毎年恒例、気心知れた友人達と地元の行きつけの飲み屋さんで。
温泉後の麦酒はやはり最高ですな。
最近の激痩せっぷりに、はかせから心配されましたが着々とここ数日でまた溜めはじめましたよ
うまっ!!!
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某東海地方からの帰りの高速道路でちょっとした事故に巻き込まれた。
奇跡的に車も僕もほぼ無傷だったけど、頭部を強打したので念のため病院にて精密検査を受けることになり、現在は結果待ち中でこれを書いてます。
先日、『生』を実感したばかりで『死』が手の届くような眼の前まで迫ってきた事実に震えながらも、頭の中は不思議と冷静だった。
そして身近に起こった多くの『死』を思い出した。
ここ数年で、多くの大切な人が命を断った。
事故だったり、病気だったり、自殺だったり…
自然と受け入れられる時もあれば、未だに受け入れられない場合もある。
ただ、それには何かしらの意味があるし、逆に言えば意味を成さない『死』なんてないのだ。
でも、そうして亡くなる命もあれば産まれる命もある。
それぞれに悲しみや喜びを与えるけど、それと共にそれぞれが人に生きる力のようなものを与えている。
残された人は、去る者のためにも頑張って力強く生きて行こうと思うし、与えられた人もその新たな命のために頑張って行こうと誓う。
人はそうやってその生涯に、大切な何かを残していくんだ。
最近、小さな子供達と接する機会が多々あり、何故だか僕はその子共達にえらく気に入られたようで、先日の会社の大掃除でもずっと遊んでいたら不思議な感覚がこみ上げた。
なんていったらいいんだろう?
ちょっと照れくさいような、誇らしいような、家族の中の自分というか、そういうものにちょっと目覚めたというか…
この年までそういう感覚が希薄だったことがちょっとだけ恥ずかしかった。
でもこの日は、そうやって子供達と戯れ、新たな命の美しさを感じた。
悲しみに暮れる日も、喜びに溢れる日も、僕は僕のままで生きて行こうと思う。
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奇跡的に車も僕もほぼ無傷だったけど、頭部を強打したので念のため病院にて精密検査を受けることになり、現在は結果待ち中でこれを書いてます。
先日、『生』を実感したばかりで『死』が手の届くような眼の前まで迫ってきた事実に震えながらも、頭の中は不思議と冷静だった。
そして身近に起こった多くの『死』を思い出した。
ここ数年で、多くの大切な人が命を断った。
事故だったり、病気だったり、自殺だったり…
自然と受け入れられる時もあれば、未だに受け入れられない場合もある。
ただ、それには何かしらの意味があるし、逆に言えば意味を成さない『死』なんてないのだ。
でも、そうして亡くなる命もあれば産まれる命もある。
それぞれに悲しみや喜びを与えるけど、それと共にそれぞれが人に生きる力のようなものを与えている。
残された人は、去る者のためにも頑張って力強く生きて行こうと思うし、与えられた人もその新たな命のために頑張って行こうと誓う。
人はそうやってその生涯に、大切な何かを残していくんだ。
最近、小さな子供達と接する機会が多々あり、何故だか僕はその子共達にえらく気に入られたようで、先日の会社の大掃除でもずっと遊んでいたら不思議な感覚がこみ上げた。
なんていったらいいんだろう?
ちょっと照れくさいような、誇らしいような、家族の中の自分というか、そういうものにちょっと目覚めたというか…
この年までそういう感覚が希薄だったことがちょっとだけ恥ずかしかった。
でもこの日は、そうやって子供達と戯れ、新たな命の美しさを感じた。
悲しみに暮れる日も、喜びに溢れる日も、僕は僕のままで生きて行こうと思う。
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昨夜、少し遠い某所からの帰り道、JIMMY EAT WORLDの『FUTURES』を聴きながらあることを思った。
過去は過去としてどんどん自分の後ろへ通り過ぎ、走って行く未来は先が見えないくらい長い、と。
あんなふうに真っ暗な高速道路を自分の運転する車が走るように。
自分自身を支えるものとして足りないこと、やるべきこと…目の前のモノのあまりの多さに愕然として、でも同時に喜びを感じて。
まだまだ若輩者の自分はまだまだ劣等生。
こんなありがたく、恵まれた状況は無い。
だってこれからもっともっと成長して強くなれるってことだから。
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過去は過去としてどんどん自分の後ろへ通り過ぎ、走って行く未来は先が見えないくらい長い、と。
あんなふうに真っ暗な高速道路を自分の運転する車が走るように。
自分自身を支えるものとして足りないこと、やるべきこと…目の前のモノのあまりの多さに愕然として、でも同時に喜びを感じて。
まだまだ若輩者の自分はまだまだ劣等生。
こんなありがたく、恵まれた状況は無い。
だってこれからもっともっと成長して強くなれるってことだから。
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昨日は長い長い、本当に長い一日だった。
何分間とか、何時間とか、一日とか、一週間とかって言う単位じゃなくて、人生の一部分を確実に切り取るような一日。
それが実際にどれだけの時間だったかはよく分からない。
少なくとも、目覚めてから眠りの淵に手をかけるまで。
秒数を割り出して、それをメートルにしてみたらきっとどこか遠い国まで飛んで行けただろう。
そんな『12月11日』という日を人生の記念日にするべきなのか、そうではないのか?
手をかけた眠りの淵からズルズルと緩やかに落下していくその途中までも僕はずっと考えていた。
12月11日という日を振り返り、
遡ってこの一年を振り返り、
初めて自転車に乗れるようになってから何年だっけ?と振り返り、
自分の人生を振り返りながら、先を見据えた。
そこには楽観も悲観も無く、諦観を悟るには早すぎた。
互いに共有してきた時間が孤独を生むかもしれないし、孤独を共有して新たな時間を生み出すことも可能なのだ。
こういったノスタルジーに答えはない。
いや、むしろ必要が無い。
それでも彼は一回死んで、そして生き返ってきた。
周りの人間はそれを自分の身に置き換えて悔い改めれば良いし、彼はその幸せを、存分に享受する義務がある。
そして僕が今夜、体質的に苦手なウィスキーをロックで煽りながらoasisの『Definitely Maybe』とBEATLESの『1967-1970 (青盤)』を聴いているのは、ただ気分よく酔っ払っているからじゃないってことを、こうして書き留める。
僕が聴きたかったのはこのアルバム達だし、『Live Forever』や『Don't Let Me Down』が流れれば体を揺らす。
ただそれだけのことなのだけれど、だけど今の僕の中に入ってくる音は、全てが意思を持って何かを伝える。
昨日、僕にとってとても大切な人が12時間にわたる手術を受けて見事に生還した。
きっと、彼にとっても、僕にとっても、この先の人生を決定付ける一日だったのだ。
…といつかゆっくりと語り合うだろう。
それでいいんだ。
待っている間、病院の窓から見える空が蒼く、とてもキレイだったおかげで救われた。
風が強くて、足速に流れる雲をただただ眺めていた。
生と死を、ただここにある当たり前の生を、そしてそれ以上に当たり前な死を、痛いほどに味わい、言葉を失い、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
それは23時過ぎ。
彼はもう無事にこの世に生還していたのだけれど、今度は己の生を実感しなくてはいられなかった。
だから、彼が幼い頃の僕に教えてくれたBEATLESと自分が初めて大切に感じたoasisを、彼の好きなウイスキーと共に。
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何分間とか、何時間とか、一日とか、一週間とかって言う単位じゃなくて、人生の一部分を確実に切り取るような一日。
それが実際にどれだけの時間だったかはよく分からない。
少なくとも、目覚めてから眠りの淵に手をかけるまで。
秒数を割り出して、それをメートルにしてみたらきっとどこか遠い国まで飛んで行けただろう。
そんな『12月11日』という日を人生の記念日にするべきなのか、そうではないのか?
手をかけた眠りの淵からズルズルと緩やかに落下していくその途中までも僕はずっと考えていた。
12月11日という日を振り返り、
遡ってこの一年を振り返り、
初めて自転車に乗れるようになってから何年だっけ?と振り返り、
自分の人生を振り返りながら、先を見据えた。
そこには楽観も悲観も無く、諦観を悟るには早すぎた。
互いに共有してきた時間が孤独を生むかもしれないし、孤独を共有して新たな時間を生み出すことも可能なのだ。
こういったノスタルジーに答えはない。
いや、むしろ必要が無い。
それでも彼は一回死んで、そして生き返ってきた。
周りの人間はそれを自分の身に置き換えて悔い改めれば良いし、彼はその幸せを、存分に享受する義務がある。
そして僕が今夜、体質的に苦手なウィスキーをロックで煽りながらoasisの『Definitely Maybe』とBEATLESの『1967-1970 (青盤)』を聴いているのは、ただ気分よく酔っ払っているからじゃないってことを、こうして書き留める。
僕が聴きたかったのはこのアルバム達だし、『Live Forever』や『Don't Let Me Down』が流れれば体を揺らす。
ただそれだけのことなのだけれど、だけど今の僕の中に入ってくる音は、全てが意思を持って何かを伝える。
昨日、僕にとってとても大切な人が12時間にわたる手術を受けて見事に生還した。
きっと、彼にとっても、僕にとっても、この先の人生を決定付ける一日だったのだ。
…といつかゆっくりと語り合うだろう。
それでいいんだ。
待っている間、病院の窓から見える空が蒼く、とてもキレイだったおかげで救われた。
風が強くて、足速に流れる雲をただただ眺めていた。
生と死を、ただここにある当たり前の生を、そしてそれ以上に当たり前な死を、痛いほどに味わい、言葉を失い、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
それは23時過ぎ。
彼はもう無事にこの世に生還していたのだけれど、今度は己の生を実感しなくてはいられなかった。
だから、彼が幼い頃の僕に教えてくれたBEATLESと自分が初めて大切に感じたoasisを、彼の好きなウイスキーと共に。
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