ALS,kawatetsuのブログ -69ページ目

病院

病院巡りした数年間でした。


始まりは、
奈良の病院での腰椎ヘルニア。


2件目は、
大阪市内のクリニックでヘルニアレーザー手術。


3件目は、
昔に山中教授が勤めていた整形外科へ。
ヘルニアではなく胸に腫瘍があると診断。


4件目は、
紹介状を持ち大学病院の脳神経外科へ。
腫瘍ではなく胸の脊髄ヘルニアと診断。


5件目は、
脊椎専門医のいる病院へ。
脊髄ヘルニアは軽度過ぎて、
他の疾患の可能性もあると言われる。


再び大学病院の神経内科へ。


6件目は、
セカンドオピニオンで、
青木教授のいる仙台の東北大学病院へ。
ALSと診断される。


7件目は、
エダラボンの治験を行なっている病院へ。
レーザー手術をしていた為に治験参加資格はないと言われる。


8件目は、
エダラボン自費治療する為に千葉県の吉野神経内科へ。


9件目は、
点滴指導と定期的な血液検査を行う為、
近所の診療所へ。


10件目は、
ニューヨークのコロンビア大学ALSセンターへ。

 

11件目は、
細胞提供の為に京大病院へ。


12件目は、
イスラエルのハダッサ病院へ。


そして最後、
現在入院中の病院。


 

こうして振り返ると、
よく行動したんだなと改めて思います。



ほんと、自分に一言。


お疲れさん。



そして、
いろんな医者がいました。


いいかげんな人や傲慢な人、
誤診なんてあたりまえ。


「人工呼吸器なんかつけない方がいい」


「死ぬだけだからね」


「最後は山奥で過ごせばいい」


こんなことを言うボンクラもいました。


 

そんな中、
素晴しい人達もたくさんいました。


特に今の主治医は本当に優しく親身になってくれます。


こんなお医者さんもいるんですね。


最後にふさわしい人格者でした。
 

ナースの皆さんにもお世話になりました。

明るく優しく、
快適に過ごせた入院生活でした。


ありがとうございました。


また会う日まで、


お元気で。

 

 

 



 

幸男

オペが終わり、人工呼吸器での呼吸です。

 




最初の感想は、
息を止めてる…って感じでした。


息してないのにしんどくない。


自分で呼吸できない。


どうやってするんだっけ…


水槽にいる魚か…


なんともまあ不思議な感じでした。


 

今は、
オペから数日が経ちさすがに慣れてきました。


自発呼吸もちょこちょことこなしています。
どれくらい外せるか今度試してみようかな。

 


アイテムに関しては、
1週間に一度、喉のカニューレを交換します。

 

これが少し痛むのですが、
だんだんと痛みは和らぎそうです。


 

入院して3週間が経ちました。

 

昨日、
友人に散髪してもらいお風呂も入り、

身も心もリフレッシュできました。

 


 

退院も月末に決まり、
また新たな生活が始まります。

 

不安もありますが頑張ります。


そして、

今回もたくさんの人達に癒されました。

 

お見舞いやお見舞金、マッサージや散髪。
 

友達の多さと優しさにナースもびっくりしています。

 

「愛されていますね」と

 

私は幸せ者のALSなんですね。

 

みんな、ありがとう。


 


 

オペ

午後4時からのオペでした。


30分ごとにバイバップをしないと苦しくなるのに…
大丈夫なのか!


不安は的中でした。


オペ室に移動すると、
だんだん苦しくなり身体には赤い斑点が…


ドクターもビックリして担当ナースに確認します。


『身体がしんどくなるとでるみたいです』とだけ、

伝えられそのまま放置。


苦しい…


 

そして気絶。


今回は二度目ということもあって、
気絶もなんとなく冷静でした。


冷静に気絶?っておかしな例えですが、
なんかそんな感じです。



そして目覚めた頃にはオペ終了。



急遽、局所麻酔から全身麻酔に変更です。


理由は、
脈がかなり高くなり血中酸素濃度が40%まで落ち込んだので。


命に危険があった為と妻は説明されました。


それと、
こんなことも言われたみたいです。


人工呼吸器を外すことはできないと説明したところ、
急に取り乱し気絶したと…


今さらどうでもいいけど、


なぜそんな嘘をついたんだろうか?

不思議でなりません。

 

 

今日は、病院主催のカンファレンスがありました。


自宅で快適に過ごせるように、
訪問看護やお医者さん、医療機器メーカーに保健士さんが集まりました。


一つの命に関わる新しい出会い。


淘汰されることのない環境に


感謝です。