病院
病院巡りした数年間でした。
始まりは、
奈良の病院での腰椎ヘルニア。
2件目は、
大阪市内のクリニックでヘルニアレーザー手術。
3件目は、
昔に山中教授が勤めていた整形外科へ。
ヘルニアではなく胸に腫瘍があると診断。
4件目は、
紹介状を持ち大学病院の脳神経外科へ。
腫瘍ではなく胸の脊髄ヘルニアと診断。
5件目は、
脊椎専門医のいる病院へ。
脊髄ヘルニアは軽度過ぎて、
他の疾患の可能性もあると言われる。
再び大学病院の神経内科へ。
6件目は、
セカンドオピニオンで、
青木教授のいる仙台の東北大学病院へ。
ALSと診断される。
7件目は、
エダラボンの治験を行なっている病院へ。
レーザー手術をしていた為に治験参加資格はないと言われる。
8件目は、
エダラボン自費治療する為に千葉県の吉野神経内科へ。
9件目は、
点滴指導と定期的な血液検査を行う為、
近所の診療所へ。
10件目は、
ニューヨークのコロンビア大学ALSセンターへ。
11件目は、
細胞提供の為に京大病院へ。
12件目は、
イスラエルのハダッサ病院へ。
そして最後、
現在入院中の病院。
こうして振り返ると、
よく行動したんだなと改めて思います。
ほんと、自分に一言。
お疲れさん。
そして、
いろんな医者がいました。
いいかげんな人や傲慢な人、
誤診なんてあたりまえ。
「人工呼吸器なんかつけない方がいい」
「死ぬだけだからね」
「最後は山奥で過ごせばいい」
こんなことを言うボンクラもいました。
そんな中、
素晴しい人達もたくさんいました。
特に今の主治医は本当に優しく親身になってくれます。
こんなお医者さんもいるんですね。
最後にふさわしい人格者でした。
ナースの皆さんにもお世話になりました。
明るく優しく、
快適に過ごせた入院生活でした。
ありがとうございました。
また会う日まで、
お元気で。
幸男
オペが終わり、人工呼吸器での呼吸です。
息してないのにしんどくない。
自分で呼吸できない。
どうやってするんだっけ…
水槽にいる魚か…
なんともまあ不思議な感じでした。
今は、
オペから数日が経ちさすがに慣れてきました。
自発呼吸もちょこちょことこなしています。
どれくらい外せるか今度試してみようかな。
アイテムに関しては、
1週間に一度、喉のカニューレを交換します。
これが少し痛むのですが、
だんだんと痛みは和らぎそうです。
入院して3週間が経ちました。
昨日、
友人に散髪してもらいお風呂も入り、
身も心もリフレッシュできました。
退院も月末に決まり、
また新たな生活が始まります。
不安もありますが頑張ります。
そして、
今回もたくさんの人達に癒されました。
お見舞いやお見舞金、マッサージや散髪。
友達の多さと優しさにナースもびっくりしています。
「愛されていますね」と
私は幸せ者のALSなんですね。
みんな、ありがとう。
オペ
午後4時からのオペでした。
30分ごとにバイバップをしないと苦しくなるのに…
大丈夫なのか!
不安は的中でした。
オペ室に移動すると、
だんだん苦しくなり身体には赤い斑点が…
ドクターもビックリして担当ナースに確認します。
『身体がしんどくなるとでるみたいです』とだけ、
伝えられそのまま放置。
苦しい…
…
そして気絶。
今回は二度目ということもあって、
気絶もなんとなく冷静でした。
冷静に気絶?っておかしな例えですが、
なんかそんな感じです。
そして目覚めた頃にはオペ終了。
急遽、局所麻酔から全身麻酔に変更です。
理由は、
脈がかなり高くなり血中酸素濃度が40%まで落ち込んだので。
命に危険があった為と妻は説明されました。
それと、
こんなことも言われたみたいです。
人工呼吸器を外すことはできないと説明したところ、
急に取り乱し気絶したと…
今さらどうでもいいけど、
なぜそんな嘘をついたんだろうか?
不思議でなりません。
今日は、病院主催のカンファレンスがありました。
自宅で快適に過ごせるように、
訪問看護やお医者さん、医療機器メーカーに保健士さんが集まりました。
一つの命に関わる新しい出会い。
淘汰されることのない環境に
感謝です。

