僕の大の苦手な物に折り紙があります。
アメリカのボストンに在住している妹がコロナ禍中に日本へ帰国できなくなったことで日本製品をアメリカへいろいろ送らなければならなくなったことがありました。
妹が住むボストンの冬は寒い真冬の季節が長いのです。雪が深く降ります。青森県の緯度に近いそうです。さらに新型コロナウイルスによって家族全員で外出困難になりました。
僕は、コロナ禍只中に帰国できない妹へ日本から必要な物資をアメリカへ何度も何度も送りました。その時に旦那様の姪っ子へ折り紙を送って欲しいと頼まれました。
僕もコロナの始まった頃は、折り紙へ挑戦しましたが、なかなかうまくできませんでした。僕はブログ繋がりの中学生さんへ「折り紙の勉強中です」とつい吐露してしまいました。
その頃から中学生のブログ繋がりさんたちとの新しい交流が熱く濃くなっていきました。
僕は中学時代に真面に机に向かって勉強をした記憶がありません。それなのに作文関係や読書感想文関係では県を通り越して全国のコンクールで賞を受けています。詩の分野でも一般誌で作品賞を受賞しました。
文章を書くことは、勉強や努力を積み重ねた訳でなく道しるべが仕上がっていました。僕は、受賞をきっかけに調子に乗りました。調子こいてバンドを組んだ仲間の曲の作詞だけでなく、ヤンキー先輩のバンドの曲まで挑戦しました。
これが僕の書くことへ携わるきっかけで歌詞の殴り書きが無我夢中にしていきました。
次第に歌詞を英語にしたくなりました。感想文のために歴史を勉強したくなりました。英語と歴史の授業だけはノートを取るようになるとその時間は居眠りしなくなって出席するようになりました。
すると…偏差値が校内トップになって高校受験のときには偏差値70近い社会と英語の強みでまともに勉強をしなかった中学3年間だったのに高校に合格したのです。
ヤンキーが感想文で受賞をして偏差値が校内トップになっていたのです。
それでも僕の抱えていた大きな事情には何にも変わりはありませんでした。親へ背中を向けて家から逃げなければ家ではいつか殺される恐ろしさに怯えていました。
僕は家から逃げ出しました。学費だけはしっかりと用意されたことを母親の親戚伝いに聞いて、僕の高校生暮らしはヤンキーの友だちの家からの登校になりました。
現在に至るまでに、血の涙を僕も母もたくさん流しています。血の涙は涙のなかに涙腺の毛細血管が少し切れて涙に血が混じっています。叫ぶような悲痛な心が涙となるときにしかおそらく出てきません。
時代はコロナウイルスによって一変しました。
誰かを恨んたりすねたりいじけたりしても変わらない新しい世界が飛び出してきてしまいました。
いろいろ手を出す暇もないし、お金もない…そんな子供達も大人たちも溢れてしまった時世です。
そんな時代においては…
1つだけ!
たったひとつ。
自分の得意な物を見つけることです。
好きも嫌いもない他の子よりも得意に思うことを見つけるのです。
勉強でもいい
運動でもいい
絵を描くことでもいい
音楽でもいい
食べることでもいい
他の子たちより得意なことを見つけるのです。
そしてそれだけを命がけでやるのです。
お金がない家だとか
親が仲良くないとか
親が居ないとか
自分は無理だとか
自信がないとか
決して自分に弱気にならないでください。引け目を感じたりしないでください。弱気になってしまうとすぐにあきらめる虫があなたの心に住み始めて鳴き声が聞こえてきます。
あなたの未来はあなただけのものです。
あなたがいちばん笑ってワクワクする場所を探してそのために未来時間を今の瞬間から大切にしてくださいね。
高く高く飛びたい!
遠くへ行きたい!
想いを得意な物をたったひとつだけ見つけることで世界は一変します。
僕の場合は文章が物書きへ、
未来はあなただけのものです。