9.11同時多発テロの冬に僕はニューヨークに居ました。テロのあった街でボストンから車でニューヨークまでやって来る妹と待ち合わせをしました。
その記憶の時代へタイムスリップをさせられた出来事が数日前に起こりました。ちょうど20年前の出来事を思い出しました。
無理矢理にこじ開けられたように過去のアルバムと日付けを辿る作業をしました。
きっかけは大阪のある景色の写真でした。僕はその景色を見たときになんとなく昔に見たような感覚が残っていました。
僕は大阪に行った時の写真は、2001年11月でした。それしか大阪へ行かなかったので写真を広げてみると直ぐに見つかりました。
僕は当時の2001年の僕自身の行動を探りたくなってしまいました。記録は、潜水記録と写真の日付けを書き出していくと自身が何をどうしていたのか判明しました。
2001年を開くと毎月か二ケ月に一度は滞在する国が違う暮らしをしていた記録に出会った僕がいました。
2001/3 ニューギニアちかく
2001/4 オーストラリア
2001/6八丈島
2001/7 オーストラリア
2001/11 大阪
2001/12ニューヨーク
生き急ぐ僕がいました。何かに取り憑かれたように潜ってばかりの僕がいました。
そんな2001年の記録には大阪の翌月はニューヨークと書かれていました。
僕は父親の暴力から逃げるために家を出た時以来でした。
僕のニューヨーク入りの最大の目的はNYの9.11の現場とクリスマスイブの街と人を被写体にすることでした。
ニューヨークは、プロテストへ合格するための撮影の試験で結果は失格でした。そのとき担当の人がこう言いました。
「あなたは街の写真とか人は向いてないかもしれない。別人の作品になってた」
結局、僕は9.11の年のクリスマスイブをニューヨークで妹と過ごして日本経由で写真業界の女性と会ってオーストラリアへ帰りました。
今も鮮明なのは、テロの起きた中心地や周囲のチャイナタウンは焼け焦げた臭い匂いが、中華料理の香と混ぜ混ぜになっていたことと、テロ現場はすでに観光地になりはじめていたことです。
日本語でたくさんの落書きも見ました。
「9.11◯◯◯俺はここに立つ!」
「忘れない俺!」
踏み立つことが自慢になるなんて人の心の嫌なところを見た余韻はしばらく離れなかったのです。
僕の脳から湧き出る記憶とアルバムから開いて目にした写真が交差して再会を果たしたのが、数日前でした。じっくり見ることもかつてなかったので見たのは2001年以来でした。
妹が撮影者の写真に映る僕は、あまり他者へは見せたことのない表情をしていました。妹だからだと数日前に僕は思いました。
僕は妹との再会した2001年から海やジャングルや内戦地へ相棒と赴くようになっていきました。2003年にインドネシアのバリ島で海難事故を起こしてしまうまで続きました。
命って頑丈だけど脆いです。
人間って利己的な欲に突っ走ると冷静になることをどこかに置き忘れてきてしまいます。
そのときの人間の心は、自分の命は自分だけのものではないってことも、貴いということもすっかりふっとんでしまいます。
僕は幸運にも14回も死の絶壁まで果てまで行き着きましたが戻ってこれたからラッキーでした。、こんな強運は、滅多に通用しません。
僕も妹も生きていたから今まで話せたし会えて来れました。
生きていなければ再会は果たせません。
新型コロナウイルスによって簡単に海外へ渡ることが難しくなっている今を未来のためにそれぞれが最善を尽くして生きる。
そして…
いつか必ず、絶対に会うために今を生きる。
いまの僕たち家族の約束です。
ごちそうさんでした。