2023年8月中旬、夏休みで、福岡に帰った際に、佐賀県と長崎県の北部に、プライベートで、出撃して来た速報レポをアップしましたが、こちらもまた、シリーズでアップして行きますよん。
2023年8月17日・18日の佐賀県・長崎県の北部出撃速報レポ
この日は、伊万里駅行きの昭和バスに乗って移動。
駅前行ってしまうと、散策時間が勿体なので、手前の東町バス停で下車。
バス停傍には、玉屋がありました!
玉屋のビルの近くには、タイルに描かれた「鍋島藩窯絵図」が掲示されていて…
玉屋の裏手の路地を進むと、橋が見えて来ました。
この橋は「公園橋」。
橋の下には、伊万里川が流れていて…
橋を越えた先には、こんもりした小山があります。
公園橋を渡り左手に進むと、先程見えていた小山の所に、鳥居が!扁額には「戸渡嶋宮」とあって…神社だったんですね。
鳥居をくぐると、また鳥居が見えて来ます。
石灯籠。
更に進むと、楼門が!これはまた見事♪
この神社は、「伊萬里神社」。境内略図が掲示されていますが、これもまた陶器!
境内略図の右手に「田道間守と伊萬里神社」という由緒書きがありました。
田道間守(たじまもり)は、第11代垂仁天皇の勅命により常世国(現在の中国江南地方)遣わされ、不老長寿の妙薬とされた非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)(橘のこと)を日本へお持ち帰りになりました。
交通が困難な時代、やっとの思いで故郷日本へ辿り着かれ、帰途ここ伊万里の岩栗山にお登りになり、その景勝に大変感動され、非時香菓の一株をこの地にお植えになりました。
後に、この地が「日本で最初の橘の渡来地である」とのことから「橘の宮」「香橘神社(こうきつじんじゃ)」と称され、人々に親しまれて来ました。
現在では、「香橘神社」に「岩栗神社」「戸渡嶋神社(ととしまじんじゃ)」が合祀され、「伊萬里神社」となり、田道間守を祀る「中嶋神社」が摂社として境内に鎮座しています。
また別の「伊萬里神社」の由緒書き。
創祀は景行天皇2年(712)。御祭神は、第31代敏達天皇皇子難波王、7世の皇孫葛城王橘諸兄命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天忍骨尊、上筒男命、中筒男命、底筒男命、海津見神、彦太忍信命。
楼門をくぐり、石段を上ります。
石段を上ると、石祠が並んでいる空間があって…
「森永太一郎翁胸像建立之地」という案内板が!
こちらの石段は古そうですね~だからか、登れないようになっていました…
こちちの石段を更に上って…
手水所。
石段の上には門があって…
その門をくぐり、正面に社殿。
拝殿手前の狛犬。
拝殿に向かって右手には、「宗佑八君顕彰之碑」があって…
その後ろには、鳥居がありました。扁額には「中嶋神社」とあります。
由緒書き「菓祖中嶋神社佐賀県分社の由来」
第11代垂仁天皇の90年に田道間守を常世国に遣わして、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)(橘)を求めましたが、田道間守命の祖先が新羅国の王子天日槍命で我が国に帰化した方であり、その使命を遂行するのに最適な人物であったからです。
非時香菓を手に入れた田道間守命が伊万里上陸後、都に急がれましたが、前年に垂仁天皇は崩御されていたので、田道間守命は天皇の御陵(菅原の伏見の陵)に参り、泣き悲しんで死なれたそうです。
佐賀県菓子工組合によって、昭和33年、田道間守命の生誕地である但馬国出石郡神美村三宅に鎮座する「中嶋神社」より御分霊を迎え、「伊萬里神社」の摂社として創建されました。
そういえば、名古屋市西区押切に鎮座する「榎白山神社」の境内に「田道間守社」という摂社があったのを思い出しました。
名鉄栄生駅と、カトリック押切教会と、榎白山神社(その1)と ...
「中嶋神社」の狛犬。
なかなかかわいいです♪
鳥居をくぐり、「中嶋神社」の社殿。
「その2」に続く。
伊萬里神社
佐賀県伊万里市立花町83
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