代というのでしょうか。

私たちは いまひとつ アピールが苦手なんだなぁ・・・

とほほ。

 

でも 五郎さんが 新御三家のあの嵐のような時代を

愛おしく思えるとおっしゃっていただけるのは

ファンとしてはとてもうれしいことです。

 

五郎さんの記憶の中でも

私たちは輝きます。

 

歌い続けてくださる五郎さん。

もうそれだけで十分なのに

こんなにも頑張ってくださっている。

 

これからでも遅くはないので

私たちが 声を上げていくことが

大切なのではないかと思いました。

 

新御三家の熱い時代、

幸せな記憶を大切にしていきます。

 

こちらは 五郎さんのブログに書いたコメントです。

*******

熱い時代を生きた。

五郎さんありがとうございます。
これほどの想いを ひとつの記事に
書いてしまわれる五郎さんのすごさに
これは 正座をして拝読しなくては・・・・と
何度も読んで心に刻みました。

いろんな考えの方が、いろんな想いを胸に
ここに来られていると思いますが
どの人の心にも深く響く 五郎さんの言葉です。

私たちの乙女の時代は
新御三家からパワーを受けるような、熱い熱い時代でした。
少女漫画から飛び出したような
カッコ良さと 美しさと 華やかさがありました。
とても 現実の人とは思えない まぶしいお三人でした。
あの時代は 新御三家なしでは語れません。

私はムードに弱いものですから
小学生の頃より五郎さんに夢中になりました。
あとの決め手は「声」だと思います。

1976年1月に「ベスト3夢の顔合わせ」という番組が放送されました。
日本武道館での新御三家の夢の競演。
ほんとうに すごいステージで忘れることができません。
これは絶対夢だと思いました。
頬をつねるような出来事でした。

常に少女の理想や憧れを決して壊さないように 
ファンの想いのすべてを背負ってくださいました。
おかげで 私たちは夢を見るままに 大人になりました。
が そういう私たちなので
どこか 夢の中で満足し 世に向けて発信する力が弱い、
という面もあるかもしれません。
新御三家のファンは 今年はもっと 
自分の想いを発信すべきだったようにも思います。
とても反省するところです。
新御三家世代に生きれたことが 私にとっては大きな喜びです。
秀樹さんが五郎さんのそばで見守っていてくださるとうれしいです。
歌い続けてくださった五郎さん、ありがとうございます。

それから 
>国際,日劇,日生劇場等,東海林先生と打ち合わせしているだけで,構成が出来て行ってしまう!という事もありました。

1975年浅草国際劇場、1976年日劇リサイタルの音源が
レコードやカセットにならなかったことは とても残念です。

あの時代を振り返り 東海林修先生が
「僕は五郎をクイーンのようなロックスターに仕上げたかった」
と語られていた言葉を 今思い出しました。

2018-11-26 15:51:17 のりえ

 

こちらは毎年やっているヒヤシンスの水栽培です。

写真でも載せないとさみしいから 載せておこう~っ。