寝転がった状態で体と心に向き合う 「ニードラ」はサンスクリット語で「眠り」を意味する言葉。
僕はヨガニードラをしました。
仰向けに寝転がってインストラクターの説明を聞きながら実践していくヨガの形なんです。
でも本当に眠るわけではなく全身をリラックスさせて瞑想状態へと陥ってしまう。ポーズらしいポーズはなく、目を閉じてインストラクターのガイダンスに耳を傾けるだけ。
なんですが…
これが心底までじんわりじんわり海水のように毛細血管の末端まで浸透していきます。まったく荒々しく無理矢理侵入する感じもなくじんわり、まるで毛布に包まれているように心地よいのです。
ですが…
じんわりとニードラ効果で心底まで浸透したときでした。
自分が目を逸らしていたことや仕舞い込んでいた記憶や出来事がぱっかり蓋を開けて顔を出してきました。
心地よく力みが抜けていたなかで一瞬で僕の力みが遮断しました。
そのまんま身を委ねるのが怖くなったのです。
僕は海の下で見た遺品やご遺骨の記憶が駆け巡り悲しみが溢れてしまいそうで怖かったし、心底から溢れ出したあとに自信が持てなかった。僕はその場を逃げだしました。
ニードラを調べると単に体を動かすだけでなく内観も伴うことで心身の健康を目指していくのだそうです。
短いものは、定期的にプラクティスをすることでマインドと体にとって、人生の最も辛い時期を通り抜ける手助けをしてくれるアイテムだと…。
なぜならヨガニードラはただ手放すことを求めるだけで筋肉をゆるめざるを得ない。
手放しの勇気と、格好悪さを晒せるなら再挑戦する価値もあるプラクティスなのだと僕は思ったのだ。
僕は人生を最高のポジティブな光の中で暮らすことを最優先している。マイナス思考や言葉やそれらを使う人たちとの交流も排除するようにしている。
例えば、12人のうちのなかの1人が厄介でプラスな影響を与えないとき、たった1人から齎される人生の足枷は多大な時間浪費に結びつく。
時間は有限で無限ではない。
きっと宇宙から与えられたギフト時間がヨガニードラだったのだ。僕がパフォーマンスを最高に仕事量が多くても可能になるように。
ヨガニードラからの後ですぐに我に返って原稿の赤文字直しを始めました。
すると脳内へ雨のMelodyの曲がエンドレスで流れました。
〜雨はギターの涙と叫び♫♫♪
悲しみだけ包んでく♫♪🎶〜
サビがリアルでした。
外の雨音が聞こえたせいだったのか音色が耳について直し最中にずっと流れていました。
僕はヨガマットを敷いたままの上であぐらになって、口に青ペンをくわえて右手に赤ペン、足に蛍光ペンをおいて書き続けました。原稿への集中力は高まって予想以上の時間の速さで終了しました。
ヨガニードラが効いていたのだとはっきりと明確に判明したのは、ヨガマットの上で爆睡をして目覚めた朝はすっきりしていたことでした。
僕が抱えて持ち帰った海の下の記憶は、手放せるときはきっとくる…。ヨガニードラが宇宙からの贈り物だったのだから。