琉夏の誕生日の日に彼と見上げた桜たちへ会いに行きました。
ふたりで燥いで、おしゃべりをして桜吹雪の渦巻きに身をまかせてふわふわ心地よく桜の木の下で過ごしました。
そんなに遠い遠い遥か昔の出来事ではないのに、ずいぶんと遠くまできてしまったような感覚がしました。
今の私の暮らしが琉夏と暮らしていた時とは時間の用い方も流れる速さもかけ離れた暮らしに劇変したからです。
隣にいつもいるはずで、まるでインコの着ぐるみを纏っている人間みたいな奴でした。
心地よく幸せな時間や経験は、琉夏と一緒の時間でした。
一番、怖かった瞬間も
一番、心地よかつた瞬間も
いつも一諸でした。
わたしの過去の傷の痛みは2つの感情を衝突させました。そしてふつふつと湧き出る混乱は時折、琉夏へ苛立ちになることもありました。
琉夏が刺激しました。
「不愛想に見えて実はいい人だね」
「いい人だってことをわざと隠しているみたい。目を背けているみたい」
もちろんインコだから細かなおしゃべりはできません。
それでもそんなおしゃべりをされたように大きな瞳でまつすぐに見つめられたときに混乱したのが飼い主です。
私に対する思いがまっすぐに伝わるから、素直になれない私を苦しめました。
私は人と深く関わるりを持つのも嫌だし、見て見ぬふりをして生きるのが楽でした。
このままでいいと思っていたのに・・
琉夏のせいで心が揺れました。
彼は外から私を呼びました。
「心の分厚い壁を壊せ」と。
おかげで私は琉夏と暮らした間に「意識の改革」を始めることになりました。
これが自分の人生を大きく変化させる構築する始まりでした。
構築は大成功しました。
殺意が籠るほどの復讐心を自分の中心に置いて生きていた生き方も憎しみもいつの間にか手放してしまいました。
怒りや憎しみを喜びと笑顔に変えて好きなことをして健康的に自由に羽ばたく暮らしを入手しました。
今のわたしの生活は琉夏と共に奮闘しながら守られながら大きな翼のなかで愛されて得たすべてです。
愛して愛していまも会い焦がれるのも時に、無性に声が聴きたくなるのも愛が深くわたしの魂に刻まれている故です。
ただ涙がぽろぽろ落ちることはなくなりました。
ふたり暮らしの思い出でお腹を抱えて笑えるようになりました。
時が経つのは早いです。
ゆっくり過ぎてほしくても時だけは自分の思い通りにはいきません。
「時」は過ぎ去れば二度と戻りません。
名残惜しさを抱えるもにするか振り返りたい想いでにするかはそのひとの選択です。
いまその瞬間瞬間を命ある隣にいる大切な人や、あなたが懸命になつている出来事へ
大事に大事にしてくださいね。