なんでも食べられる内臓があるというのは、何にも代えがたい幸福です。
内臓の大病をマジに壮絶に味わうとそのありがたさは半端なく魂まで刻みこまれます。なぜなら…
食べられない辛さは辛すぎました。
何か食物を口に入れて飲み込んだあと消化不良から襲う鈍痛やずきずきやしくしくする痛みもしんどすぎました。吐き気や腹痛や下痢もしんどすぎました。
当時のどれもこれも記憶からは出ていきません。だって毎日が戦いでまさに闘病そのものだったから強烈なんです。
僕は膵炎でそのすべてを経験しました。
まさか完治をしてまさか病巣がいなくなって、健康体を手にするなど当時は想像だにしないことでした。
難病である膵炎が僕からさよならをしてくれました。神業でも起きたのかと思う出来事でした。おかげで僕は元気になりました。
そして今は好きなものをいくらでも食べられるようになりました。
2022年の僕のマイブームは餃子でした。
日本中の餃子を取り寄せ、食べ歩きをしました。
週に3日は餃子の2022年でした。
そんな僕は確かに約13年前は闘病をしている人でした。
「これからどうするの?未来よ。」
聞かれたら僕はこう答えていました。
「未来に持ち合わせがないんだあ。」
難病の膵炎が発見されたときから未来を聞かれたら繰り返し吐いていた言葉でした。
なのに…手術をしたら病巣が消え去って健康体を取り戻して這い上がれた。
ここ数年で気づいたことがあります。
生きるっていうのはきっと誰かと心を通わせること。そのものを指して生きるていうってこと。
命の存在そのものと言える言葉が視線や声や命の熱や振動になる。
誰かを認める。
誰かを好きになる。
誰かと一緒にいたい
誰かが鬱陶しい。
誰かと手を繋ぐ
誰かとハグをする。
誰かとすれ違う
そういうことぜんぶが生きるってことだってこと。
なんでも消化をしてしまう健康はこの上ない、幸せだということが日々の感謝です。
来週はインコの世界を書いていきます。