ALS,kawatetsuのブログ -66ページ目

天国

19年前に我が家で生まれたメグ。

4人兄弟で一番ブサイクだった。

もらいてがなく、
我が家で育つ運命になったメグ。

月日が流れ、
メグは私と同じように
身体が衰え寝たきりになっています。


そして、
2日前から夜鳴きが始まりました。

お互い寝たきりなもんで、
しばらくからむことがなかった私とメグ。

なぜか急に会いたくなり、
母親にメグを連れて来てもらいました。

部屋に来るなり、
鼻をヒクヒクしていました。

必死に何かを感じようとしてたのかな。


その30分後…


メグは息をひきとりました。

私と会うまで頑張ってくれたんだなって。

最後にさよならをしてくれたんだなって。

そう思います。

また天国で散歩だな。



遅くなりましたが、
深田、村岡、山口、山野、宮川
そして、木山さん
お見舞金ありがとう。

それと、
応援メッセージくれた方、ありがとう。


ビフォーアフター

呼吸器を付ける前のこと。


なぜか、
胃ろうから栄養を入れると、
全身がしんどくなり車椅子に座ってられなくなります。


滴下スピードを下げ400mlを2~3時間かけて、
朝晩2回の計800カロリーを一日の摂取量としていました。


胃ろうというものがかなり億劫になり、
口から食べられるのも少量ということもあって、
かなりの栄養不足でした。



そして呼吸器装着後、
胃ろうしても全くしんどくなる事は無く常に絶好調です。


不思議ですが、
呼吸機能と関連はあるみたいですね。


今は400mlを朝昼晩、
計1200カロリーと毎食前の白湯250mlを45分で注入しています。


呼吸器を付ける前とえらい違いです。



変わったのは身体だけではありません。
思いも変わりました。


どういうことかというと、
人工呼吸器は一度付けると外す事はできません。


生きる希望を失っても、生かされ続けます。


もし、自分の意思で外すことができたら…


もし、尊厳死が認められていたら…


ほとんどの人が呼吸器を付けたと思います。

呼吸器をつける決断をして生きることを選びました。


しかし、自分の意志通り生き続けることができるのか?


今はそんな疑問と不安があります。


吸引の度に外す呼吸器、
取り付けが甘いと急に外れたりします。



もし一人の時にはずれたら…



誰にも気付かれなかったら…



今は生きることだけでなく、
死ぬことも他人の管理下です。


呼吸器を付ける前は、
はずせない恐怖がありましたが、


つけた後は、
外れる恐怖の方が大きいです。



命、
生死は管理されているんです。

 

 

 

 

病院

病院巡りした数年間でした。


始まりは、
奈良の病院での腰椎ヘルニア。


2件目は、
大阪市内のクリニックでヘルニアレーザー手術。


3件目は、
昔に山中教授が勤めていた整形外科へ。
ヘルニアではなく胸に腫瘍があると診断。


4件目は、
紹介状を持ち大学病院の脳神経外科へ。
腫瘍ではなく胸の脊髄ヘルニアと診断。


5件目は、
脊椎専門医のいる病院へ。
脊髄ヘルニアは軽度過ぎて、
他の疾患の可能性もあると言われる。


再び大学病院の神経内科へ。


6件目は、
セカンドオピニオンで、
青木教授のいる仙台の東北大学病院へ。
ALSと診断される。


7件目は、
エダラボンの治験を行なっている病院へ。
レーザー手術をしていた為に治験参加資格はないと言われる。


8件目は、
エダラボン自費治療する為に千葉県の吉野神経内科へ。


9件目は、
点滴指導と定期的な血液検査を行う為、
近所の診療所へ。


10件目は、
ニューヨークのコロンビア大学ALSセンターへ。

 

11件目は、
細胞提供の為に京大病院へ。


12件目は、
イスラエルのハダッサ病院へ。


そして最後、
現在入院中の病院。


 

こうして振り返ると、
よく行動したんだなと改めて思います。



ほんと、自分に一言。


お疲れさん。



そして、
いろんな医者がいました。


いいかげんな人や傲慢な人、
誤診なんてあたりまえ。


「人工呼吸器なんかつけない方がいい」


「死ぬだけだからね」


「最後は山奥で過ごせばいい」


こんなことを言うボンクラもいました。


 

そんな中、
素晴しい人達もたくさんいました。


特に今の主治医は本当に優しく親身になってくれます。


こんなお医者さんもいるんですね。


最後にふさわしい人格者でした。
 

ナースの皆さんにもお世話になりました。

明るく優しく、
快適に過ごせた入院生活でした。


ありがとうございました。


また会う日まで、


お元気で。