琉夏は僕にとっては最高の友であり家族でした。
僕は親友と呼べる人が数人います。彼らとは25年以上の友情があります。ここ2年くらいの時の間に、親友の領域に含めることのできる友達が1人増えました。
あなたには、親友と呼べる友達はいますか?
短大時代の友達とか
高校時代の友達とか
中学時代の友達とか
もしあなたが親友と思っているなら友達もあなたのことをそう思っていますか?あなたは確信を持てますか?友達だということへ。
その友達は自分のことよりあなたを心配してくれますか?時には自分を投げ出す覚悟で助けに向かってくれますか?
究極的に言えば走れメロスや走れメロ子です。
どんな人にも知り合いはたくさんいます。でもそれは友達とは呼べるものではありません。
子供が授業参観だから。
いま、彼氏と一緒だから。
明日から旅行なの…
そういうのをどうにかしてあなたのもとに駆けつけてくれる…反対に逆の立場でも同じです。
何もかもを投げ出してあなたの元へ駆けつけてあげたくなる真の友情をもっていますか?
メール世代も同じです。
井戸端会議や
公園デビューや
物品だけの送り合いや
話題や悩みは異性関係や子育てや情報交換などをする関係ならその程度はただの知り合いです。
あらゆる状況下においてあなたの苦況を知ったら何もかも投げ出して駆けつけたくなる気持ちになるのが友達です。
そうでない限りは吹けばぷーっと飛ぶような関係です。
自分よりも自分のことをわかってくれる親友は生涯にたった僅かな数です。ひとりやふたりかさんにんです。
あるいは、出会えないかもしれません。
親友の存在は万軍を得たように強くも幸せ感も自分が生きている上で楽になります。
そして自信があるので、孤独感や不安定感もあまりありません。親友は最高の宇宙から貴い贈り物です。
僕の25年以上の友達は学生の頃からの付き合いの者たちです。楽しいだけの時間を共有したのではなくて、苦しくて誰がが逃げだしたくなるような状態の時も友達でい続けました。
喧嘩もしました。仲間の中には、取っ組み合いをした者もいました。結局は先生に呼び出しを食らって喧嘩理由を話すとき
「ムカついた」
「裏切られた」
言いたくたることは山ほどあると思います。
言葉の伝え方によって平和に解決するかさよならになってしまう友情になるか分かれ目になる時があります。
こういう口論や喧嘩で起きたときは
友達だと思っていたのに…
友達だったのに…
悲しかった…
悔しかった…
気がつけば胸の奥はそんな言葉ばかりが残っています。最中は怒りで見えてない自分の心がだんだん見えてきます。
そんな時には、自分の心がとっても傷ついてしまっただけだったことを優しい日本語を使って伝えてみてくださいね。
言い方を変えることはとっても大切なことです。激しい言い方をすれば激しい言葉があなたへ跳ね返ります。
人の思考は、マイナスな考えもポジティブ考えも目には見えない波動になって周囲へ影響を与えます。言葉も言霊として相手へとどきます。
お終いになるはずの友情カムバックしたり、解決がスムーズになったり未来が明るくなっていきます。その時は奇跡が起こるのを見届けてみてくださいね。