最後に死の淵から蘇りを果たした奇跡の時から10年目が過ぎた。僕の病名は慢性膵炎でした。難病指定がされています。
完治などほぼ不可能だったのに手術をした直後から難病が身体から消えてなくなりました。
膵炎は痛いです!
半端なく激痛が背面から鳩尾から脇腹から襲いました。膵炎は僕のさまざまな過去の怪我など命の危機に至ったレベルとは格段に違う痛みの毎日でした。
台風や梅雨入りや紅葉や桜前線など季節の変わり目など気圧の変化に膵炎センサーは反応して吐き気や軟便や鈍痛がやってきました。
食べたいものを食べた直後はマシなのに食後20分くらいすると消化不良の吐き気で何時間もトイレの便器の前に座り込んだ記憶があります。
僕の場合は当時からジャンク好きなのに…
ピザも駄目
ハンバーガーも駄目
ポテチも駄目
コーラも駄目
カップ麺も駄目
手術前の 1ケ月近くは水が入るだけで内臓が痛くなってほとんど絶食状態で死にかけました。
掌をぎゅうと握りこぶしにしていつも白い天井を見上げて白旗をあげたくなるときもあるほどしんどかったです。それでも白旗をあげるにはいかなかった。僕の命で僕の病気だったから。
そんな僕はここ何年も消化不良も内臓が痛くなることもありません。夜中にチキン食べてしまったりラーメン麺を食べたりしても翌日に、元気な内臓を復活させました。
「これからどうするの?未来よ。」
聞かれたら僕はこう答えていました。
「未来に持ち合わせがないんだあ。」
難病の膵炎が発見されたときから未来を聞かれたら繰り返し吐いていた言葉でした。なのに…手術をしたら病巣が消え去って健康体を取り戻して這い上がれた。
ここ数年で気づいたことがあります。
生きるっていうのはきっと誰かと心を通わせること。そのものを指して生きるていうってこと。
命の存在そのものと言える言葉が視線や声や命の熱や振動になる。
誰かを認める。
誰かを好きになる。
誰かと一緒にいたい
誰かが鬱陶しい。
誰かと手を繋ぐ
誰かとハグをする。
誰かとすれ違う
そういうことぜんぶが生きるってことだってこと。
平凡な日常は何よりも貴いもの。