年に1度、真夜中の真っ暗闇の中で打ち上げ花火のようにサンゴたちが海面に向かって産卵をします。
舞はマリンスノーのように潮の流れに身を委ねながらどこまでも流れて海中へ落ちていきます。
僕は予見者の仕事で彼女の著書を利用したいと事務所を通じて意思を素直に伝えたことが始まりでした。
不快に思うやろな…
特殊な能力の仕事で使いたい…伝えるにはちょっと勇気が必要でしたし正直さも必要でした。
怪しいよな…予見者なんて…言えないよな…打ち明けることが、真剣に怖かったのを今でもよく記憶に残っています。
本心を打ち明けるまで何日も時間を必要としました。
水中写真家ではなく脚本家ではなく自分が予見者としての仕事で用いたいと打ち明けなければならなかったのだから職業的にグレーゾーンたっぷりな訳です。
予見者の仕事は人が好きか嫌いにはっきり分かれました。今でもそうです。僕を色眼鏡で見る人と僕と中身で見る人と分かれます。
僕はどうしてもどうしても、使いたい著書のために恥を覚悟しました。
ご存知ですか?恥かく勇気や失敗する勇気は繰り返していくと勇気の免疫力が高くなっていきます。弱味を見せたくないと鉄壁の鎧を外せないままだと勇気の免疫力はなかなか上がりません。
好きなように生きる!
自由に生きる!
外野の雑音をシャットアウトして恥をかく!
僕は勇気を出してよかった。
僕は勇気を出した日でした。「書き出しをしてみるねー」と宣言をしました。
その日から僕は自分について書き出しました。時は流れて一ケ月すぎたある日…
あれ?
あれ?
ある日
大きな自分の中のブロックが外れていました。自分の足枷のようにずっと縛られていた枷がなくなっていたのです。
海で事故を起こして生き残ってしまった自分の行為。それによって遺族へ送金を15年近く続けながら生きることがずっと許されないと思っていたブロックを外していました。
生きることも。笑って生きることも。していいことだったことに感謝しました。そして僕の罪悪感へさよならをしました。
書き出しワークをしながら僕は良い意味付けに、過去を変えることで足枷が外れました。そして自由を手に、自分の異端へ生き様へ大きな価値が誕生した日でした。
僕の自己肯定感の誕生でした。
等身大の自分を肯定できることは一見幸福そうに見えるけれど自分を大好きであっても決して自分を大事にしていることにはなりません。
好きであることと尊重することは違う。どこかに怯えが見え隠れして価値観を下げているとき自分を大事にしていることにはなりませんでした。
僕にとっては、自分を本当に愛するためには自己客観性を獲得することが必須アイテムでした。
僕は新しい始まりに現地の友人と潜りました。最高で爽快でまさに宴の海でした。
5メートル…
10メートル…
15メートル…
20メートル…
水面から深く深く潜ると太陽からの光がだんだんと届きにくい距離になっていきます。そして…自然の「音」の世界だけになっていく世界が広がっています。
海の碧と一体化して海の生物と無我夢中で遊べる波の下の世界を僕は大好きになって海馬鹿の人生を生きました。事故に遭って怪我やPTSDという診断によって一時は、海に触れることを恐れた時期もありました。それでも、やっぱり僕は海へ還りました。
僕の居場所を見つけて、僕を取り戻して生きられるようになりました。
海の世界はすべてが非日常空間です。その人間の手が行き届かない完璧な内なる宇宙へ降りて行けることが心から幸せでした。毎回の潜水が最高の宙からのプレゼントでした。
ワタナベ薫さん改めてありがとう😊