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いっちねんせ〜になった〜ら♪

いっちねんせ〜になった〜ら♪

ともだちひゃっくにん でっきるかな♪



学生時代、特に小中学生時代は、


子供にとって学校が全てだから、


誰が自分の友達で、友達何人いるかとか、


誰と誰が友達で、


自分がどの友達グループに


属してるかとか、


誰それはどの友達グループのメンバー


だからとか、




「友達」

                     というキーワード




がとても重要で、トモダチという符号で


自分の立ち位置を確認したり、


学校という小宇宙で


自分の存在を守ったり。





それが高校、大学に進むにつれ、


友達と一口に言っても、


クラスや部活の友達や、


友達の友達や学校を超えたバイトの友達、


顔見知りや知り合い含め


人間関係が飛躍的に広がっていくので、


誰が友達で誰が友達じゃないかなんて、


区別するのが自然と難しくなって、


徐々に「トモダチ」という符号を気に


しなくなってくるのが普通だと思う。





さらに、社会に出たら、


同僚や上司、同期や先輩や後輩、顧客


とさらに人間関係が


曖昧に広がり続けるので、


友達かどうかという線引きではなくて、


相手個人個人が


自身の人間関係のマップの中に


存在している感じになる。




子供が生まれれば、子供経由で


知り合うママやパパも加わってくるし。





旦那の駐在で海外に出れば、


同じ境遇で海外生活している


駐妻の皆さんと知り合い、


人間関係はどんどん豊かになってくる。




もうそんな感じになってくると、


誰が友達かの線引きなんかなくて、


時と場合と場所に応じて、


様々な人と助け合ったり、


楽しい時間を過ごしたり、


相手が知り合いなのか


友達なのか親友なのかなんていう


線引きはどんどん曖昧になってくる。




旦那の同僚家族とBBQしたら、


旦那の同僚の奥さんは


友達なのか知り合いなのか?


そんなの答えないし。




なのに、大人になっても、中高生並に


トモダチの符号の呪縛にとらわれている


雰囲気の人をたまに見かける。





特に駐妻の狭い世界に身を置いていると、


常に友達友達と連呼しながら、


必死になっている人たちが一定数いる。




駐妻ブログでも、


友達とカフェ行った、


親友からこんな一時帰国土産をもらった、


心の友がどうしたこうした、


ママ友たちと


アフタヌーンティー行った云々、


友達依存症じゃなかろうかというくらい


友達友達言ってる人がいて、


正直女子高生じゃないだから、


なんでそんなに群れたがるんだろう、


という違和感。





別に人それぞれなので、


わたしがとやかく言う話でもないのは


重々承知しているものの、、、



つづく