ボリビアの街の写真がでてきました。
わたしは少し前まで自分の足で命がけでという取材ばかりしていた時期があります。
私の周りにはジャーナリストの友人が多くいます。どこかに所属していたりフリーであったり。
彼らからはいつも情報をニュースよりも半年前くらい時差を早めて耳に届きます。
それだけ「危険な地域で動いている」という証である時もしばしばです。
わたしの友人に海野さんがいます。DIVEの著書に登場した海野さんです。長年の心友であり相棒です。
海野さんは、アメリカのジャーナリズム科大学卒業の毛細血管の末端までジャーナリストの人でした。
海外のジャーナリズム科専攻中に在学中から戦場で消えた仲間のはなしや、拉致や拘束されて消えた仲間のことをよくはなしてくれました。
私がオーストラリアへ渡るきっかけも、海外の水族館や野生保護区へ履歴書を出すきっかけも海野さんからはじまりました。
触発されてわたしの視野は広がって世界を舞台に未来を描くようになっていきました。
そしてわたしはオーストラリアへ渡ったあと、海野さんとバディを組んで海中だけでなく、戦場へ記事になる国へ赴きました。
赴くほどその国々での生活へ慣れました。順応するのもスピーディーになっていきました。衛生面も不便な場所も治安不安な場所も慣れていくもので慣れてしまうのです。
ある時、東南アジアの環境汚染の記事を取り上げたあとふたりで拘束されたことがありました。
現地のハーレムの納屋のような場所で何日もすごしました。
理由は、「記事を出すな」の脅しでした。記事が出ると関与している人物の利権に関わることで圧力が暴力で私たち相棒へ向かいました。
わたしたちは運良く解放されて帰国しました。
肉体的苦痛だけでなく身体的苦痛を強いられたのはそれでもわたしたちは懲りなかったのです。
こんどは中東諸国へ向かいました。
異国の土地で着ていた「防弾コート」が、このブログ開始した年にクリーニング屋さんから返却されてポケットから出てきた「骨」記事を載せたことがありましたね。
わたしの胸には夜間外出禁止令のときに弾が掠った跡があります。ほんの小さな跡になってますが跡には変わりません。跡の上に「ドッグタグ」をしていたので命拾いをしました。
ジャーナリストの仕事は責任が伴うのに無責任になることもある。「正義感」とか「大義」とかいいながら、当時は言葉とは裏腹に何かに取り憑かれるように周りが見えなくなる瞬間がありました。
命が本当に危機にさらされる寸前なのに「本意」より「別のなにか」を優先して動いたあと必ず本当に命が危険な事件に巻き込まれていたことを忘れません。
命って頑丈だけど脆いです。
人間って利己的な欲に突っ走ると冷静になることをどこかに置き忘れてきてしまいます。
そして自分の命は自分だけのものではないってことなんです。
そこで見た世界や人々や戦闘機の音や銃撃戦の夜に毛布をあたままで包んで朝を迎えたこと。記憶に刻まれた記憶は感謝に繋がります。
日本で銃撃戦の音がうるさいから眠れないなんて日本では経験しません。
先週、ハーレムのなかで見てきた無償の愛、アガペーについて友人と話しました。それ以来、ハーレムの匂いや汗や空気がやけに思い出されています。
愛と呼ぶものなのか…犯罪なのか…振り返るときすべてのわたしの今の暮らしへ感謝が溢れます。
人間は感謝をしている時に最高の波動になります。自分自身の放つ波長を最大限に高める事が望む幸せを引き寄せることになりますよー。
きのうのアメンバー記事はびっくりされた方が多いのは当然ですね。わたし自身も同じです。また報告をアメンバーでしていきます。協力にありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。