2021年4月下旬、仕事で、名古屋市西区方面に出かける用事があったので、その途中、いつもの歴史散策をして来ました。
この日は、名鉄電車に乗って、栄生駅からスタートです。「さこう」とはまた読み難い駅名ですね…
栄生駅から北に進み、路地を歩いて行くと、昔ながらの建物を見かけました、
名古屋市内には、結構昔の建物が残っているんですよね~興味深く並びを眺めていると、おや?屋根の上に、家と言いますか、神社の御社のようなものを見つけました。
じっくりと拝見…そうか!屋根神様か!
屋根の上に神様をお祀りして、家を守っているのですね~この地方特有の風習だそうです。
屋根神様は、「四間道」近くの中村家の建物で、初めて見て知ったんですよね。
中村家と屋根神様のレポ
路地を更に北上すると、国道22号線に出るのですが、そこを右折。しばらく歩くと、左手にキリスト教会が見えて来ます。こちらは「聖マリア カトリック押切教会」。
折角なので、御御堂を拝見しました。
柱からアーチ状に延びる梁?が美しい♪
祭壇。イエス様の上に、船のようなものがあって、その上には天使がいらっしゃいました。
祭壇脇には、マリア様とイエス様。
反対側の脇には、聖ヨセフもいらっしゃって…
美しい聖堂ですね♪
国道22号線を更に東に進むと、土蔵造りの町家が見えて来て…
これはまた、古そうで趣きがあるな~♪
上階の窓には、格子が取り付けられていました。珍しいような…
更に東に進み、菊ノ尾交差点で左折し、榎小学校北交差点を右折すると、左手に神社があります。こちらは「白山神社」。
鳥居脇には、「名古屋十名所」という石碑があって…
その横には、「美濃路の信長」という由緒書きがありました。
織田信長公は1534年、現在の名古屋城二の丸跡にあった那古野城で生まれたと言われ、21歳で清洲城に移るまで、この辺りを駆け回っていて、美濃、斉藤道三の娘、濃姫を妻として迎えたのも那古野城です。
清洲城に移った後、1560年、今川義元を迎え討つため、若き日の豊臣秀吉等を引き連れ桶狭間の戦いに出陣、この神社で戦勝祈願し、凱旋したのはこの街道であります。
その横には、「信長攻路 桶狭間の戦い 神勢大逆転街道」という看板も…
「美濃路でつながる西区『目でみる美濃路』」というポスターもありました。
境内に入り、手水所。
鳥居。
鳥居脇には、祠はあって…こちらは末社「田道間守社」。
祭神は、菓祖 田道間守社、薬祖 大巳貴命。菓祖とはお菓子の神様なんですね。
その横には、榎がありました。
「榎の木の由来」榎は「家の木なり 枝葉栄える印なり 家益の繁盛す」の訓木なり
狛犬。
参道を進んで…
また別の狛犬がいらっしゃって…
神馬。
社殿。
社殿手前の狛犬。
拝殿の中の様子。
拝殿に向かって右手に、幟がたくさん並んでいるんですよね。この先に「少将稲荷社」があります。
幟の奥に、朱の鳥居があって…
「少将稲荷神社」の御社。
「少将稲荷社」の横に、本殿。
元文4年(1739)の銘がある手水石。
「その2」に続く。
カトリック押切教
愛知県名古屋市西区名西1-12-5
榎白山神社
愛知県名古屋市西区押切2-5-2
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