富士山の頂上は、いまの時代は登山道が整備されてトイレも綺麗になりました。しかし15年以上も前は、住むには我慢や自制や忍耐力などか極限まで試される場所でした。
食べ物も
水も
寝床も
歩ける場所も
すべてにおいて非日常と限定でプライバシーが存在しない苦痛の暮らしでした。
高山病も経験しました。
滞在したのは山開きの始まりから秋の終わりころでした。
カナダや韓国やアジアから世界のクライマーが登山ガイドをしたくて山暮らしのための切符を手にするためのオーディションを受けて合格した者から、山小屋での滞在が許可されました。
僕はその世界のクライマーに混じって山頂で暮らしました。契約の途中でギブアップして下山する者も何人か居ました。
そんな懐かしい記憶を蘇らせてくれるのがサッポロ1番ラーメンです。
麺をきちんと茹でられるように袋麺は袋のうえからパキンと二つに折ってから袋を開けてお湯に入れていました。
僕は今でも袋麺を食べる前には癖でやってしまうときがあります。調味料を麺と同時に入れると茹で上がりが速いんです。
富士山山頂は気圧が低くて沸点が低くいからお湯の温度は高くしなきゃいけないのに88度で沸騰してしまうのです。
3776mの富士山の頂上は僕たちの住むところよりも空気が薄いです。人の住む地面の大気圧は1000hPaくらい。
気圧は空気の積み重なりとか重さなど押しつけの力です。上空に行くほど空気は薄くなり気圧は下がります。
気圧が低いからポテチやビールなど密封用の蓋を開けるときは、気圧差でまるで爆発したように噴き出します。
気圧が低いと水の表面から逃げようとする水分子を抑える力が弱くなるために水の沸点も下がると言われています。
洗濯を干すときは火口付近でした。見上げる富士山のてっぺんにいることが不思議でたまならかったことも強烈です。
富士山はまさに神々の棲む聖域です。
僕は海外の山にもあちこち挑戦をしています。海を潜る傍ら挑んできた挑戦でした。
海の中も同じく聖域の領域が潜行から16メートルを過ぎると漂います。
ジャングルの森林地帯にも存在しました。
決して人を寄せ付けない砦のような聖域です。
人間が住めない場所の領域という意味で山頂もジャングルも海中もおんなじです。
神様の棲む頂きに住まわせて頂いたあとに僕は落としこまれたような感覚を繰り返し体験しました。偉大なエネルギーに包まれた世界です。
それらの世界たちは味として味覚や嗅覚や触覚や視覚や聴覚のすべてで受容した人間を叡智や悟りの境地へ招待します。
メンタルも肉体も宇宙から見下ろすと、砂粒ほどに小さく脆く完璧はないことを教えてくれます。
最近ある言葉を耳にしました。自分のメンタルは絶対でブレないという言葉でした。
僕は怖かった。
完璧の世界やブレないものは、どんなに経験を詰んだり知識豊富なメンターやコーチですら口にしません。
人は完璧になれないしブレないことがないなど存在しません。だから成長を日常のなかで必要として間違いもするし迷いも不安も焦りの感情も抱きます。
ブレたときにすぐに自分を修正してあげればよいだけのことです。
感情が暴れそうになったときや、自分にとって嫌な気持ちやブレたときは適切な感情整理の方法をすぐにやってみることです。
買い物する
誰かに相談する
美味しいものを食べる
寝る
苛立ったり焦ったりすればするほど、あなたの内側から弱虫の鳴き声が脳内へ響いて脳の中はおしゃべりだらけのノンストップになるからです。
そうなる前に苛立ったら気持ちを修正や切り替えをして進めばよいのです。
引き寄せの法則 エイブライハムとの対話の新訳本は読まれましたか?本田健さん訳で、マインドへ落とし込みやすいです。
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