昨年末以来の小田原の琉夏の眠る場所へ帰りました。
めちゃくちゃ会いたかったです。
琉夏にも。
母にも。
友達にも。
わたしが来れない間の琉夏のプランター管理は母がしてくれていました。
母はこう言いました。
「雪の日は寒すぎてかわいそうで、雨の日はじゃんじゃん濡れてしまうから琉夏はお家に入っていたり出ていたりしていたよ」
「側から見たら朝でも昼でも夜でもプランターを動かしてばかりいるから何か金目の物でも入ってるんじゃないかと思うだろね…」
土の中にはまだあっしーくんの靴下があるそうです。
羽はエナメル質で出来ています。
琉夏の身体の大半が土に還っても羽はまだまだお花の下にあります。
だからただ花の苗を植えるように簡単な作業ではないそうです。
苗も土も細かな手入れをしなければならないと教えてくれました。
母が自分の子のように大切に守ってくれていたことは電話で聞いて知っていましたが、再会して聞けば聞くほど感謝でした。
本当の親娘としての関係をもう一度築き上げることができたから可能になったことでした。
小田原に帰ったら魂の浄化をするために海へ向かいました。車でボートで数時間のポイントまで目指しました。
生ある者はいつか死にます。
動物も人間もいつか死にます。
だからこそ人生は美しいと思うのです。
わたしは何度も何度も繰り返しの死の淵まで行っては戻されました。
昨年の海の漂流が蘇生したのがいちばん更新して新しい蘇生できた季節でした。
(この事故は読書登録をされアメンバーのブロガーさまはよく存知のですよね)
記憶が戻ったときいつも思うことがあります。
今日が最後だと思って生きよう。
今日が人生最後なら今日が愛する人の思い出になるから。
だからどんな瞬間も全力で生きて全力で愛そう…。
私は蘇生はたまたま叶っただけで死ぬはずの命を繰り返してきたからです。
過ぎた去った時間は取り戻せないことの重さと死ぬ間際に悔しかった経験を何度もしたから痛みが意識を覚醒させました。
命って簡単に死なないし頑丈なんだけど脆くてはかないです。
脆いから全力なんです。
生きなきゃと。