某東海地方からの帰りの高速道路でちょっとした事故に巻き込まれた。
奇跡的に車も僕もほぼ無傷だったけど、頭部を強打したので念のため病院にて精密検査を受けることになり、現在は結果待ち中でこれを書いてます。
先日、『生』を実感したばかりで『死』が手の届くような眼の前まで迫ってきた事実に震えながらも、頭の中は不思議と冷静だった。
そして身近に起こった多くの『死』を思い出した。
ここ数年で、多くの大切な人が命を断った。
事故だったり、病気だったり、自殺だったり…
自然と受け入れられる時もあれば、未だに受け入れられない場合もある。
ただ、それには何かしらの意味があるし、逆に言えば意味を成さない『死』なんてないのだ。
でも、そうして亡くなる命もあれば産まれる命もある。
それぞれに悲しみや喜びを与えるけど、それと共にそれぞれが人に生きる力のようなものを与えている。
残された人は、去る者のためにも頑張って力強く生きて行こうと思うし、与えられた人もその新たな命のために頑張って行こうと誓う。
人はそうやってその生涯に、大切な何かを残していくんだ。
最近、小さな子供達と接する機会が多々あり、何故だか僕はその子共達にえらく気に入られたようで、先日の会社の大掃除でもずっと遊んでいたら不思議な感覚がこみ上げた。
なんていったらいいんだろう?
ちょっと照れくさいような、誇らしいような、家族の中の自分というか、そういうものにちょっと目覚めたというか…
この年までそういう感覚が希薄だったことがちょっとだけ恥ずかしかった。
でもこの日は、そうやって子供達と戯れ、新たな命の美しさを感じた。
悲しみに暮れる日も、喜びに溢れる日も、僕は僕のままで生きて行こうと思う。
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